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見沼・風の学校  

――― 遠くではない、身近な見沼から ―――

猪瀬 浩平 (見沼・風の学校)

 森や林、湿地体が残されていたとしても、そこを日常的に管理する人がいなければ、結局「自然」は荒廃することになる。例えば僕らが活動拠点にしている見沼田んぼの場合、近くに新都心ができたり、東京に直結する地下鉄がつながったり、ワールドカップが開催される大きなスタジアムができて、周辺の宅地化が、また加速化している。そのために、川は汚れゴミの不法投棄も後を絶たない。こうした環境の悪化を行政の怠慢と声高に糾弾しても本質的な解決にはならないような気がします。身近な環境を守るには、市民の自発的な参加がどうしても必要です。

 そのためにはどうしたらよいのか。例えば「地球環境を次世代に残そう」とか、「生態系を保護しよう」とか語られたとしても、それらの言葉は一部の「意識の高い」人々を活動へ鼓舞するだけで、多くのフツウの人びとには上滑りしてしまう。「地球環境」とか、「生態系」とか難しい言葉をいわれても、思い起こされるのは東南アジアの熱帯雨林とか、理科の授業で教わった食物連鎖のピラミッドだけ。具体的に何をしたよいのやら、よく分からない。「地球環境」を守るため、ゴミ拾いアマゾンの奥地やヒマラヤの高嶺まで出かけていく人もいるけれど、日々の暮らしに追われているフツウの人にとっては生活とかけ離れたことでもある。それに都市住民には、森や畑を切り開いてできた新興住宅に住んでいる、という負い目がある。

 かくして、多くのフツウの人びとは、地球は日々破滅に向かって突き進んでいるという危機感を持ちながら何もできず、最終的な行き先が何処にあるのか考えることなくペットボトルに詰められたジュースを飲み、携帯電話やパソコンを新機種に何度も取り替えていく。

 でも、僕らの住んでいる周りを見回してみれば、案外と自然が残されていることに気づく。例えばそれが神社や寺院の境内であったり、学校近くの沼であったり、はたまた誰かが耕している畑だったりする。それはアマゾンの奥地やヒマラヤの高嶺、東南アジアの熱帯雨林ほどに、世界に誇れるものではない。所々にゴミは散らかっているし、水は濁っているし、葱坊主も出てきている。でも、それは生活を構成する大切な環境であったりもする。子どもの頃、神社の杜の中に秘密基地を作ったり、沼でザリガニを釣ったり、畑になっている作物を見て季節を感じたりというのは、多くの人に共有できる体験なのではないだろうか。それはハックルベリーフィンがしたような誇るべき大冒険ではないけれども、街に生きる僕らにとっては単調な日常に彩りを添える、オモシロイ経験だったはずだ。

 そんな身近でちっぽけな自然が、実は僕らにとってかけがえのないものなのだ、と気づくことから環境教育が始まる。「生活環境」ともいえる、「何でもない自然」をよりよいものにしていくこと、段々となくなっていくそれらの空間を維持すること、それはアマゾンの植林に比べればちっぽけだけど、でも確実な一歩である。遠くまでわざわざボランティアに行くほどの意識のない人でも、自分の家の隣にある公園や遊歩道、子どもが遊ぶ池や神社の境内の掃除くらいはできるはずだ。生産の論理とも、自然環境の保全とも違う、自然と人間が混在する環境を第一に考えることが、「生活環境主義」といわれる。僕らが見沼田んぼで農業をするのは、そんな身近な生活環境を守りたいという思いからだ。
 
 農業は楽しい。自分のやった成果が目に見えて出てくる。それは情報化の進展や、価値観の多様化の中で、浮薄化した現実の中では貴重な体験である。農作業をすれば、自分でつくったものを食べることができる。自分のつくった野菜は、何よりもウマイ。それに畑に入れば邪魔なゴミは拾うから、身近な畑をしっかりと管理することもできる。だから僕らは見沼で農業をする。

 畑の中に自由な空間があれば、もっと楽しい。何か作物ができれば、カマドで料理できる。料理ができれば、綺麗に盛りつけるお皿も欲しくなる。それは竹林の竹を切り出したり、カマドで焼いて作れば良い。素敵なお皿に料理をもったら、皆を呼ぶ。音楽好きの人が楽器を持ち込めば、チョットしたパーティになる。そんな情景を絵に描いたり、写真を写したりすれば、多くの人に共有してもらうこともできる。身近な場所に皆の集まれる畑があれば、地域の人の色々な知恵や技術が活かされて、とても面白い場ができる。「意識の低い」フツウの人にも、そういう場ならば気軽に参加できるはずだ。大きな遊園地に迫力は及ばないけど、お金はそれ程かからないし、何より自分の近くに住んでいたのにすれ違うだけだった、様々な人びとと出会うことができる。そんな中で地域ができていく。

 見沼・風の学校の拠点となる見沼田んぼ福祉農園は、「ちっぽけな自然」と言うには広大すぎる見沼田んぼの中心に位置しています。でも街からはほど近く、浦和の中心街から車で15分、東京からでも1時間くらいしかかりません。福祉農園の広大な敷地には、畑ばかりではなく、芝生広場や手押しの井戸、泉、カマド、ビオトープ、竹小屋など自由に遊べる場があります。

 活動を担っているのは、見沼田んぼ近隣で生まれ育った学生や社会人です。ただそれだけでは心もとないから、福祉農園に関わるベテランの農園ボランティアの方々をはじめ、長年見沼田んぼで活動してきた人々にサポート頂いています。そこでは年齢や立場を超えた、様々な出会い・再会があります。

 見沼・風の学校このような環境をフルに活用し、毎週末の共同作業で、或いは毎月一回行われる子ども向けの公開講座「のうぎょう少年団」で、農作業だけではなく、収穫物を料理したり、音楽を聴き、映画を見ながらその料理を食べたり、料理を盛り付けるお皿をつくったり、そんなことを行っています。農作業の技術がある人、手先が器用な人、料理が上手な人、ギターのうまい人が即興的に先生に、その人に指導してもらう人、できた料理を食べる人、演奏を聞く人が生徒になります。超一流ではないかもしれないけれど、自分の近くに住んでいる様々な知恵やわざを持った人々が集まる中で、とっびきりに面白い共同体=コミュニティをつくること、そんなことを目指して活動しています。

 貴方も見沼・風の学校に参加してみませんか? 農業に興味があれば、土いじりがしたいならば、見沼に深く関わる意欲があれば、経験・知識・年齢は一切問いません。興味をもたれた方は、まずは見沼田んぼ福祉農園に一度遊びに来てください。

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