[八間堰・十六間堰]
利根大堰から取り入れた用水は、見沼田圃を目指してどんどん下って行きます。行田市を縦断し、騎西町と川里町の町境を通り抜け、20kmほど下ると、現在の菖蒲町役場の東側にたどり着きます。ここ菖蒲町大字上大崎に八間堰と十六間堰はあります。
利根大堰(元圦)から取り入れた用水は、約280年前に新しく3kmほど掘った見沼代用水路を通じて星川へ流れ込みます。星川と合流してから17kmほどは、星川を利用して用水は流れ、菖蒲町で見沼代用水路と星川とに分かれます。この分岐点で用水路と川の用水排水の調節を行うために造られたのが八間堰と十六間堰です。
見沼代用水路には八間堰が、星川には十六間堰が設けられました。この堰は見沼代用水路の最も重要な堰で、用水が必要な時には八間堰を開いて十六間堰を閉め、用水がいらない時には八間堰を閉め十六間堰を開いて水を星川へ流します。
八間堰は横八間(約14.5m)、高さ約2.4m、長さ7.2m、
十六間堰は、横十六間(約29m)、高さ約2.4m、長さ約11mで、江戸時代に初めて造られた当時は木造の堰でしたが、八間堰は大正3年に石造りに、十六間堰は昭和29年にコンクリート造となり、昭和53年〜平成7年の埼玉合口二期事業により両方の堰とも現在の形に造り替えられました。
[見沼弁財天(星川弁天)]
見沼代用水路の工事を指揮した井沢弥惣兵衛為永は、見沼開発に当たり、元圦畔等沿線数カ所に弁財天を勧請し、灯明料を寄進して用水の潤沢と平安を祈念しました。
現在、主な見沼弁財天は三つ(元圦・星川・加田屋)あり、いずれも享保16年(1731年)頃の創建で、この星川弁天は、見沼代用水路と星川の兼用区間の終点である十六間堰のほとりにたたずんでいます。
※参考文献:見沼代用水土地改良区資料 |
[右手が見沼代用水と八間堰、左手が星川と十六間堰]
[用水排水の要の場所で水路を守り続ける星川弁天]
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