[ホーム] [上へ]

みぬまたんぼ探検隊

 
 ★  特別編:みぬまたんぼ探検隊からのレポート 

              〜利根大堰でサケの遡上を確認!〜 【11月17日(水)】 ★ 

  みぬま通信第20号「みぬまたんぼ探検隊」でご紹介した〔利根川のサケ〕について、本当にサケが遡上してくるのかその事実を確認し皆さんに報告するため、私達は再び利根大堰へと向かいました。
前年度調査で遡上数が最も多かった11月の中旬である11月17日(水)に決行。『絶対、発見してみせる!』との決意をひめ期待する一方、『もしかしたら、顔を見せてくれないのでは』との不安が交錯する中「大堰自然の観察室」のある地下階段を降りていきました。1号魚道を遡上する魚が観察できる3つの観察窓が目の前に見えます。誰もいない観察室は静寂に包まれ、いかにもサケが顔を覗かせてくれそうな雰囲気です。自然観察はジッと息を潜めて待つことが肝要と、カメラを構え窓に身を寄せ待つこと十数分。・・・私達の目の前にとうとうその瞬間がやってきました。70〜80㎝はあろうかと思われるサケが勢いのよい水流に翻弄されながらも、ただ一点上流を目指しているのです。その体には、ここにたどり着くまでに負ったであろう傷が無数にあり、ウロコがはがれ変色したその姿は、子孫を残すためだけに邁進する神々しさをも感じさせるものでした。
・・・社会科見学に訪れた小学生が今まで静寂に包まれていた空間を引き裂いてやってきました。サケを見たい気持ちは一緒。でも、サケは子供達の勢いには逆らえず、はたまた意地悪のつもりなのかその姿を見せなくなってしまったのでした。(でも、熱心な児童がずっと静かに見守っていると最後にその魚影を見せてくれましたよ。)“サケは本当に利根川に遡上してくる(1時間程の観察の中で延べ十数匹のサケを目撃)!”この事実を報告します。
                              (事務局:カンちゃん)


              「見沼代用水路を下る!其の弐:八間堰・十六間堰編」

[八間堰・十六間堰] 
 利根大堰から取り入れた用水は、見沼田圃を目指してどんどん下って行きます。行田市を縦断し、騎西町と川里町の町境を通り抜け、20kmほど下ると、現在の菖蒲町役場の東側にたどり着きます。ここ菖蒲町大字上大崎に八間堰と十六間堰はあります。
 利根大堰(元圦)から取り入れた用水は、約280年前に新しく3kmほど掘った見沼代用水路を通じて星川へ流れ込みます。星川と合流してから17kmほどは、星川を利用して用水は流れ、菖蒲町で見沼代用水路と星川とに分かれます。この分岐点で用水路と川の用水排水の調節を行うために造られたのが八間堰と十六間堰です。
 見沼代用水路には八間堰が、星川には十六間堰が設けられました。この堰は見沼代用水路の最も重要な堰で、用水が必要な時には八間堰を開いて十六間堰を閉め、用水がいらない時には八間堰を閉め十六間堰を開いて水を星川へ流します。
 八間堰は横八間(約14.5m)、高さ約2.4m、長さ7.2m、
十六間堰は、横十六間(約29m)、高さ約2.4m、長さ約11mで、江戸時代に初めて造られた当時は木造の堰でしたが、八間堰は大正3年に石造りに、十六間堰は昭和29年にコンクリート造となり、昭和53年〜平成7年の埼玉合口二期事業により両方の堰とも現在の形に造り替えられました。

[見沼弁財天(星川弁天)] 
 見沼代用水路の工事を指揮した井沢弥惣兵衛為永は、見沼開発に当たり、元圦畔等沿線数カ所に弁財天を勧請し、灯明料を寄進して用水の潤沢と平安を祈念しました。
 現在、主な見沼弁財天は三つ(元圦・星川・加田屋)あり、いずれも享保16年(1731年)頃の創建で、この星川弁天は、見沼代用水路と星川の兼用区間の終点である十六間堰のほとりにたたずんでいます。

※参考文献:見沼代用水土地改良区資料


 [右手が見沼代用水と八間堰、左手が星川と十六間堰]

   


  [用水排水の要の場所で水路を守り続ける星川弁天]

戻る

 

inserted by FC2 system