見沼塾からのレポート その1

第1回〜第8回

 

第8回 見沼塾からのレポート

[5月3日(金)]2002

〜なつかしい遊びをみんなでやろう!〜

―――浦和くらしの博物館民家園にて―――

 

 5月の連休の後半初日、民家園と初共催の見沼塾が行われました。当日は、すぐ近くで「見沼龍神まつり」と「アグリフェスタ」が開催され、駐車場になっていることもあり、たくさんの方に参加していただきました。  

 まずは、なつかしい遊び。民家園の入口に、コマ、ベーゴマ、めんこ、竹馬などをおき、来園者に、昔の遊びを楽しんでもらいました。

 紙芝居は、ボランティア団体の「かみこばこ」に、お手製の見沼にまつわる紙芝居などを実演してもらい、その話の一つでは、民家園の隣にある「念仏橋」が、昔は丸太橋で、落ちないように渡るには、念仏を唱えながら渡ることから名付けられたとのことで、なるほどなと感心した次第です。

 最後に、民話ですが、旧野口家の中で、「炉端の会」の語り手が、交替で見沼に伝わる民話や昔話を話していただきました。

 このようにためになって楽しい見沼塾、会員の皆さんも是非参加してくださいね。

(事務局:ホ)

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第7回 見沼塾からのレポート  

[3月16日(土)]2002

〜スケッチをしよう!〜

―――旧坂東家住宅見沼くらしっく館にて―――   

 

 「見沼田圃をスケッチしよう」は今回で2回目。このスケッチ会は、参加者には好評で、一度参加するとまた描きたくなるようです。  

 絵を描くとなると身構える方が多いのですが、参加者のなかには、絵など描いたことがなく、道具がないので小さいメモ帳に鉛筆だけの方もいれば、学校で描いて以来という方や、絵は苦手という方もいました。そういう方ほど、自由な絵や味のある絵を描いたりするので、とにかく参加していただくことが第一歩です。

 この見沼塾では、参加者は、自分が描きたい場所を探して、2時間程度の配分で主に風景を描きます。自然の中での創作はとても爽快で、世俗の垢が洗い流される気分になります。描き進めていきますと、多くの方が「ここは、どう描くんだろう?」と疑問を持ちます。すると、講師の八木先生が、どこからともなく現れ、優しい口調で適切なアドバイスをしてくれるのです。心得のある人はよりハイレベルになり、初めての人は目からウロコが落ちて、絵を描くことにだんだんはまっていくようです。

時間が来たら、皆一堂に会して、自分の作品を紹介します。描いたけど恥ずかしいという人もいましたが、八木先生の必ずいいところを指摘してくれる名講評で、皆すっかりいい気分になってしまい、絵画創作の魅力に取りつかれてしまうのでした。

 これを読んだあなた。たまたま、次の見沼塾(9/14)は3回目のスケッチ、参加しないわけにはいかないでしょう。

 今すぐ、 事務局へお電話ください。

(事務局:ホ)

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  第6回 見沼塾からのレポート  

[12月15日(土)]2001 

〜やさしい竹細工づくり〜  

 

 師走の小春日和、旧坂東家住宅見沼くらしっく館の庭に9時頃から人々が集まり始めました。9時50分頃35人ほど集まり、見沼たんぼくらぶの小野理事の挨拶・くらぶ事務局の吉野さんの挨拶があり、その後講師には緑の国、緑の推進連絡会副会長の丸山さん指導のもとで始まりました。

  ◆竹の性質から大きく分けると孟宗竹と真竹があり、孟宗竹は花器・鹿(しし)おどし・灯篭・竹下駄等に向いています。真竹は篭・ざる・竹馬・竹とんぼ等に。また外から見て一目でわかるのは、真竹は節が二重で、孟宗竹は節が一重。誰でもすご一目でわかると教わります。

  今日は孟宗竹を利用して竹細工に挑戦することになりました。作る材題は鹿おどし・灯篭・花瓶・竹下駄等に分かれて各自が作業へ。全員が昼食を取るのを忘れるほど、12時30分頃まで竹細工作りに熱中し、思い思いの作品が出来あがりました。

 各自が作った作品をお土産に持って帰られ、家々の部屋や庭などに飾られて、さぞ良いお正月をお迎えになったことと思います。 

                                                                      (会員:関根道雄)

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第5回 見沼塾からのレポート  

[6月17日(日)]2001

〜「見沼たんぼをスケッチしてみよう」に参加して〜  

        

 6月17日(日)旧坂東家住宅見沼くらしっく館において、2001年の年賀はがきの挿絵(さいたま新都心の絵)原作者の八木一郎氏を講師にお招きして、見沼たんぼのスケッチ会が開催された。

 当日は晴天に恵まれ、多くの参加者がスケッチブック、絵の具筆、画板等を携えて、朝早くから集まった。初めに、見沼くらしっく館の座敷で、見沼の簡単な歴史とスケッチポイント(①自由に②写真に頼らず ③短時間で仕上げる)と、題材の選び方及び注意(①感動したものを ②主役、脇役を明確に ③対象を美しく見える高さ、位置で ④天候、交通量を考えて安全な所で)等の説明があった後、めいめいスケッチに向かった。
 約1時間スケッチ後、再び見沼くらしっく館に戻り、出来上がった絵を一堂に並べ、それぞれ八木氏より講評があった。

 参加者からは、また是非季節を変えてこの企画を実施して欲しいとの要望があった。大変楽しい一日であった。

(見沼たんぼくらぶ運営委員 長澤 義則)

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第4回 見沼塾からのレポート

[2月25日(日)10:30〜11:30]2001

〜見沼田圃の歴史と見沼通船掘〜

 

 第4回見沼塾は、浦和市立郷土史博物館で、館内の見学と併せて、博物館の学芸員の先生から「見沼の歴史と見沼通船堀」の説明をしてもらいました。予想以上に大勢の人に参加していただき、にぎやかに開催することができました。

 見沼の歴史では、縄文時代、見沼は東京湾の海水が入り込む入り江で、その証拠に、見沼には、縄文時代前期の貝塚を多数見ることができること。今から6000年前、東京湾と分離し、沼や湿地が形成され、その状況が江戸時代まで続き、信仰の対象としての見沼があったこと。見沼には、大宮の氷川神社(男の神様)、氷川女体神社(女の神様)、中山神社(皇子の神様)があり、見沼で色々な祭事が行われていたこと。この三つの神社は、一直線に並んでいて、鳥居が全て同じ方向(見沼)を向いていること、見沼の名前の由来も神の沼、御沼からだということなど、興味深く聞きました。

男の神様と女の神様のちょうど真ん中に子供の神様があるなんて、チョッと面白いですね。訪ねてみたくなりました。

 見沼通船掘については、館内にある模型や堰に用いた羽目板やひらた舟の櫓などの展示品を見ながら説明を受けました。閘門式運河のことや江戸時代から大正時代の初め頃まで、芝川と見沼代用水を用いて行われていた、江戸との舟運による交易の様子などの話を聞きながら、その当時の様子に思いを馳せることができました。

 博物館では、小学校3年生を対象とした企画展が行われていました。この地域における昔の人の暮らしぶりやその移り変わりが、道具や写真などを中心にわかりやすく展示されており、昔の道具などを、各々手に取りながら、楽しく見学することができました。

(見沼たんぼくらぶ運営委員 沼 尚司)

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第3回 見沼塾からのレポート

 [12月9日(土)13:30〜15:00]2000

〜見沼田圃の生きものを知ろう〜

   

 第3回見沼塾は、浦和学院高等学校(旧浦和市代山)の敷地内にあるシラサギ記念自然史博物館で開催されました。初冬の穏やかな日和なので、見沼田圃を散策がてら、大勢の方が見えるのではないかと期待しましたが、PR不足のためか、期待が外れて残念でした。

    それにもかかわらず、講師を引き受けていただいた巣瀬司館長(農学博士)さんは、親切に、熱心に、館内の展示物やスライドを使って説明してくださいました。

 見沼田圃の歴史や変貌、そして、生きものの姿がよくわかり、参加してよかったという参加者の声はお伝えできても、展示物やスライドに即したお話の内容を要約するのは難しいので、博物館の機関紙「イグレッタ」に掲載された館長さんの短文を二つだけ紹介して、内容の報告に代えさせていただきます。

  ◆歴史の記録 「見沼たんぼ」は17世紀から大きく変貌し、低湿地から「見沼溜井」という沼になりました。そして、18世紀に干拓により、見沼は「見沼たんぼ」になりました。さらに、20世紀中頃から、見沼たんぼは急に畑地や休耕田に変わりました。

 1986年頃の風景は、その歴史を残していました。そして今、見沼たんぼは驚くほど急速に変化しつつあります。動植物の観察記録や写真、絵画として、この変化を記録として残すことは、将来、「歴史の記録」になるのではないでしょうか。

見沼の変貌: 見沼たんぼの良さは、休耕田にありました。春、焼き払った後に、ツボスミレやムラサキケマンが一面に咲き、セリが生えた休耕田は魅力的な場所でした。アカガネオサムシという湿地に生息する昆虫も、そうした休耕地で見られました。

 最近の見沼たんぼは、湿地はほとんどありません。予算不足のため実現できない県の「ウエットランド」予定地も、その1/3が地権者の意向で溝が掘られ湿地でなくなりました。

 適度に人の手の入った、多様な自然を残す手立てはないのでしょうか。

      (見沼たんぼくらぶ理事・運営委員 白井法)

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第2回 見沼塾からのレポート

[9月17日(日)11:00〜12:00]2000  

〜見沼や埼玉にちなんだ童謡唱歌に親しもう〜  

 

 9月17日は、第2回見沼塾が野田サギ山記念公園内の会議室で開催されました。当日は、あいにくの天気で、大きな雷が鳴り、時々、雨も強く降る中、浦和で生まれた歌や埼玉とゆかりのある童謡唱歌などを楽しく歌わせていただきました。

 また地元の方からは、見沼たんぼの秋の風景の話しなどもまじえ、昔の見沼たんぼの様子や体験が語られました。「赤とんぼ」の詞にある桑の実や、柿が今でも庭になることなど、この辺りは本当に唱歌や童謡の中にある風景がたくさん残っていることが良くわかりました。  

 当日も歌った唱歌「案山子」の歌は、地元の三室村(元浦和市三室)に生まれた武笠三(さん)さんが、見沼たんぼの中に立っている案山子を見て作詞された歌です。

 この「案山子」については、発祥の地に記念の歌碑をと思い、20年間お世話になっている金田一春彦先生に書いていただき、7年前に見沼氷川公園の中に建てましたので、見たことがない会員の皆さん、ぜひこの歌碑をご覧になってください。

 私が「見沼たんぼくらぶ」に入会した動機は、この“歌のふる里”の四季折々を肌で感じて見たいと 思ったからです。

 春になったら、見沼代用水辺りを歌を歌いながら散策し、21世紀になっても、今だ残る自然を、目と耳と、そして、肌で感じることを楽しみにしています。

(見沼たんぼくらぶ会員、浦和童謡唱歌愛好会会長 吉橋クニ子)

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第1回 見沼塾からのレポート

[6月10日]2000

〜見沼お宝鑑定〜

――興味津々の鑑定品が寄せられました――  

 

 講師はテレビでおなじみというだけでなく、見沼の歴史を知り抜いている安岡路洋先生。ご専門の考古学の深いご造詣により、大宮市の市民文化賞も授与されていて、いってみれば、ご自身が≪お宝≫でもある、そんなお人です。

 加田屋新田開拓の祖、坂東家住宅《見沼くらしっく館》の建て替え、復元の際には、先頭にたって助言されただけあって、当日の見沼くらしっく館にまつわるお話も熱のこもったものでした。また、古くからの人々の暮らしの知恵には、今、多くを学ぶことが大切と、使い捨て時代の我々には、ちょっぴり耳の痛いお話しもありました。ご講演のあと、お待ちかねのお宝鑑定がはじまりました。

 1   明治時代の唱歌の本

  2   明治初めの染谷、加田屋地区の地租台帳今でいう登記簿のようなもの)

 3   室町時代の馬の絵が描かれた掛け軸 

 4   四尺の脇指(ただし、これは人前に持ち出すことは、警察からとめられているとのことで写真のみ)

 安岡先生のテレビそのまんまの絶妙なお話しぶりで鑑定が進みました。テレビとは違い、参加者も鑑定品に近寄って見ることができ、みんなが安岡先生さながらの鑑定人になった気分で、安岡先生のコメントを聞き、楽しむことができました。

 (島田由美子理事記)  

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