第7回 足立ケ原(あだちがはら)の鬼婆(おにばば)伝説を調べるの巻
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『見沼の代表的女性第2号は?』
華固ちゃんと未来くんは、次のテーマを何にしようかと迷っていました。 前回「見性院(けんしょういん)さん」を調べて評判(ひょうばん)がよかったので、また女性にしようと決めたのですが…。
「ストップ! 言ったら打つわよッ」 「言わないよ、おばさんにしようなんて。ほんとうはもう一人、見つけてはあるんだ」 「誰さ。まじ?」 「まじだけど、華固ちゃん、反対するに決まってるから言わないよ」 「まじなら反対しないわ。過去(かこ)の人?」 「そう! 伝説だもの」 「それなら、なおさら反対しないわ。だれ?」 「まだ言えないね。『絶対(ぜったい)にしたがいます。協力(きょうりょく)します』と言わないかぎり……」 「あら、きょうは用心深いのね。いいわ。『絶対に反対しません。協力します』」 華固ちゃんは、珍しく未来くんにしたがいました。 未来くんは、怖(こわ)がらせないように気をつけて、お父さんから聞いた話をしました。
「昔は寿能城(じゅのうじょう)跡の辺り一帯は、足立ヶ原という荒野原(あれのはら)だったのだそうだよ。 そこに『黒塚』(くろずか)いう小山があって、お婆さんと娘が住んでいた。娘はふつうだったが、お婆さんは鬼みたいで、 旅人を泊めては食ってしまうんだって」 「えッ、そのお婆さんのことを調べるの? ちょっと、嫌だわ」 「違う、違う! それを、改心(かいしん)させた坊さんのことや、その黒塚という塚山(つかやま)が、今もあるのかないのか など、話の全体を調べるんだよ。見沼らしい、面白い伝説だそうだよ」 未来くんの上手な説明で、華固ちゃんは少しずつやる気になってきました。 「調べる順序だけど……先ず、地図と昔話の本で、あらましをつかんでおこうか」 「そうね。わたし、お父さんの書斎を見てくるわ」 「あ、それは有難い。華固ちゃん、サンキュー」 華固ちゃんの持ってきた埼玉の民話や伝説の本の中に、『黒塚の鬼婆』とか『足立ヶ原の鬼女(きじょ)伝説』というのが いくつかありました。しかし、内容が少しずつ違っています。
二人は本を読みくらべながら、次のようにまとめました。 ① 昔は大宮の氷川神社の東方一帯(とうほういったい)を足立ヶ原と呼んでいた。ここに、旅人に宿(やど)を貸して暮らす ② ある晩、一人の旅人が泊まったとき、お婆さんは、「この扉(とびら)の奥は絶対に見てはいけない」と、 ③ 旅人が不審(ふしん)に思って開けて見ると、中は骸骨(がいこつ)の山で、旅人は気絶してしまった。 ④ 娘が帰ってきて旅人を看病(かんびょう)し、母親の悪行(あくぎょう)を話して逃がしてやった。 『足立ヶ原に鬼婆が出る』と全国に広まった。 ⑤ 熊野那智権現(くまのなちごんげん)の阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)(宥慶(ゆうけい)とも)諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の途中 これを聞き、人々を救おうとして、ここに来て鬼女と対決、仏法の力で打ち負かした。鬼女は石となった。 ⑥ 裕慶は塚を築いてこの石を埋めた。これが『黒塚』である。 ⑦
また裕慶はこの近くに庵(いおり)を建て、『東光坊(とうこうぼう)』と名づけて仏道を広めた。
『黒塚山はどこにある?』
華固ちゃんが、昨夜、新発見をしたというのです。 「『大宮文学散歩』という本に黒塚のことが出ていたの。産業道路のわきに大黒様あって、
そこから東の方一丁ぐらいのところに最近までお稲荷(いなり)さんの塚があったのだって」 『大黒院は不思議なお寺』
「よくまとまってるね。後の方にちょっと付け加えると、もっと正確になるでしょう」
『和尚さんにも課題(かだい)がある』
「これでいいと思うよ。ところでこの寺は、いろいろな意味で珍しがられているのだよ。先ず、入り口の階段が十二段だ。
十三仏になぞらえて十三段だったのだが、産業道路を広げるので一段無くなった。 後で見てごらん。 庭にある大黒様を彫った大きな石。 あれは大正時代に地中から掘り出されたものだ。何百年も前に作られたものらしいのだが、どのように祭られ、いつごろ、どうして埋められたのかなど、わたしにも分からない」
「いやいや、君たちの予定もあったろうに悪かったね。もう一つだけ参考(さんこう)までに話すと、この黒塚の話は福島県の二本松にもあって、向こうでは『こちらが本拠(ほんきょ)だ』と言い張って論争(ろんそう)になったこともあるんだ。 伝説なのだから、どちらが本拠でもいいのだが、争(あらそ)いになる訳を調べておきたいと思っている。君たちも覚えておいて機会があったら向こうへも行ってみなさい。何か分かったら教えてもらいたいね。では、またいらしゃい」 二人はていねいにおじぎをして引き上げました。 (おわり)
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〜〜今回のお話に出て来た東光寺と大黒院の場所〜〜 |
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第6回 清泰寺(せいたいじ)に眠る女性「見性院(けんしょういん)さん」を調べるの巻 |
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『見沼の歴史に残る女性は?』 華固ちゃんと未来くんは、ホタルの伝説や寿能城(じゅのうじょう)・小田原城のことを調べてみて、見沼にいっそう興味を持つようになりました。そして、早く別の研究を始めたいと思いました。 「ねぇ、未来くん。今度は何にしようか?」 「う−ん、何がいいかなぁ。面白い伝説か、実話がいいね」 「それはそうだけど……。お侍じゃなくて偉い人、いないかしら?」 「むずかしいなぁ。お侍でなくて偉い人っていうと、お医者さんか、お坊さんか……」 「でも、女性がいいわ」 「そうか。女性でもいいのか……」 「女性でもいいのかではなく、女性に決めましょう。絶対に、女性がいいわ」 「そんなこと言ったって、いないんじゃないかなぁ。女性で偉い人って……」 二人のこんな話を、ちょうど通りかかった夢幻坊(むげんぼう)が耳にしました。 「ほほう! なかなかいい相談をしているではないか」 「あ、お父さん、聞いていたの? いやだわ」 「いや、聞いていたのではなくて、聞こえてしまったんだ。女性にも立派な人がいるよ」 華固ちゃんのお父さんが、にこにこしながら教えてくれました。
「うむ。昔も今も変わらない。りっぱな女性はいくらもいる。多くの人に知られているかどうかの違いだけだと思うよ」 夢幻坊は淡々と言い残して、護摩堂(ごまどう)の方へ行ってしまいました。
『女性の名は 見性院』
二人は地図をはじめ、人名辞典や郷土史の本を出して調べてみました。その女性は、名を見性院とい い、調べる値打ちのある素晴らしい女性だということが分かってきました。
「ああ、これだけ分かればいいわ。お墓を見た後、また調べましょ」 「そうだね。分からないことがいっぱいあるけど、見てきてからとしようや」 二人は地図を広げ、寺の場所と道順を確かめ、清泰寺を目指して出発しました。 昔からの道だという赤山街道を東浦和駅の方に進んでいくと、左側の角に『清泰寺』と書かれた案内板があり、お地蔵さんが並んでいました。本堂に向かって進むと、左手にたくさんの墓石の並ぶ墓地があり、そこに大きな屋根をつけた木造の門が見えました。
『住職さんの話』
手を合わせた後、住職さんを訪ねると、本堂の隣の部屋に通されました。夢幻坊が電話で知らせ、説明してやってくれと頼んだらしいのです。 その部屋のなげしには、立派なの肖像画(しょうぞうが)の額が三つも架けられていました。 どの人もとても偉そうに見えたので、すぐ傍(そば)まで行ってみると、『二代将軍徳川秀忠公』『保科肥後 守正之公(ほしなひごのかみまさゆきこう)』『保科正之公生母、お志津の方』と書いてありました。 家で調べてきたので、いくらか分かります。見性院さんの額はありません。 住職さんがにこにこ顔で出てきました。 「どうじゃな。見性院さんのお墓、よく拝(おが)んできたかね」 「あ、いけねぇ! 拝むのを忘れていました」 「すみません……」 二人は恥ずかしそうに下を向きました。 「ま、よかろう。来てくれただけで、見性院さんは喜んでいなさるだろう」 住職さんはそう言ってから、やさしい言葉で、武田信玄のこと、見性院のこと、肖像画のことなどを話してくれました。 「これが二代将軍の徳川秀忠公だが、仕えていたこのお志津の方に子ができたので、奥方にしられないように見性院が 親代わりになって育てたということじゃ。 その子は幸松丸(こうまつまる)と名づけられ、七歳のとき、今の長野県高遠(たかとう)という所の保科家の養子になった。そして後には会津藩二十三万石の藩主になったのじゃ。 何しろ、三代将軍家光公の弟じゃからのう。どうだ、この肖像画、秀忠公と同じぐらい立派だろう」 住職さんは自分のことのように嬉しそうに話して、保科正之の肖像画を指差しました。 「見性院さんの額はないのですか?」 「そうなんじゃ。 あるといいのじゃが、描かれるのが嫌いだったのか、火災にあって焼けてしまったのか、 事情は分からない。 絵はないが、本堂の阿弥陀如来(あみだにょらい)は、見性院さんをかたどったものと言われておるのじゃ。 ま、この三つの肖像画もそれぞれ模写(もしゃ)したもので、原画のことは分からんのじゃ。 それとは別に、面白いものがあるから見せよう」 そう言って広げてくれたのは巻物(まきもの)で、何やら筆で書かれています。 『お志津さんという人の願文』
「これも書き写してもらったものだが、お志津さんが大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)に納めた願文というものじゃ。 つまり、神様に、これだけは是非(ぜひ)お聞き届けくださいという願いの文章だ。 内容が素晴らしいので、ことばをやさしくして読んであげよう」 住職さんは、ゆっくりと、およそ次のように読んでくれたのでした。 敬(うやま)って申し上げます。 南無氷川大明神(なむひかわだいみょうじん)さま。 わたくしはたいへん卑(いや)しい身分の者ですが、将軍秀忠さまにかわいがられ、その御子を宿し、今年の四月か五月が誕生日となります。 けれども御台(みだい)さまは嫉妬(しっと)のお心が深く、城内にいることはかないません。 今は、信松善女(しんしょうぜんにょ)(見性院の妹)のせわになり、見沼のほとりに隠れ住んでおります。 どうか、わたくしの胎内の子が男の子で、無事に出産できますようお守りください。 母子共に命を大事にして、ご運が開けるようつとめますので、この大願(たいがん)が成就(じょうじゅ)しますよう、心からお祈り申し上げます。
『もっと知りたい調べたいこと』
家に帰ると、夢幻坊が護摩堂の前に立っていました。 「だいぶ勉強したようだな。ところで今すぐ、五分ぐらいなら、見性院さんが会ってくれると言うぞ。どうする?」 「会ってみたいわ。清泰寺に肖像画が無かったんだもの。でも、五分じゃね」 「ぼくは、会って穴山梅雪という人のことを聞きたいな。でも、五分じゃ」 「そうか。お父さんも聞きたいことがあるし、別の日にゆっくりお伺いするとしようか。とにかく、美しく上品で、まるで仏様のようなお姿らしい。」 夢幻坊はそう言いながら、護摩堂に入っていきました。 「ねえ、未来くん。こんどの研究、女性にしてよかったね」 「うん。まあね。」 「この次も女性にしましょうよ。だれがいいかしら?」 「うーん、もう、いないんじゃないかな」 未来くんは腕を組んで考えていましたが、急に叫ぶように言いました。 「あ、一人いた! いたよ!」 「だれ?だれなのさ」 「う、ふふふ」 未来くんはにやにやしながら腕組みを解きましたが、なかなか言いません。 「だれなの?何をした人なの?」 華固ちゃんはじれったそうに催促します。 「うん。それは子育てのじょうずな奥方でね。素晴らしいお姫さまを育てた人……」 「それ、誰かしら?」 「その子育てのじょうずな奥方はね、華固姫を育てたおばさんのこと!」 言い捨ててぱっと二、三歩飛びさった未来くんに、華固ちゃんの拳(こぶし)は届きません。 「言ったわね。覚えていなさいよ」 華固ちゃんは目を釣り上げて、未来くんを睨(にら)み付けていました。 (おわり)
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第5回 寿能城落城(じゅのうじょうらくじょう)とホタル伝説を調べるの巻 |
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『寿能城とはどんな城?』 華固ちゃんと未来くんは、寿能城のことを、夢幻坊に聞く前に事典で調べることにしました。調べるのってめんどうだけど、お父さんが、『人に聞く前に調べなさい。楽をして得た知識なんて身につかないぞ』って、いつも言うからです。 二人は次々に本を開いていきました。百科事典や郷土史事典、ふるさと散歩、埼玉の古城址、見沼見学案内など、参考書はいろいろありましたが、どれも文章が難しくてよく分かりません。二人は分かる言葉だけをつなぎ合わせるようにして、二つにまとめました。 ①寿能城=大宮区寿能町一丁目から二丁目にかけての台地上に築かれた岩槻城の支城。永禄31560)岩槻城主太田三楽斎資正が、四男資忠に大宮・浦和・木崎・領家などを与えて築かせた城である。 ②潮田出羽守資忠=寿能城主。父は太田三楽斎資正。母が潮田常陸介の妹であったため、分家した とき、母方の姓を名乗った。天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めたとき、長男資勝や家臣をつれ、援軍として小田原城に入り、同年4月18日、豊臣軍と戦って親子共に戦死した。 「これだけ分かればいいわ。お父さんの所に行きましょう」 華固ちゃんと未来くんは、書斎にこもっている夢幻坊を訪ねました。 『さすがは行者・夢幻坊』
「お父さん! きょうはね、大宮公園の方まで行ってきたの」 「ほほう、何を調べたんかな?」 「寿能城と、潮田出羽守という殿様のこと」 「ほう! そりゃあ偉い! よくやったぞ!」 びっくりするほどの褒めことばに、華固ちゃんも未来くんも飛び上がって喜びました。 「それでね。わたしたち、お父さんに……」 「分かった、分かった。つれてってやるぞ!」 「え? どこに? まだ、何も言ってないわ」 「決まってるだろう。潮田の殿様の所だ」 「わあ、うれしい! よく分かったわね!」 「さすがァ! 大先達の夢幻坊だ!」 「そう、おだてるな。きょうではないぞ。向こうの都合もあるからな。いい人だ。わしはあの殿様が大好きなんだよ」 お父さんは目を細め、うれしそうに言って護摩堂へ入っていきました。 しばらくすると、お父さんがにこにこしながら戻ってきました。 「決まったぞ! あさっての日曜日、午前十時、小田原城の大手門前だ」 「え、えッ? 小田原城?」 「寿能城の間違いでしょ?」 二人はびっくりぎょうてんです。 「いいや、小田原城だ! 潮田父子は、小田原城の攻防戦で戦死したのだ。それでな。激しい戦闘のあった小田原城を見せておきたいとおっしゃるのだ」 言われてみればもっともです。二人は『小田原』のことを調べてから別れました。 『小田原城と白装束の男』 その朝、華固ちゃんと未来くんは、遠足に行くような気分で護摩堂に入りました。夢幻坊 「さ、ここでよかろう。ほら、あそこのビルの右側に、お城の天守閣が見えている。あれを目当てに行けば、自然に大手門の前に着く。失礼がないように気をつけてな」 「はあい。いっぱい聞いてきまーす」 二人は夢幻坊と別れ、広い自動車道路を天守閣目指して急ぎました。 大手門前の広場に着くと、大扉のわきに不思議な姿の人物が立っています。白装束で、刀を差しています。 「あの人かも知れないわ」 「そうみたい。勇気を出して行ってみよう」 近寄って見ると、ひげをはやし、絵で見た織田信長のような髷を結っています。 「あのう、私たち……」 「おう! 夢幻坊の姫と未来坊殿!」 「ぼく、未来です。『殿』なんて変ですから、未来くんて呼んでください」
資忠公は変なことを言いながら、人々を掻き分けて足を速めます。華固ちゃんと未来くんはメモを取る暇もなく後を追います。 「ずいぶん頑丈そうなお城ですが、誰が築いたのですか?」 「これは北条早雲公以来、五代にわたる北条氏によって築かれたものを、徳川氏の大名が更に手を加た。りっぱになったが、規模は小さくなった。上に上がってみれば分かる」 三人は急な階段を踏みしめて、五層の天守閣のてっぺんにたどりつきました。 『天守閣のてっぺんで』
「ほら、よく見えるじゃろう。南側一帯は今の姿じゃ。
海がすぐそこに見える。こちらに来て見るがい 「うわあ、広いや!」 「濠がいくつもあるし、建物もびっしりだわ」 「やぐらや物見台、武器庫に米蔵、さむらい屋敷などの建物じゃ。土塁や濠にはいろいろな仕掛けがなされていて、敵の攻め込む隙がなかったのじゃ」 「大きさはどのくらいですか?」 「うむ。今の物差しで言うと東西5,000メートル、南北7,000メートルもある日本一の巨城だった」 「全然見当がつかないや」 「おさむらいも迷子になっちゃいそうね」 「そのとおりじゃ。寿能城の十倍はあるからのう。難攻不落の名城として、天下に認められたものじゃったに ……」 資忠公は口惜しそうに言って唇をかみました。 「それなのに負けちゃったのは、なぜですか?」 「うーむ。理由はいろいろあるが、敵軍が余りにも大軍だったことが第一かのう。わが軍の5万余に対して、
約30万も押し寄せてきて取り囲んだ。海までが敵の軍船でいっぱいだった。鉄砲・大砲も数が多く、性能がいい。その上、秀吉の作戦が美事だった。わが軍は籠城戦略を取ったが、結果的にはまずかっ たのじゃ」 「じゃあ、始めから戦争をしなければよかったんですね」 「そういうことじゃ。秀吉は、朝廷のご命令によって小田原北条氏を討つという形をとったので、ほとんどの大名が秀吉方についてしまった」 「資忠さんは、どの辺で戦ったのですか?」 「右手に川が見えるが、あのあたりじゃ。わしは、岩槻城主太田氏房殿と共に、3千の兵を指揮してあの
『井細田口』を守った。そして、隙を見て敵陣に襲いかかることを繰り返していたが、
敵の矢玉に倒れた。息子の資勝も撃たれ、家来もほぼ全滅した。天正18年4月18日の合戦であった」 そう言った資忠公は、急に悲しみがこみあげてきたらしく、こぶしで涙を拭きました。 「大勢死んだんだ。敵も味方も」 「怪我人もたくさん出たのでしょうね。かわいそうだわ」 「そうなのじゃ。しかも、江戸城・河越城・岩槻城・松山城・鉢形城等、味方の城は次々に落城した。そして、ついに、総大将の北条氏政公、氏照公は降伏し、切腹ということになった。無惨なことよの。それでも、わしの主君にあたる氏房公は、死だけはまぬがれて、高野山にお預けとなったのじゃ」 資忠公はまた涙を拭きました。 華固ちゃんも悲しくなりました。未来くんがしっかりした口調で尋ねました。 「寿能城も、同じ頃攻め落とされたんですよね」 「そうじゃ、そうじゃ。その話をしなければいかん。大急ぎ、寿能城に飛ぼう!」 「えッ、寿能城に?」 驚くひまもないうちに二人を抱きかかえた資忠公は、目をつむらせました。 「開けてはいかんぞ。閉じておれよ。すぐに着くぞう……武蔵国、足立郡の寿能城跡へ飛ぶぞう……。よし! ほら、ついたぞ! 目を開けよ!」 言われるままに目を開けると、そこは、おととい来たばかりの寿能公園でした。 「あッ、ここは!」 『ふたたび立つ寿能城跡』
「一昨日、二人で調べに来たそうじゃな。今立っているこの場所には、物見櫓があった。本丸はずっと西の方だった。東の低い方一帯が見沼で、そこの野球場辺りが出丸だったのじゃ。分かっているだろうが、そこの西縁用水はまだできていなかったのじゃ」 「お殿様のいないお城は、誰が守ったのですか?」 「家老の北沢宮内を城代とし、数十人の家臣と、土地の領民総出で守ったわけじゃ」 「うんと戦ったのでしょうか?」 「いや、たぶん、半日も持たなかったであろう。岩槻城でさえ3日で落とされたようじゃからのう。6月20日頃のことだが、わしは、もう、この世にいなかった……」 「ここにいたら、この城を守り切ったでしょうか?」 「いや。わしがおったら……と思わないでもないが、しかし、いなくてよかったのじゃ。早く降伏してくれたので、犠牲者は少なかったと思う。城の建物はすべて焼かれてしまったが、
城代家老の北沢は、後に大宮宿の名主として尽くしたし、みんなが平和に暮らせるようになったのじゃからのう」 これを聞いて、華固ちゃんが口をとがらせました。 「でも、お姫さまはじめ、女の人はひどい目にあったのですよね」 「ん? なぜ、そのようなことを?」 「だって、女子供はみんな、見沼に身を投げて死んだことになっています」 「いや、それは知らんぞ!」 「龍神さまが助けて、願いどおりにホタルにしてくれたんだって、本に書いてあるわ」 「そう、そう。古くからの言い伝えで、華固ちゃんはホタル姫に会いたがってるんです」 未来くんは余計なことまで、強く言いました。 「そ、そ、そんなことがあったとは……。わしは知らなかったぞ!」 資忠公はすっかりあわててしまいました。そしてかなり取り乱した感じで叫びました。 「おうい、北沢! 出てまいれ! お前はわしを騙したのか? すぐに姫をつれて参れ。次男資政も、侍女たちも、みんなつれて参れ。北沢宮内!
どこにおるか!」 それは烈しい口調でした。華固ちゃんと未来くんは怖くなりました。 どうしたら静めらるか、おろおろしながら考えていました。 『狂ったか? 資忠公』
「やい、北沢! お前は、わしの息子資政を、太田安房守に預けたので無事だったと申したではないか!」 いくら叫んでも誰も出てこないので、資忠公はいっそう烈しく怒り出しました。
「やい、北沢宮内! 姫をはじめ女や子供は、戦が始まる前に逃がしたのではなかったのか?それを、今聞けば、見沼に身を投げて死んだというぞ。ホタルになったと言うぞ。わしを騙したのか! 騙したのなら、成敗するぞ!」 資忠公はぎらりと刀を抜きました。顔は真っ青、目はつり上がり、とても普通とは思えません。 華固ちゃんと未来くんは、身ぶるいしてあとずさりしました。 「逃げようか?」 「ええ! 逃げましょう!」 二人はさっと走り出しました。後をも見ずに走りに走り、用水べりの大きな建物の庭に倒れ込みま
した。 「お父さん! 助けてえ!」 「夢幻坊さーん! 助けてくださーい!」 二人は同時に叫んで、その場で気を失ってしまったのでした。 (おわり)
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第4回 寿能城落城(じゅのうじょうらくじょう)とホタル伝説を調べる −前 編− 『見沼のホタルは有名だった』 子ども新聞にホタルの記事が出るようになった6月、何回目かの総合学習のときです。担任の先生が新聞を手にしたままでこんな話をなさいました。
学校からの帰り道、華固ちゃんが未来くんに言いました。
むかしむかし、見沼のほとりに小笛という女の子が住んでいました。 後について行くとりっぱな御殿が現れ、人々に囲まれた美しいお姫様が待っていました。そして小笛にこう言ったのです。
おもしろいお話です。かわいそうなお話です。でも、見沼のほとりにお城があったのでしょうか? 供養塔は残っているのでしょうか? 『小さな公園の 大きな墓』
寿能公園はすぐ見つかりました。道路の右側、少し高くなったところで、集会所やゲートボール場もありました。そして奥の方に
、背丈(せたけ)よりも高く築(きず) かれた石の壇(だん)
があり、その上に大きな墓石(ぼせき)が立っていました。
(つづく) |
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第3回 八丁堤探検と関東郡代伊奈忠治公に会うの巻−後 編− 『水の神様は女神(めがみ)さま』
(第3回 おわり) |
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第2回 八丁堤(はっちょうつづみ)探検と
華固ちゃんと未来くんは、見沼に近い小学校の五年生です。きょうの社会科の時間に、地球の温暖化についての話がありました。その時、先生が、ちょっとだけ見沼の話をなさいました。それは、こういうことでした。
『八丁堤』はどこのある?
『水神社』って、どんな神様? 二人は芝川にかかるがっちりとした橋を渡りました。すると、目の前に、小さな鳥居のある神社がありました。神社の名前は“水神社”となっています。 (つづく) |
第1回 太田道灌 に会いに行くの巻
華固
( かこ ) ちゃんは、見沼に近い小学校の5年生です。 若葉のかおる初夏の日曜日の朝、身支度をととのえた華固ちゃんは、庭の奥にある『
護摩
( ごま )
堂
( どう ) 』という建物の前で、同級生の
未来
( みらい ) くんの来るのを待っていました。 きょうは、見沼 に関係の深い人で五百年ほど前に活躍した“太田
道
( どう ) 灌
( かん ) ”という武将に会いに行くのです。お父さんの不思議な
祈祷
( きとう ) の術によって、過去の世界へ連れていってもらうのです。 しばらくすると、未来くんが走って来ました。野球帽をかぶり、リュックを背負い、首から双眼鏡を下げています。
「お母さんのせいにしない方がいいわ」
「はい!」 返事をしたとたん、頭がもうろうとしてきて、未来くんは、何もかも分からなくなりました。華固ちゃんも、ほとんど同時に気を失ってしまいました。夢幻坊の声だけが、高く低く、長く短く、強く弱く、しばらくの間ひびいていたのでした。 気がつくと、いつの間にか、三人は暗いトンネルの中を歩いていました。聞こえるのは、足音と、水のしたたる音だけでした。 二キロぐらい歩いたでしょうか、いきなり
二人は元気を出して山道を登っていきました。 龍穏寺の山門をくぐると、正面の奥に、大きな本堂が見えました。左手には、少し小さなお堂が二つほど建っています。そして、その陰で、白い装束の男が、しきりに手招きしています。 「あれ、お父さんかしら?」
「まず、竜の話じゃが、見沼には伝説がいくつもあったのう。もう調べてあるのかな?」
「はい。竜の話は七つも八つもあるのですが、そのことよりも、道灌さんは竜に出会ったことがあるのかどうか…と」
華固ちゃんは“来てよかった”と心からのお礼を言いました。未来くんも、おもしろい話に筆記を忘れて聞き入っていました。
「さて、次は“砂町の地名”の話だったかな?」
「さて、今度は、城や合戦の話じゃな。歴史というと戦の話になりがちだが、何故だろうかのう?それはともあれ、質問に答えねばならんが、まずむつかしい話になるので、簡単な説明だけにしておこう。 太田家は、関東管領の上杉氏に仕えていたので、 武蔵 ( む さし ) ・ 相模 ( さがみ ) 両国(埼 玉・東京・神奈川)を守るため、たくさんの城を築いた。江戸城・川越城・岩槻城などじゃ。 岩槻は古くから交通の要所であり、水運の便もよかった。荒川の本流が台地を包むように曲がって流れており、その台地に城を築けば、どんな名将にも攻め落とせなかろうと、わしは考えて造った。この岩槻城の攻防戦は何度もあるので、大きくなったら調べてみるとよかろう。さて、次の「吉野原合戦」の話じゃが、あれは、孫 資高 ( すけたか ) がやったことじゃ。わしはもう殺されていた 」 「え! 道灌さん、殺されたんですか?」 「ありがとうございました。それで、今、何か残っているでしょうか?」
「長くなったが、いよいよ最後の話じゃな」 道灌さんは茶をすすり、華固ちゃんと未来くんにも、すすめました。 これには華固ちゃんはもちろんのこと、未来くんもびっくりでした。鉄砲が、ポルトガル人によって日本に伝えられる話は、まだ、誰からも聞いていなかったのです。 つづく |