第7回 足立ケ原(あだちがはら)の鬼婆(おにばば)伝説を調べるの巻

 

『見沼の代表的女性第2号は?』

 

  華固ちゃんと未来くんは、次のテーマを何にしようかと迷っていました。

  前回「見性院(けんしょういん)さん」を調べて評判(ひょうばん)がよかったので、また女性にしようと決めたのですが…。

「ねえ、未来くん。誰がいいと思う?」

「うーん、サツマイモのうまいのを発見した山田いちさんは、針ヶ谷だからね」

「見沼からは離れ過ぎてるわね。見沼の近くで誰かいないかしら?」

「だからぼくが言っただろう。華固ちゃんの…」

「ストップ! 言ったら打つわよッ」

「言わないよ、おばさんにしようなんて。ほんとうはもう一人、見つけてはあるんだ」

「誰さ。まじ?」

「まじだけど、華固ちゃん、反対するに決まってるから言わないよ」

「まじなら反対しないわ。過去(かこ)の人?」

「そう! 伝説だもの」

「それなら、なおさら反対しないわ。だれ?」

「まだ言えないね。『絶対(ぜったい)にしたがいます。協力(きょうりょく)します』と言わないかぎり……」

「あら、きょうは用心深いのね。いいわ。『絶対に反対しません。協力します』」

  華固ちゃんは、珍しく未来くんにしたがいました。

  未来くんは、怖(こわ)がらせないように気をつけて、お父さんから聞いた話をしました。


『調べるのは鬼婆? いや、伝説全体』
 

「昔は寿能城(じゅのうじょう)跡の辺り一帯は、足立ヶ原という荒野原(あれのはら)だったのだそうだよ。

そこに『黒塚』(くろずか)いう小山があって、お婆さんと娘が住んでいた。娘はふつうだったが、お婆さんは鬼みたいで、

旅人を泊めては食ってしまうんだって」

「えッ、そのお婆さんのことを調べるの? ちょっと、嫌だわ」

「違う、違う! それを、改心(かいしん)させた坊さんのことや、その黒塚という塚山(つかやま)が、今もあるのかないのか

など、話の全体を調べるんだよ。見沼らしい、面白い伝説だそうだよ」

  未来くんの上手な説明で、華固ちゃんは少しずつやる気になってきました。

「調べる順序だけど……先ず、地図と昔話の本で、あらましをつかんでおこうか」

「そうね。わたし、お父さんの書斎を見てくるわ」

「あ、それは有難い。華固ちゃん、サンキュー」

  華固ちゃんの持ってきた埼玉の民話や伝説の本の中に、『黒塚の鬼婆』とか『足立ヶ原の鬼女(きじょ)伝説』というのが

  いくつかありました。しかし、内容が少しずつ違っています。

「どうしようか?」

「そうね。ごっちゃにして、あらましをまとめればいいんじゃない」

「そうか。じゃあ、いつものように順に書き並べてみようか」


『足立ヶ原の黒塚伝説』
 

  二人は本を読みくらべながら、次のようにまとめました。

① 昔は大宮の氷川神社の東方一帯(とうほういったい)を足立ヶ原と呼んでいた。ここに、旅人に宿(やど)を貸して暮らす

② ある晩、一人の旅人が泊まったとき、お婆さんは、「この扉(とびら)の奥は絶対に見てはいけない」と、

③ 旅人が不審(ふしん)に思って開けて見ると、中は骸骨(がいこつ)の山で、旅人は気絶してしまった。

④ 娘が帰ってきて旅人を看病(かんびょう)し、母親の悪行(あくぎょう)を話して逃がしてやった。

    『足立ヶ原に鬼婆が出る』と全国に広まった。

⑤ 熊野那智権現(くまのなちごんげん)の阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)(宥慶(ゆうけい)とも)諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の途中

    これを聞き、人々を救おうとして、ここに来て鬼女と対決、仏法の力で打ち負かした。鬼女は石となった。

⑥ 裕慶は塚を築いてこの石を埋めた。これが『黒塚』である。

⑦ また裕慶はこの近くに庵(いおり)を建て、『東光坊(とうこうぼう)』と名づけて仏道を広めた。
⑧ この東光坊が後の東光寺であるという。


「やっとまとまったわ」
「凄い、すごい! うまくできたよ」
「これで現地へ行って、黒塚を探したり、東光寺の写真を撮ってくればほぼ完成ね」
「そうだよ。この調子なら、うんと早く、しかもうまくできあがりそう……」
  二人はとても嬉
(うれ)しそうでした。

 

 

『黒塚山はどこにある?』


  土曜日のこと、二人は身仕度
(みじたく)をととのえ、自転車の点検をすませた後、改めて地図を見つめました。

  華固ちゃんが、昨夜、新発見をしたというのです。

「『大宮文学散歩』という本に黒塚のことが出ていたの。産業道路のわきに大黒様あって、 そこから東の方一丁ぐらいのところに最近までお稲荷(いなり)さんの塚があったのだって」
「その塚が、石になった鬼婆を……」
「鬼婆って言わないで……。まだ鬼女の方がいいわ」
  固ちゃんはそう言いながら、気味悪げに読み上げました。
『……これが阿闍梨宥慶に折伏
(しゃくぶく)されて石と化した黒塚の鬼女の塚と言われていたが、何時の間にか削平(さくへい)されて、住宅が建ってしまった。これまた惜(お)しいことであった』
「今は、塚がないということなんだ。でも、お稲荷さんは残っているよね」
『分からないけど、出かけましょう!用水縁
を通って行きましょうね。」
  二人は元気に出発したのでした。けれども話は大昔のこと、今は、自然が日に日に消えていきます。
  二人には、黒塚跡もお稲荷さんも、どうしても見つかりませんでした。

『大黒院は不思議なお寺』

 

  歩き疲れて休みたいと思った時でした。目の前に大きなお寺が建っていました。
  ふと横を見ると、  『黒塚山大黒院』と書いてあります。

「あれ? ここが黒塚なんだ!」
「でも、お稲荷さんじゃないわね」
「あ、そこ、産業道路かな? すごく車が通ってるみたい」
  未来君が庭の奥へ入っていきました。華固ちゃんはそこに建っている平たい大石を見つめていました。

 大黒様の姿が線だけで彫り込んであるのです。


「産業道路に間違いないみたい」
「それでいいんだわ。ここが大黒院で、黒塚山ってかいてあるんだから、伝説の黒塚ってここだったのだわ。
写真を撮っておきましょうよ」
「うん。そして、お堂の中ものぞいてみようか?」
  そう言っているところへ、客を送りながら和尚
(おしょう)さんらしい人が出てきました。
「ほうほう、社会科の勉強できたのかな?」
「社会科でなくて、総合学習なんです」
「ほう、変わった学問なんだねえ。感心だ。この寺や、黒塚の話をしてあげよう」
  そう言って本堂
(ほんどう)へ上げてくれたのです。

 

「残りものだがうまいお菓子だ。さ、遠慮(えんりょ)しないでいいよ。さて、少し怖い話だが……」

  そう前置きして聞かせてくれたのは、旅人を食った鬼婆の話でした。

  本で読んだのよりもずっと怖い話なので、 華固ちゃんは少しふるえていました。
「ぼくたち、これだけ調べて書いてみました」

  話が終わって未来くんがノートを差し出すと、和尚さんはていねいに目を通しました。

「よくまとまってるね。後の方にちょっと付け加えると、もっと正確になるでしょう」
  そう言って、鉛筆
(えんぴつ)でうすく書いてくれました。

 この東光坊が後の東光寺であるという。
   [鎌倉
(かまくら)時代の初めのころ、 梁室元棟和尚(りょうしつげんとうおしょう)

   本尊(ほんぞん)を薬師如来(やくしにょらい)とし、曹洞宗(そうとうしゅう)に変えて

   場所も宮町に移し、『大宮山東光寺』とした」
[東光寺の跡地
(あとち)には、今、真義真言宗(しんぎしんごんしゅう)・黒塚山

   大黒院が建てられている]

『和尚さんにも課題(かだい)がある』

「これでいいと思うよ。ところでこの寺は、いろいろな意味で珍しがられているのだよ。先ず、入り口の階段が十二段だ。 十三仏になぞらえて十三段だったのだが、産業道路を広げるので一段無くなった。 後で見てごらん。
それを登ると山門だが、神社のように鳥居(とりい)が建っているんだ。そして、気がついたかな? 

庭にある大黒様を彫った大きな石。 あれは大正時代に地中から掘り出されたものだ。何百年も前に作られたものらしいのだが、どのように祭られ、いつごろ、どうして埋められたのかなど、わたしにも分からない」
  聞いている二人の顔はほてってきて、手には汗がにじんでいました。
「まだある。これを見てごらん」
  見上げると、大きな鴨居
(かもい)に半紙が四、五枚貼ってあります。願いを書いた紙です。

「このように、『安達ヶ原(あだちがはら)』とか『黒塚』とかいう能(のう)や歌舞伎(かぶき)浄瑠璃(じょうるり)などをやる人が、その上演の成功を祈りにやってくる。 

有名な役者さんもくるのだよ。それから、この寺では、節分の豆まきでも『福はうち』は唱えるが『鬼はそと』とは言わぬのじゃ。なぜか分からない。考えてみてくれないかな。

ん? 今日は少ししゃべりすぎたかな」
「いいえ、面白かったです」
「ありがとうございました」

「いやいや、君たちの予定もあったろうに悪かったね。もう一つだけ参考(さんこう)までに話すと、この黒塚の話は福島県の二本松にもあって、向こうでは『こちらが本拠(ほんきょ)だ』と言い張って論争(ろんそう)になったこともあるんだ。

伝説なのだから、どちらが本拠でもいいのだが、争(あらそ)いになる訳を調べておきたいと思っている。君たちも覚えておいて機会があったら向こうへも行ってみなさい。何か分かったら教えてもらいたいね。では、またいらしゃい」
「ありがとうございました。またお願いします」

二人はていねいにおじぎをして引き上げました。

(おわり)

 

〜〜今回のお話に出て来た東光寺と大黒院の場所〜〜

 

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第6回 清泰寺(せいたいじ)に眠る女性「見性院(けんしょういん)さん」を調べるの巻

 

 

『見沼の歴史に残る女性は?』

華固ちゃんと未来くんは、ホタルの伝説や寿能(じゅのうじょう)・小田原城のことを調べてみて、見沼にいっそう興味を持つようになりました。そして、早く別の研究を始めたいと思いました。

「ねぇ、未来くん。今度は何にしようか?」

「う−ん、何がいいかなぁ。面白い伝説か、実話がいいね」

「それはそうだけど……。お侍じゃなくて偉い人、いないかしら?」

「むずかしいなぁ。お侍でなくて偉い人っていうと、お医者さんか、お坊さんか……」

「でも、女性がいいわ」

「そうか。女性でもいいのか……」

「女性でもいいのかではなく、女性に決めましょう。絶対に、女性がいいわ」

「そんなこと言ったって、いないんじゃないかなぁ。女性で偉い人って……」

 二人のこんな話を、ちょうど通りかかった夢(むげんぼう)が耳にしました。

「ほほう! なかなかいい相談をしているではないか」

「あ、お父さん、聞いていたの? いやだわ」

「いや、聞いていたのではなくて、聞こえてしまったんだ。女性にも立派な人がいるよ」

 華固ちゃんのお父さんが、にこにこしながら教えてくれました。

 「大牧(おおまき)に清泰寺という天台宗の寺がある。東浦和駅の近くだ。

その寺の墓地へ行ってみなさい。 石の柵で囲われ、正面には葵(あおい)(もん)のついた門扉が建っている。 徳川家康と同じ頃に実在した女性の墓だ。 この人のことを調べてまとめたらどうかな」

 「あ、それは有難い。華固ちゃん、すぐ行ってみようよ」

「そうね。お父さん、ありがとう。やはり、昔の女性にも偉い人がいたのね」                                        

「うむ。昔も今も変わらない。りっぱな女性はいくらもいる。多くの人に知られているかどうかの違いだけだと思うよ」

 夢幻坊は淡々と言い残して、護摩堂(ごまどう)の方へ行ってしまいました。

 

『女性の名は 見性院』

 

二人は地図をはじめ、人名辞典や郷土史の本を出して調べてみました。その女性は、名を見性院とい

い、調べる値打ちのある素晴らしい女性だということが分かってきました。

◎戦国時代の武将、武田信玄の次女。穴山梅雪(あなやまばいせつ)という将の妻となった女性。

◎夫が亡くなったあと、徳川家康に養われ、大牧村に六百石を与えられた。

◎お志津(おしづ)という侍女に二代将軍秀忠の子ができると、ひそかに母子を(まも)り育てた。

◎その子が後の保科正之(ほしなまさゆき)であり、会津(あいづ)二十三万石の藩主(はんしゅ)となった。

◎見性院が亡くなり、大牧村の清泰寺に葬(ほうむ)られたが、保科正之は霊廟(れいびょう)を造り、手厚く祭った。後に霊廟が倒壊(とうかい)したので、その門扉が墓所に移されて今に至っている。

   

「ああ、これだけ分かればいいわ。お墓を見た後、また調べましょ」

「そうだね。分からないことがいっぱいあるけど、見てきてからとしようや」

二人は地図を広げ、寺の場所と道順を確かめ、清泰寺を目指して出発しました。

昔からの道だという赤山街道を東浦和駅の方に進んでいくと、左側の角に『清泰寺』と書かれた案内板があり、お地蔵さんが並んでいました。本堂に向かって進むと、左手にたくさんの墓石の並ぶ墓地があり、そこに大きな屋根をつけた木造の門が見えました。

あれだわ、きっと」

「そうらしいね。葵の紋らしいのがついてるよ」

近づいて見ると、古ぼけた感じではありますが、大きな三ッ葉葵の紋章をつけた

威厳(いげん)ある門です。そして中には『見性院殿(けんしょういんどの)の墓と彫(ほ)った大きな墓石が建っています。

「うわァ、凄いや!」

「よほど偉い人だったのね」

     

 

『住職さんの話』

 

手を合わせた後、住職さんを訪ねると、本堂の隣の部屋に通されました。夢幻坊が電話で知らせ、説明してやってくれと頼んだらしいのです。

その部屋のなげしには、立派なの肖像画(しょうぞうが)の額が三つも架けられていました。

どの人もとても偉そうに見えたので、すぐ傍(そば)まで行ってみると、『二代将軍徳川秀忠公』『保科肥後

守正之公(ほしなひごのかみまさゆきこう)』『保科正之公生母、お志津の方』と書いてありました。

家で調べてきたので、いくらか分かります。見性院さんの額はありません。

住職さんがにこにこ顔で出てきました。

「どうじゃな。見性院さんのお墓、よく拝(おが)んできたかね」

「あ、いけねぇ! 拝むのを忘れていました」

「すみません……」

二人は恥ずかしそうに下を向きました。

「ま、よかろう。来てくれただけで、見性院さんは喜んでいなさるだろう」

住職さんはそう言ってから、やさしい言葉で、武田信玄のこと、見性院のこと、肖像画のことなどを話してくれました。

「これが二代将軍の徳川秀忠公だが、仕えていたこのお志津の方に子ができたので、奥方にしられないように見性院が

親代わりになって育てたということじゃ。  その子は幸松丸(こうまつまる)と名づけられ、七歳のとき、今の長野県高遠(たかとう)という所の保科家の養子になった。そして後には会津藩二十三万石の藩主になったのじゃ。

何しろ、三代将軍家光公の弟じゃからのう。どうだ、この肖像画、秀忠公と同じぐらい立派だろう」

住職さんは自分のことのように嬉しそうに話して、保科正之の肖像画を指差しました。

「見性院さんの額はないのですか?」

「そうなんじゃ。  あるといいのじゃが、描かれるのが嫌いだったのか、火災にあって焼けてしまったのか、

事情は分からない。 絵はないが、本堂の阿弥陀如来(あみだにょらい)は、見性院さんをかたどったものと言われておるのじゃ。

ま、この三つの肖像画もそれぞれ模写(もしゃ)したもので、原画のことは分からんのじゃ。

それとは別に、面白いものがあるから見せよう」

そう言って広げてくれたのは巻物(まきもの)で、何やら筆で書かれています。

 

『お志津さんという人の願文』

 

これも書き写してもらったものだが、お志津さんが大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)に納めた願文というものじゃ。

つまり、神様に、これだけは是非(ぜひ)お聞き届けくださいという願いの文章だ。

内容が素晴らしいので、ことばをやさしくして読んであげよう」

 住職さんは、ゆっくりと、およそ次のように読んでくれたのでした。

 

(うやま)って申し上げます。  

南無氷川大明神(なむひかわだいみょうじん)さま。

わたくしはたいへん(いや)しい身分の者ですが、将軍秀忠さまにかわいがられ、その御子を宿し、今年の四月か五月が誕生日となります。

けれども御台(みだい)さまは嫉妬(しっと)のお心が深く、城内にいることはかないません。

今は、信松善女(しんしょうぜんにょ)(見性院の妹)のせわになり、見沼のほとりに隠れ住んでおります。

どうか、わたくしの胎内の子が男の子で、無事に出産できますようお守りください。

母子共に命を大事にして、ご運が開けるようつとめますので、この大願(たいがん)成就(じょうじゅ)しますよう、心からお祈り申し上げます。

この願いがかなって、お志津は男の子を生みます。この知らせを聞いた秀忠は、ひそかに名を幸松丸とつけさせました。

華固ちゃんと未来くんは、もやもやっとした気分の中に不思議な興奮を感じて座りつづけていたのでした。

 

『もっと知りたい調べたいこと』

 

家に帰ると、夢幻坊が護摩堂の前に立っていました。

「だいぶ勉強したようだな。ところで今すぐ、五分ぐらいなら、見性院さんが会ってくれると言うぞ。どうする?」

「会ってみたいわ。清泰寺に肖像画が無かったんだもの。でも、五分じゃね」

「ぼくは、会って穴山梅雪という人のことを聞きたいな。でも、五分じゃ」

「そうか。お父さんも聞きたいことがあるし、別の日にゆっくりお伺いするとしようか。とにかく、美しく上品で、まるで仏様のようなお姿らしい。」

夢幻坊はそう言いながら、護摩堂に入っていきました。

「ねえ、未来くん。こんどの研究、女性にしてよかったね」

「うん。まあね。」

「この次も女性にしましょうよ。だれがいいかしら?」

「うーん、もう、いないんじゃないかな」

未来くんは腕を組んで考えていましたが、急に叫ぶように言いました。

「あ、一人いた! いたよ!」

「だれ?だれなのさ」

「う、ふふふ」

未来くんはにやにやしながら腕組みを解きましたが、なかなか言いません。

「だれなの?何をした人なの?」

華固ちゃんはじれったそうに催促します。

「うん。それは子育てのじょうずな奥方でね。素晴らしいお姫さまを育てた人……」

「それ、誰かしら?」

「その子育てのじょうずな奥方はね、華固姫を育てたおばさんのこと!」

言い捨ててぱっと二、三歩飛びさった未来くんに、華固ちゃんの(こぶし)は届きません。

「言ったわね。覚えていなさいよ」

華固ちゃんは目を釣り上げて、未来くんを睨(にら)み付けていました。

(おわり)

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第5回  寿能城落城(じゅのうじょうらくじょう)とホタル伝説を調べるの巻

『寿能城とはどんな城?』

華固ちゃんと未来くんは、寿能城のことを、夢幻坊に聞く前に事典で調べることにしました。調べるのってめんどうだけど、お父さんが、『人に聞く前に調べなさい。楽をして得た知識なんて身につかないぞ』って、いつも言うからです。

二人は次々に本を開いていきました。百科事典や郷土史事典、ふるさと散歩、埼玉の古城址、見沼見学案内など、参考書はいろいろありましたが、どれも文章が難しくてよく分かりません。二人は分かる言葉だけをつなぎ合わせるようにして、二つにまとめました。

①寿能城=大宮区寿能町一丁目から二丁目にかけての台地上に築かれた岩槻城の支城。永禄31560)岩槻城主太田三楽斎資正が、四男資忠に大宮・浦和・木崎・領家などを与えて築かせた城である。 規模は、氷川神社の裏の市立北中学校から大和田公園に至る、東西約870メートル、南北約440メートルの平城であった。
天正18年(1590)の6月、豊臣軍に攻められて落城した。

②潮田出羽守資忠=寿能城主。父は太田三楽斎資正。母が潮田常陸介の妹であったため、分家した とき、母方の姓を名乗った。天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めたとき、長男資勝や家臣をつれ、援軍として小田原城に入り、同年4月18日、豊臣軍と戦って親子共に戦死した。

「これだけ分かればいいわ。お父さんの所に行きましょう」

華固ちゃんと未来くんは、書斎にこもっている夢幻坊を訪ねました。

 

『さすがは行者・夢幻坊』

 

「お父さん! きょうはね、大宮公園の方まで行ってきたの」

「ほほう、何を調べたんかな?」

「寿能城と、潮田出羽守という殿様のこと」

「ほう! そりゃあ偉い! よくやったぞ!」

びっくりするほどの褒めことばに、華固ちゃんも未来くんも飛び上がって喜びました。

「それでね。わたしたち、お父さんに……」

「分かった、分かった。つれてってやるぞ!」

「え? どこに? まだ、何も言ってないわ」

「決まってるだろう。潮田の殿様の所だ」

「わあ、うれしい! よく分かったわね!」

「さすがァ! 大先達の夢幻坊だ!」

「そう、おだてるな。きょうではないぞ。向こうの都合もあるからな。いい人だ。わしはあの殿様が大好きなんだよ」

お父さんは目を細め、うれしそうに言って護摩堂へ入っていきました。

しばらくすると、お父さんがにこにこしながら戻ってきました。

「決まったぞ! あさっての日曜日、午前十時、小田原城の大手門前だ」

「え、えッ? 小田原城?」

「寿能城の間違いでしょ?」

二人はびっくりぎょうてんです。

「いいや、小田原城だ! 潮田父子は、小田原城の攻防戦で戦死したのだ。それでな。激しい戦闘のあった小田原城を見せておきたいとおっしゃるのだ」

言われてみればもっともです。二人は『小田原』のことを調べてから別れました。

 

『小田原城と白装束の男』

その朝、華固ちゃんと未来くんは、遠足に行くような気分で護摩堂に入りました。夢幻坊
は、いつものように不思議な呪文を唱えて、二人を小田原駅前まで導いてくれました。

「さ、ここでよかろう。ほら、あそこのビルの右側に、お城の天守閣が見えている。あれを目当てに行けば、自然に大手門の前に着く。失礼がないように気をつけてな」

「はあい。いっぱい聞いてきまーす」

二人は夢幻坊と別れ、広い自動車道路を天守閣目指して急ぎました。

大手門前の広場に着くと、大扉のわきに不思議な姿の人物が立っています。白装束で、刀を差しています。

「あの人かも知れないわ」

「そうみたい。勇気を出して行ってみよう」

近寄って見ると、ひげをはやし、絵で見た織田信長のような髷を結っています。

「あのう、私たち……」

「おう! 夢幻坊の姫と未来坊殿!」

「ぼく、未来です。『殿』なんて変ですから、未来くんて呼んでください」

「わたしも『姫』でなく、華固くんと呼んでください」

「うむ。未来くんと華固くん。わしが潮田資忠じ

ゃ。わしの最期となった小田原の古戦場を見せたくて来てもらった」

「ありがとうございます」

「すぐに天守閣に登ろう。何しろ、過去の時間は速く動くでのう」

資忠公は変なことを言いながら、人々を掻き分けて足を速めます。華固ちゃんと未来くんはメモを取る暇もなく後を追います。

「ずいぶん頑丈そうなお城ですが、誰が築いたのですか?」

「これは北条早雲公以来、五代にわたる北条氏によって築かれたものを、徳川氏の大名が更に手を加た。りっぱになったが、規模は小さくなった。上に上がってみれば分かる」

三人は急な階段を踏みしめて、五層の天守閣のてっぺんにたどりつきました。

 

『天守閣のてっぺんで』

 

「ほら、よく見えるじゃろう。南側一帯は今の姿じゃ。

    海がすぐそこに見える。こちらに来て見るがい い。
  ほら、北から西にかけては、天正18年、豊臣方と対戦した
     当時のままの小田原城じゃ」

「うわあ、広いや!」

「濠がいくつもあるし、建物もびっしりだわ」

「やぐらや物見台、武器庫に米蔵、さむらい屋敷などの建物じゃ。土塁や濠にはいろいろな仕掛けがなされていて、敵の攻め込む隙がなかったのじゃ」

「大きさはどのくらいですか?」

「うむ。今の物差しで言うと東西5,000メートル、南北7,000メートルもある日本一の巨城だった」

「全然見当がつかないや」

「おさむらいも迷子になっちゃいそうね」

「そのとおりじゃ。寿能城の十倍はあるからのう。難攻不落の名城として、天下に認められたものじゃったに   ……」

資忠公は口惜しそうに言って唇をかみました。

「それなのに負けちゃったのは、なぜですか?」

「うーむ。理由はいろいろあるが、敵軍が余りにも大軍だったことが第一かのう。わが軍の5万余に対して、 約30万も押し寄せてきて取り囲んだ。海までが敵の軍船でいっぱいだった。鉄砲・大砲も数が多く、性能がいい。その上、秀吉の作戦が美事だった。わが軍は籠城戦略を取ったが、結果的にはまずかっ たのじゃ」

「じゃあ、始めから戦争をしなければよかったんですね」

「そういうことじゃ。秀吉は、朝廷のご命令によって小田原北条氏を討つという形をとったので、ほとんどの大名が秀吉方についてしまった」

「資忠さんは、どの辺で戦ったのですか?」

「右手に川が見えるが、あのあたりじゃ。わしは、岩槻城主太田氏房殿と共に、3千の兵を指揮してあの 『井細田口』を守った。そして、隙を見て敵陣に襲いかかることを繰り返していたが、 敵の矢玉に倒れた。息子の資勝も撃たれ、家来もほぼ全滅した。天正18年4月18日の合戦であった」

そう言った資忠公は、急に悲しみがこみあげてきたらしく、こぶしで涙を拭きました。

「大勢死んだんだ。敵も味方も」

「怪我人もたくさん出たのでしょうね。かわいそうだわ」

「そうなのじゃ。しかも、江戸城・河越城・岩槻城・松山城・鉢形城等、味方の城は次々に落城した。そして、ついに、総大将の北条氏政公、氏照公は降伏し、切腹ということになった。無惨なことよの。それでも、わしの主君にあたる氏房公は、死だけはまぬがれて、高野山にお預けとなったのじゃ」

資忠公はまた涙を拭きました。

華固ちゃんも悲しくなりました。未来くんがしっかりした口調で尋ねました。

「寿能城も、同じ頃攻め落とされたんですよね」

「そうじゃ、そうじゃ。その話をしなければいかん。大急ぎ、寿能城に飛ぼう!」

「えッ、寿能城に?」

驚くひまもないうちに二人を抱きかかえた資忠公は、目をつむらせました。

「開けてはいかんぞ。閉じておれよ。すぐに着くぞう……武蔵国、足立郡の寿能城跡へ飛ぶぞう……。よし! ほら、ついたぞ! 目を開けよ!」

言われるままに目を開けると、そこは、おととい来たばかりの寿能公園でした。

「あッ、ここは!」

 

『ふたたび立つ寿能城跡』

 

「一昨日、二人で調べに来たそうじゃな。今立っているこの場所には、物見櫓があった。本丸はずっと西の方だった。東の低い方一帯が見沼で、そこの野球場辺りが出丸だったのじゃ。分かっているだろうが、そこの西縁用水はまだできていなかったのじゃ」

「お殿様のいないお城は、誰が守ったのですか?」

「家老の北沢宮内を城代とし、数十人の家臣と、土地の領民総出で守ったわけじゃ」

「うんと戦ったのでしょうか?」

「いや、たぶん、半日も持たなかったであろう。岩槻城でさえ3日で落とされたようじゃからのう。6月20日頃のことだが、わしは、もう、この世にいなかった……」

「ここにいたら、この城を守り切ったでしょうか?」

「いや。わしがおったら……と思わないでもないが、しかし、いなくてよかったのじゃ。早く降伏してくれたので、犠牲者は少なかったと思う。城の建物はすべて焼かれてしまったが、  城代家老の北沢は、後に大宮宿の名主として尽くしたし、みんなが平和に暮らせるようになったのじゃからのう」

これを聞いて、華固ちゃんが口をとがらせました。

「でも、お姫さまはじめ、女の人はひどい目にあったのですよね」

「ん? なぜ、そのようなことを?」

「だって、女子供はみんな、見沼に身を投げて死んだことになっています」

「いや、それは知らんぞ!」

「龍神さまが助けて、願いどおりにホタルにしてくれたんだって、本に書いてあるわ」

「そう、そう。古くからの言い伝えで、華固ちゃんはホタル姫に会いたがってるんです」

未来くんは余計なことまで、強く言いました。

「そ、そ、そんなことがあったとは……。わしは知らなかったぞ!」

資忠公はすっかりあわててしまいました。そしてかなり取り乱した感じで叫びました。

「おうい、北沢! 出てまいれ! お前はわしを騙したのか? すぐに姫をつれて参れ。次男資政も、侍女たちも、みんなつれて参れ。北沢宮内! どこにおるか!」

それは烈しい口調でした。華固ちゃんと未来くんは怖くなりました。

どうしたら静めらるか、おろおろしながら考えていました。

 

『狂ったか? 資忠公』

 

「やい、北沢! お前は、わしの息子資政を、太田安房守に預けたので無事だったと申したではないか!」

いくら叫んでも誰も出てこないので、資忠公はいっそう烈しく怒り出しました。

「やい、北沢宮内! 姫をはじめ女や子供は、戦が始まる前に逃がしたのではなかったのか?それを、今聞けば、見沼に身を投げて死んだというぞ。ホタルになったと言うぞ。わしを騙したのか! 騙したのなら、成敗するぞ!」

資忠公はぎらりと刀を抜きました。顔は真っ青、目はつり上がり、とても普通とは思えません。

華固ちゃんと未来くんは、身ぶるいしてあとずさりしました。

「逃げようか?」

「ええ! 逃げましょう!」

二人はさっと走り出しました。後をも見ずに走りに走り、用水べりの大きな建物の庭に倒れ込みま した。

「お父さん! 助けてえ!」

「夢幻坊さーん! 助けてくださーい!」

二人は同時に叫んで、その場で気を失ってしまったのでした。

(おわり)

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第4回 寿能城落城(じゅのうじょうらくじょう)とホタル伝説を調べる

  −前 編− 

見沼のホタルは有名だった』

 子ども新聞にホタルの記事が出るようになった6月、何回目かの総合学習のときです。担任の先生が新聞を手にしたままでこんな話をなさいました。
「昔は見沼にもたくさんのホタルがいたんだ。大型のゲンジホタルは特に有名で、東京の方からの見物客(けんぶつきゃく) でたいへんな賑(にぎ)わいだった。ホタルの季節がくると、大宮町の人たちは、たくさんのホタルを捕(つか)まえて宮中(きゅうちゅう) にまで届けたほどだったのだよ。」
 
これを聞いて、質問好きの研ちゃんが手をあげました。
「先生! それ、ほんとうですか?」
「ほんとうだとも。いろいろな記録に残っているし、先生が子どもの頃には、庭先にまで何匹も迷い込んできたものだ」  
「じゃあ、どうして、今の見沼にはいなくなったんです?」
 
「そこなんだ。それをみんなに調べてもらいたい。ホタルだけでなく、有名だったシラサギも、うるさいほどいたカエルも、メダカやドジョウやイナゴも減った。絶滅(ぜつめつ)に近いものがいっぱいいる。なぜ、減ったのか? なぜ姿を消したのか? そういうことを、いろいろな角度から調べてもらいたいのだ。これは大事なことなんだ」


先生は熱っぽく語ります。迷い顔でいた華固ちゃんは、未来くんの顔を見てから手をあげました。
「先生! わたしたちは歴史や伝説を調べていたのですが、どうすればいいので すか?」  
「ああ、今までの続きをやる人は続ければいい。テーマが一段落したグループのために投げかけた問題なのだから」
これを聞いて華固ちゃんは安心しました。そして、さっきから思い浮かべていたテーマで進めようと決心したのでした。

  『悲しいホタルの伝説』

学校からの帰り道、華固ちゃんが未来くんに言いました。  
「ねえ、未来くん。わたしたちの研究、今度は『見沼のホタル伝説』ってことにしたらどうかしら?」
「ああ、いいね。でも、ホタルの伝説がなかったらどうする?」  
「しかたないわ。『見沼のホタルの歴史』ってことになるわね」  
「うーん。面白くないけど、しょうがないかな」
未来くんはあっさりとそう言いました。 華固ちゃんは、帰るとすぐにホタルの伝説を探し始めました。 ありました、ありました。『ほたるの御殿(ごてん) 』という見出(みだし) しになっています。
華固ちゃんは夢中で読み出しました。


 

むかしむかし、見沼のほとりに小笛という女の子が住んでいました。 ある夏の夕方、小笛が、笛を吹きながら見沼のほとりを歩いていると、別の笛の音が聞こえてきました。こちらがやめると向こうもやめます。不審(ふしん)に思ってたどっていくと草むらの中に古井戸があり、笛の音はそこから聞こえていたのです。
 
おそるおそる覗(のぞ)いてみると、たくさんのホタルがいます。あっと驚いたとたん、わあっといっせいにそのホタルが飛び出してきました。そして女の子の頭上(ずじょう) を飛び回ったあと、誘うように竹やぶの中に入っていきます。
 後について行くとりっぱな御殿が現れ、人々に囲まれた美しいお姫様が待っていました。そして小笛にこう言ったのです。
 


「わたしは、昔ここにあったお城に住んでいた者です。戦(いくさ)があって城は焼かれ、わたしたちは見沼に身を投げました。それを憐(あわ) れんだ竜神様が、わたしたちをホタルに変えてくださいました。そして夏の夜のひとときだけ、ここで大好きな笛が吹けるのです。 どうか村に帰ったら、わたしたちのために供養塔(くようとう)を建ててくださるように頼んでください」 

 
と涙ながらに語るのでした。 小笛からこの話を聞いた村人たちは、 早速(さっそく) 、見沼のほとりに供養塔を建てて、昔の人々を弔(とむら) ったということです。おしまい。

 

  『見沼の近くに城があったか?』

 

 おもしろいお話です。かわいそうなお話です。でも、見沼のほとりにお城があったのでしょうか? 供養塔は残っているのでしょうか? 華固ちゃんは、未来くんが来るとこの伝説を紹介しました。未来くんが読み終わると、地図を広げて言いました。  
「ねえ、未来くん。見沼のほとりに、昔、城があったって、聞いたことがある?」
 
「ほら、この間行った赤山城があるよ」
「あれはだめよ。見沼からは遠すぎるわ」
 
「そうか、遠すぎるか……。じゃあ、その地図で探してみよう」

二人は『見沼見学案内図』を端(はし)からていねいに探してみました。そしてようやく一つだけ見つけたのでした。それは大宮公園の東側、寿能町(じゅのうちょう)二丁目の見沼代用水(みぬまだいようすい) のすぐそばで、地図には市や県の指定文化財を示す赤い記号があり、『 寿能城跡(じゅのうじょうあと) 』と書いてあります。  
「ここなら自転車で行かれるね」
「行かれるわ。すぐ行きましょうか」
「うん。行こう。行こう」
二人は市立病院の西側から用水べりに出て、桜並木(さあくらなみき) の舗装道路(ほそうどうろ) を進みました。 大宮第二公園入り口で案内人のおじさんに聞くと、少し先の『寿能公園』という小さな公園がその城跡だと教えてくれました。そして更にこう言いました。
「石垣(いしがき)の上に大きな墓石が建っているが、それが城主だった殿様の墓だ。よく拝(おが) みなよ。『潮田出羽守資忠公(うしおだでわのかみすけただこう) 』という、立派な武将(ぶしょう)だったのだからな」
「はーい」
「どうもありがとう」
 二人は先へ急ぎました。

 

『小さな公園の 大きな墓』

 

 寿能公園はすぐ見つかりました。道路の右側、少し高くなったところで、集会所やゲートボール場もありました。そして奥の方に 、背丈(せたけ)よりも高く築(きず) かれた石の壇(だん) があり、その上に大きな墓石(ぼせき)が立っていました。


「これだ、これだ!『ウシオダ』って言ったね」
「そう。『デワノカミ、スケタダコウ』って言ったわ」
「長くて、むずかしい名前だけど、華固ちゃん、書いておいてね」
「いいわ。どんな人物か、詳(くわ) しく知りたいわね」
「今は読むのも精一杯(せいいっぱい)だ。残念だけど、しかたがないや」
未来くんは、上にあがって石をなでまわしました。冷たくて、気が滅入(めい) るような感じがしました。
「家来(けらい)の墓がないし、城らしい石垣(いしがき) もないね」
「いいわよ。それよりも、ここに城跡(しろあと) があって、殿様の墓があるんだから、戦(いくさ)があって落城(らくじょう) したことは確かだと思うわ。そのとき、お姫様や奥方(おくがた) や、仕(つか) えていた女の人が、見沼に飛び込んで死んだんだわ。そしてホタルになったのよ。竜神さまが助けて、ホタルに変えたのよ」
「おい、華固ちゃん。待ってくれよ。ちょっと薄気味(うすきみ) わるいよ」
未来くんが怯えたように言って下りてきたので、華固ちゃんも少し怖くなりました。


「きょうはこれで帰りましょう。帰って、わたしのお父さんに聞いてみましょう」
「うん、そうしよう。大夢幻坊(だいむげんぼう)なら、この『うしおだ』という殿様のところへ連れていってくれるかもしれない」
「あら、それ、いい考えだわ。わたし、あのお姫様に会いたいわ」
「ああ、いいね。華固姫とホタル姫の面会なんて、すばらしいよ!」
「言ったわねッ、未来坊! ぶつからね!」
「だめ、だめ! 竜神さまァ、助けてくださーい……」


未来くんは自転車に飛び乗って逃げ出しました。 華固ちゃんもすぐに自転車に飛び乗り、後を追いかけてわが家に向かいました。

(つづく) 

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第3回 八丁堤探検と関東郡代伊奈忠治公に会うの巻−後 編−  
 

『水の神様は女神(めがみ)さま』 
八丁堤の探検を切り上げた二人は、大急ぎで、華固ちゃんのお父さん、夢幻坊のところの行きました。赤山の伊奈忠治という人に会わせてもらうためです。
「ねえ、お父さん。今、八丁堤を見てきたんだけどね……」
「ほほう!八丁堤の何を見てきたのかな」
夢幻坊はめずらしくやさしく聞き返しました。
「たけのこ公園や、『見沼通船堀』っていう大きな堀……」
「八丁橋を渡って、芝川の向こ行ったら、水の神様がありました」
「鳥居に、『水神社』と書いてあったの。おかしいわね。水神社なんて」
「おかしいこともないだろう。どんな神様を祀っているか分かったかな?」
「えーとね。女の神様みたいだったの。何と言ったか、書いてきたわ」
「ほら、『かこひめのみこと』みたいなもんだって、ぼくが教えたじゃないか」
「あははは! かこひめのみこととは面白い! あははは……」 夢幻坊は大笑いです。
「また言ったわね! ぶつわよ!」
華固ちゃんは、未来くんを睨(にら)みつけながら手帳をっていきました。
「あったわ。難しい漢字だけど、『 網象姫命(もうしょうひめのみこと) 』ってあったの。ほら!」
華固ちゃんは手帳をお父さんに見せました。
「うむ。これでよい。本当は、『みずはのめのかみ』という女神なのだ」
お父さんはそう言って、「弥都波能売ノ神」と手帳に書いてくれました。覗(のぞ)いていて見た未来くんはびっくりして、
「わあ!むずかしいや。華固姫のみことより、ずっとむずかしいや」
と叫びました。とたんに、
「意地わるの、未来坊!」
と華固ちゃんに突き飛ばされ、3メートルも先でしりもちついてしまいしました。
「これこれ、けんかをするな。この神様はな、やさしい女神なのだよ。イザナミノミコトというお母さん神の最後のお子さんでな。水に関係することすべてを守ってくださる神様なのだ。雨や川や沼、湖。特に田畑の灌漑(かんがい)用水のことなどをな。船の安全も守ってくださる。もともとは、溜まった水が、勢いよく流れ出す場所に祀られる神様だ」
そう説明したお父さんの顔は、とても立派に見えました。『神様の専門家だ』と二人はあらためて思ったのでした。

 『赤山陣屋へ行きたい』 
華固ちゃんは、頼むのは今がチャンスと思いました。
「ねえ、お父さん。見沼を調べている大学生がいてね。八丁堤を築いた伊奈忠治(ただはる)公の陣屋は、すぐそこの赤山だ。ぜひ一度行ってみなさいって言うの」
「うむ。それはいいことだ。行ってきなさい」
「違うの。今の赤山でなく、お父さんの力で昔の赤山陣屋へ連れて行ってほしいの」
「ぼくたち、だれにもできないようなレポートを作りたいんです」
「そう。そうなの。ね、お願い!伊奈忠治という、昔の人に会わせて!」
二人は熱心に頼み込みました。
「うーむ。そんなに言うんならな」
お父さんはちょっと考えてから、会わせてくれることになりました。
「これから忠治公のご都合(つごう)を伺(うかが)ってくるから、二人は、質問することをまとめたり、伊奈氏について調べたりしていなさい。相手は忙(いそが)しい方だからな」
お父さんはそう言い残して、あの『護摩堂(ごまどう)』へ入っていきました。
「忙しい方って言ったけど、死んでから何百年も経(た)つのに、今でも忙しいのかな?」
「おかしいわね。でも、過去の世界を知っている人はお父さんだけだから……」
「うん、信じよう! 急いで伊奈氏のことを調べちゃおう!」
「そうね。わたし、本を持ってくるね」
華固ちゃんは、お父さんの書斎(しょさい)から、厚い本をいくつも持ってきました。百科事典、人名辞典、日本史事典などです。 二人にはむずかしい本でしたが、それでも、伊奈氏のことがだいぶ分かってきました。

 『伊奈氏とは???』
◎ 伊奈忠治公の父は伊奈忠次(ただつぐ)という人。徳川家康につかえた。家康が江戸の幕府を開いた時、今の伊奈町等に一万を与えられた。また、幕府領をあずかる代官頭(だいかんがしら)(後の関東郡代(ぐんだい))になった。そして、土木工事や検地(けんち)や新田開発に力をつくした。また、大宮氷川神社の整備では、奉行(ぶぎょう)をつとめている。
◎ 伊奈忠政は忠次の長男であったが、病気で早く亡くなり、次男の忠治が跡を継いだ。
◎ 伊奈忠治は、父忠次と同じように、治水や土木技術にすぐれていた。利根川や荒川の流れを変えたり、江戸川を閉削(さく)したりして水害を防ぎ、また、八丁堤を築いて見沼をとした。関東郡代として陣屋を伊奈から赤山に移し、幕府領の代官頭として活躍した。また、幕府の勘定(かんじょう)奉行もつとめた。

このようなことが分かった頃、お父さんは身支度をして出てきました。
「さあ、話はついた。出かけるぞ。支度はいいのかな?」
お父さんは凛々(りり)しい山伏姿です。『夢幻坊(むげんぼう)』という名前がぴったりの感じです。
華固ちゃんと未来くんは、夢幻坊のあとについて暗い護摩堂(ごまどう)へ入りました。 火打ち石の音が響いてローソクがともされ、お堂の中が照らし出されました。この前と同じように青鬼が浮かび上がり、護摩木に火がつけられました。青鬼が動いたように見えても、今日はくはありませんでした。
「手を合わせて、軽く目をとじなさい」


夢幻坊が静かに言いました。 やがて、祝詞(のりと)のような力強い声が響き渡り、ふしぎなリズムで部屋の空気を揺(ゆ)るがせました。二人はいい気分で聞き入りました。 夢幻坊の全身全霊(れい)を打ち込んだ祈りが、過去に通じる扉(とびら)を開きました。二人は、いつのまにか夢幻坊の後について、薄暗いトンネルの中を歩いていました。 やがて、先の方が明るく開けてきました。夢幻坊が立ち止まって振り返りました。
「間もなく、赤山城と呼ばれる伊奈氏の陣屋だ。警戒がきびしいはず。陣屋の門には番兵が立っているだろう。恐れずに、『伊奈忠治様と、夢幻坊との約束で来ました。忠治様のところに案内してください』と、きちんと言いなさい。勇気を出してぶつかるこ。失礼なことを言ったりしたりしないこと。いいな。一時間以内にここに戻りなさい」
夢幻坊はそういい残して消えていきました。

 『陣屋の中のお殿様』 
二人は勇気を出して、陣屋を目指しました。 門が見えてきました。槍を持ったお侍が二人立っています。
「こんにちは。ぼくたち、伊奈忠治様に会いに来たものです」
「夢幻坊という、私たちの父と約束してあるんです。ご案内をお願いします」
「上役から聞いております。お殿様はこの奥です。どうぞ、こちらから」
案内されて、広場の奥のがっしりとした家の前に立ちました。 色黒の強そうなお侍が出てきました。ひげをはやしてます。
「やあ、よく来たな。二人のことは夢幻坊からよく聞いておる。わしが、関東郡代、伊奈半十郎忠治じゃ。さ、上がれ。遠慮はいらんぞ」
顔に似合わぬ優しい言葉に、二人はほっとして奥の部屋まで入っていきました。
「どうじゃな。疲(つか)れたであろう。何しろ、370年も遡(さかのぼ)ってきたのじゃからのう」
「疲れてはいませんが、そんなに古い時代に戻ったのでしょうか?」
「そうじゃ。八丁堤を築いたのは、寛永(かんえい)六年という年じゃから、西暦という今の言い方にすると1629年。じゃによって、374年前ということになる」
未来くんはこれを聞いて、いきなりすっとんきょうな声をあげました。
「わあ、凄(すご)いや!おじさんは、そんなに昔の人なんだ!」
「おほッ、『おじさん』か……。あははは、確かにおじさんだな。わッはッはッは……」
忠治公は豪快(ごうかい)に笑いました。華固ちゃんがあわてて未来くんのを引っ張りました。
「未来くん! だめよ。おじさんだなんて、失礼よ。大殿様なんだから」
「あ、いけねえ。そうだったんだ!」
「いやいや、かまわん。生まれて初めておじさんと呼ばれたんじゃ。うれしいぞ」
「すみません」 未来くんは、子猫のように体を小さくしてあやまりました。
「よい、よい。ところで、どんなことが調べたいのかな?」
「はい。はじめに、八丁堤のあの土は、どこから運んできたのか、教えてください」
「うむ。あの堤の両側から運んだのじゃ。今は目立たないが、見沼の周りの台地は、あのあたりが一番狭(せば)まっていたのじゃ。その台地を崩(くず)し、その土で堤を築いたのじゃ」
「それでは、少しは楽にできたのですか?」
「そういうことじゃ。計画を正確にし、無駄な労力をはぶき、しっかりしたものを安全に造る。これが上に立つ者の鉄則(てっそく)じゃ。あの溜井の水が堤を破って流れ出たらどうなる?」
「大洪水だ! それであんなに幅が広くて、がっちりしているんだ!」
未来くんは、もう、感心しきったような声を出しました。
「わたしたち、八丁堤が水をき止めているところ、見たことないのです」
「ん? なんじゃと? 溜井を見ずにここへ来たのか?」
「はい。今の見沼は、植木畑や野菜畑が大部分です。田んぼはほとんどありません」
「昔の溜井を見ずに来たとは、考えられんな。近くまで来過ぎたのじゃな。沼の向こうで過去の世界に入ったなら、まんまんと水を湛(たた)えた見沼の上を、船でを旅して来られたはず。台地や八丁堤のすばらしい景色が楽しめたろうに……。惜しいことをしたものよ。帰ったらお父さんに、『夢幻坊もぼけたかな』と忠治が言ったと伝えなさい。あははは……」
忠治公は、嬉しそうにからだを揺すって笑いました。

 『忠治公の面白い話』 
「伊奈氏を本で調べてみて、忠治さんのお仕事が一番凄いと思ったのですが、どうなんですか?」  
「うーん。どんな本でした調べたのか知らんが、一番偉いのは父の忠次(ただつぐ)様じゃ。父は権現(ごんげん)様のお近くにいて、大事な任務を次々と遂行(すいこう)なさった」
「ごんげんさまって?」
「征夷(せいい)大将軍、徳川家康様のことじゃ。父は、真面目で正確な仕事振りを権現様にお認めいただき、小室(こむろ)・鴻巣(こうのす)など一万石を拝領した。小田原城攻めや、関が原合戦のときも大手柄を立てた。父は偉い!」
忠治公はぴたっと言い切りました。
「見沼の話で、面白い話がありましたら教えてください」
「うむ。一つ二つはあるぞ。氷川女体神社の鯉は、みな片目だと言われていたことは知っておろう。また、見沼で片目の鯉を捕ると、目がつぶれるという話も聞いておるかな? そんな話が広まっていたにもかかわらず、江戸の鯉屋の主人が、七兵衛という若者をつれてきてたくさんの鯉を捕り、江戸に送ったのじゃ。ところが間もなく七兵衛の目が見えなくなった。あわてて使いを出して荷を調べさせたところ、片目の鯉が何びきも入っていたのじゃ。主人は捕った鯉を全部見沼に返し、女体神社にこもってお詫びをしつづけた。何日もかかってようやく七兵衛の目が見えるようになったと、わしは聞いておる」
「面白いお話、ありがとうございました」
「いや、礼はまだ早い。ずっと後のことになるが、八丁堤を切り開いて見沼溜井を田んぼに変えようという時、魚を全部捕まえたが、片目の鯉は一匹もいなかったそうじゃ。しかし、その後、水溜りから無数の光るものが舞い上がって飛んでいき、女体神社の木の枝先に止まって、長いこときらめいていたというのじゃ。いわゆる『竜灯』じゃな」
「りゅうとう?」
「各地の水辺で時々見られる不思議な現象(げんしょう)じゃ。理由はまだ分からんようじゃ」
「調べてみることにします。ほかにも面白いお話がありますか?」

 『赤山陣屋の怖い話』 
「ぼく、怖いお話が聞きたいです」
 
「うむ。あるぞ! この陣屋の西の堀のできごとじゃ。小船に乗って釣(つ)りをしていたところに小蛇(へび)が寄ってきた。いくら追い払っても逃げずにじゃまをするので、刀で切り捨てた。翌朝見るとどうじゃ。堀の水は真っ赤になっている! 水を空(から)にして調べてみると、大きな大きな大蛇が死んでいたのじゃ」
「おお、怖い! もういいわ」
「面白いよ。もっと聞こうよ」
「続きがあるのじゃが、どうしようか? ところで、時間は?」
「あ、忘れていたわ」 
華固ちゃんが時計を見ると、もう行かなければなりません。
「うむ。夢幻坊を待たせてはいかん。あれはきちんと約束を守る男じゃ。帰りなさい」
忠治公が手を打ちました。小姓(こしょう)姿の男の子が出てきて、きちんと座りました。
「おう!客人がお帰りじゃ。土産(みやげ)の包みを持って参れ」
「ははっ」 
男の子はきちんとおじぎをし、きびきびした態度で戻っていきました。
「あれは若くして死んだ小姓だ。今の世に生まれたならば、おぬしらの友達になれたであろうな。今度来たときは、ぜひ遊んでやってくれ」
忠治公の言葉を二人はうれしく聞きました。が、急に変な気持ちになってきました。寒気がして、身の毛がよだつような気味悪さが感じられたのです。
「華固ちゃん。帰ろ、すぐ!」
「ええ、帰りましょ! す、すみません。時間がなくなりました!」
「あ、あのう、さよなら!」
立ち上がった二人は、しどろもどろに言い残して走り出しました。 後から、調子のはずれた、太い声が追いかけてきました。
「おーい。おみやげえ、持って行けやあ、あー、あー、あー」

第3回 おわり)

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第2回 八丁堤(はっちょうつづみ)探検と
関東郡代(ぐんだい)伊奈忠治(ただはる)公に会うの巻 −前 編−

 

 華固ちゃんと未来くんは、見沼に近い小学校の五年生です。きょうの社会科の時間に、地球の温暖化についての話がありました。その時、先生が、ちょっとだけ見沼の話をなさいました。それは、こういうことでした。
   今から五、六千年前は、地球がかなり暖かくなっていた。北極や南極、高い山山の雪や氷が溶けて海の水が増 え、水位が上がって海水が陸地に入り込んでいた。東京湾の水がさいたま市などの台地の岸を洗っていた。見沼田 んぼは東京湾の一部だった。
   その後、地球は寒くなってきた。海の水は逆にどんどん減って、陸地が広がってきた。海が後退し始めたのだ。そして、そこに取り残された沼や湿地が『見沼』や『鴻沼』なのだ。
   時が経って台地に住む人々が増え、稲作が普及してくると、水の需要も増え、沼は自然のままの沼でなく、『溜井(ためい)』として役立てようということになる。江戸時代の始めの頃、関東郡代伊奈忠治は、見沼の南方を大堤防で締め切った。流れを堰き止めて溜井としただ。長さ約九百メートルのその大堤防が、有名な『八丁堤』であり、この溜井であった所が見沼田んぼ』なのである。 

最後に先生はこうおしゃいました。   
今話したことの中に、調べるテーマはいくつもある。どれを取り上げても面白いはずだから、よく考えて、やりたいことをてみなさい。一人でもいいし、二、三人でも四、五人でもいい。次の総合学習のとき、研究の進め方について話し合うこにしよう。それぞれ、自分なりに、何を調べてみたいか、考えておきなさい」と。
こんなわけで、華固ちゃんは、未来くんと『八丁堤』に取り組むことにしたのでした。

  『八丁堤』はどこのある?
東浦和の駅前で待ち合わせた華固ちゃんと未来くんは、地図と磁石を頼りに南東方向へ歩いていきました。二人とも今日は軽装です。信号の所から東を見ると、急な坂の向こうに平地の広がっているのが見渡せます。

「この道で、まちがいなさそうね」   華固ちゃんが安心したように言いました。
「いいみたい。小松原高校の運動場が見えるもん」
未来くんも、少しは地図を見てきたように言いました。坂を下りきったところに橋がありました。『見沼代用水西縁』と書いてあります。水は少し濁(にご)っていて底が見えませんが、かなりのスピードで南の方へ流れていきます。
「この水、はるばる利根川から流れてきたのね」
「そうなんだね。五十キロメートルぐらいあるっていうから、すごいね」
「ほんとだわ。さ、行ってみましょ」
用水べりを少し行くと公園がありました。手前には左に伸びる溝(みぞ)が掘られていて、それ沿った小道がきれいに舗装(ほそう)されていました。説明版を見ると、それが『見沼通船掘』という史跡のようですが、二人には何なのか、よく分かりませんでした。
「公園にはいってみましょうよ。『たけのこ公園』て、土地の人は呼んでるらしいの」
「あっ、たけのこが出ている! おれ、とってくる!」
未来くんが走り出そうすると、華固ちゃんはぎゅっと未来くんのをつかみました。
「だめよ! とるなんて。恥ずかしいことをしたら、わたし、いっしょに調べるの、止めるからね」
「首がいたいよ。放してくれよ」
「とらないって、約束してちょうだい。そしたら放すわ」
「わかったよ。華固ちゃんて、すぐ暴力ふるうんだから」       
未来くん口をとがらして、恨(うら)めしそうに言いました。
「だって、未来くん。すぐ何かとったり、食べたがったりするんだもの。わたし、恥ずかしいわ」
「でも、今のはちがうよ。ぼく、たけのこの写真を『撮(と)ってくる』って言ったんだよ」
「うそよ! ずるいわ、そんなの」
「ほんとだよ。ぼく、最近、写真に凝ってるんだから」
       そう言ってカメラを突き出しました。
「だめ。そんなの、認めないわ」
    華固ちゃんはぴたっと言い切りました。
「ちぇっ、うまく考えたのに……」
    未来くんは、わらって頭をかきました。
二人は公園の中を走ったり、スキップして跳ね回った後、溝に沿って作られた木道を進みました。説明版が立っていたり、二の堰跡(せきあと)、一の堰跡をしめす棒杭(ぼうくい)があったりしましたが、なんだか分からないうちに芝川に出てしまいました。
「あれ? 八丁堤なんてなかったわね」
     華固ちゃんが、甲高い声を出しました。
「ほんとだ。先生は、確か、約九百メートルの大堤防を造って流れを堰(せ)き止めたと言ったと思うんだけど……」
「そうよ。そう言ったわ。どこかしら?」
          
 二人とも、荒川の大きな土手を頭においてるので、八丁堤は目に入らないのでした。

 

    『水神社』って、どんな神様?

 二人は芝川にかかるがっちりとした橋を渡りました。すると、目の前に、小さな鳥居のある神社がありました。神社の名前は“水神社”となっています。
「誰が、何のために建てたお宮かしら?」
「水の神様って、初めてだよ。便所の神様もいるっていうけどさ」
「いやね、未来くんて……」
「何でだよう。あ、ここに、神様の名前が出ているよ。『もうしょうひめのみこと』、変な名前だなあ。これは華固ちゃんでない とだめだよ」
「どうしてさ。わたし、知らないわよ」
    華固ちゃんが寄ってきて説明版を読みました。
「もうしょうひめのみこと……聞いたことないわね。女の神様みたいだけど」
「うん。ひめのみことだから、女だよ。華固ひめのみことみたいなもんだ」
「何よ、未来くん。ぶつわよ!」
    
華固ちゃんが怒ったので、未来くんは逃げ出しました。
  華固ちゃんは、バックの中から手帳を取り出して、神様の名前を書き写しました。
「『罔象姫命(もうしょうひめのみこと)   』……ずいぶんむずかしい漢字ね。でも、お父さんに言えば、きっと、すぐ分かると思うけど……」
「そうだよ。華固ちゃんのお父さん、神様の専門家だもの、何でも分かっちゃうよ」
「そうでもなさそうよ。分からないこと、いっぱいあるみたい」
そんな話をしながら、橋のたもとに戻りました。車がつぎつぎと来るので、どう行こうかと迷っていると、学生らしい二人の男の人がやってきました。背高の人はカメラを、丸顔の人はノートを手にしています。
「ああ、ここだな。八丁堤を真っ二つに切ったという場所は」
「なるほど、なるほど。これが八丁橋だ」
人はしきりに、橋の作りや、向こう岸を眺めています。
   華固ちゃんは勇気を出して聞いてみました。
「あのう、今、八丁堤って聞こえたけど、どこにあるんですか?」
「ここだよ。このバス通りが八丁堤で、この橋が八丁橋だよ。ほら、書いてあるだろう」
「はい。でも、大堤防で見沼を締め切ったって聞いたのですが」
「そうだよ。確かに大堤防だよ。ほら、向こう岸を見るとよく分かるよ。道路から住宅をふくめて、一段と高くなっているだろう。全部が堤防なんだよ。この堤防が東と西へずうっとのびているわけだ。道路が上り坂になるところまでね。八丁、約九百メートルあるんだ。幅は五十メートルぐらいじゃないかな」
大学生らしいその二人は、指差しながらていねいに教えてくれました。
「ありがとうございました」
華固ちゃんがお礼を言うと、未来くんも、ぴょこんと頭を下げました。
ありがとう。よく分かったけど、お兄さんたち、物知りだね。見沼を研究してんの?」
まあね。大学の卒業論文の準備だ」
   背の高い学生が言いました。
「じゃあ、博士になるんだ
卒業論文じゃ博士にはなれまいよ。卒業できるかどうかだけだ」
君たちも何か調べているみたいだけど、見沼は面白いよ
何か記録していたノートの男が言いました。
「ここを締め切ったのは、この先に陣屋を築いていた関東郡代(ぐんだい)、伊奈忠治(いなただはる)という人だ。この人の仕事を調べるだけでも面白いんだ」
「伊奈忠治ってひとのこと、ぼくらも先生から聞いた」
「そうか。この道は、赤山街道といって、その伊奈忠治の赤山陣屋につながっていた街道なんだ。自転車でも行かれる距離だから、いつか陣屋まで行ってみたらいいと思うな」

二人の学生はとても親切で、代わるがわる教えてくれました。別れたあと、華固ちゃんと未来くんは、伊奈忠治という人に会ってみたくなりました。この間、太田道潅(どうかん)に会いに行ったときのように、行者(ぎょうじゃ)である華固ちゃんのお父さんに頼もうということになりました。二人は、東がわの通船掘や閘門(こうもん)、東縁用水などを大急ぎでまわって、家に帰りました。

 (つづく) 

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第1回  太田道灌 ( おおたどうかん ) に会いに行くの巻

  

 華固 (  かこ  )  ちゃんは、見沼に近い小学校の5年生です。  若葉のかおる初夏の日曜日の朝、身支度をととのえた華固ちゃんは、庭の奥にある『 護摩 (  ごま  )   (  どう  )  』という建物の前で、同級生の 未来 (  みらい  )  くんの来るのを待っていました。    きょうは、見沼 に関係の深い人で五百年ほど前に活躍した“太田 道 (  どう  )  灌 (  かん  )  ”という武将に会いに行くのです。お父さんの不思議な 祈祷 (  きとう  )  の術によって、過去の世界へ連れていってもらうのです。  しばらくすると、未来くんが走って来ました。野球帽をかぶり、リュックを背負い、首から双眼鏡を下げています。 
「おそいじゃないの。気が気じゃなかったわ」 
「ごめん、ごめん。お母さんのおにぎり作りがおくれたんだ」  
 

お母さんのせいにしない方がいいわ」 
「だけどさ。ぼくの言うこと、信用してくれないんだもの。
  “太田道灌に会うなんて、できるはずないでしょ”って言うんだ」
 
「それは仕方がないわ。私でさえ、お父さんの言うこと、本気にできなかったもの」 
「そうか…。華固ちゃんも初めてなんだ。どんなふうに過去の世界に入っていくんだろう?」 
「なんだか、こわくなってきたわ」 

そう言っているところへお父さんが出てきました。 華固ちゃんのお父さんは、『 修験道
(  しゅげんどう  )  』という宗教の『 行者 (  ぎょうじゃ  )  』なのです。白 装束 (  しょうぞく  )  に身を固めたその姿は、映画やテレビに出てくる『 山伏 (  やまぶし  )  』そっくりです。名は『 夢(  む  )   幻坊 (  げんぼう  )  』といいます。 
「おう、おう!来ていたな。さあ、入れ!」 
夢幻坊は、さっさと護摩堂に入っていきます。二人は、こわごわ後につづきました。 護摩堂の中は暗く、ひんやりとしていました。二人は夢幻坊の後ろに坐りました。 目が慣れてくると、正面に青鬼のような像が見えてきました。
(  きば  )  をむき出し、大きな目でこちらを 睨(  にら  )  んでいます。ぞうっと寒気がして、身も心も 凍 (  こお  )  りついたように感じました。 二人とも、下を向いてふるえていると、パチパチと音がして、急に明るくなりました。 ローソクがともされ、 (  たきぎ  )  に火がつけられたのです。青鬼の目が光り、いちだんとすごみが増してきたようで、華固ちゃんは未来くんにしがみつきました。とたんに夢幻坊の声が飛びました。 
「動くな!目をつむれ!」 
二人はびくっとして、目を閉じて固くなっていました。 お経のような声、つぶやくような声、怒っているような声と、次々に調子のちがう声が流れました。それは、未来くんにはもちろん、華固ちゃんにも初めての、不思議な祈りの声でした。 薪がパチパチとはじけ、煙が広がって、息苦しくなりました。じっとがまんをしていた二人でしたが、華固ちゃんが 悲鳴
(  ひめい  )  をあげました。 
「やめてぇ! 死にそうよ、お父さん!」 

「だまれ! この煙では死なん!」 
夢幻坊が
(  しか  )  りました。こらえていた未来くんが、くっ、くっとせきこみました。 
「こらえろ!息をとめろ!」 
きびしい声が飛んできました。 

「はい!」 

 返事をしたとたん、頭がもうろうとしてきて、未来くんは、何もかも分からなくなりました。華固ちゃんも、ほとんど同時に気を失ってしまいました。夢幻坊の声だけが、高く低く、長く短く、強く弱く、しばらくの間ひびいていたのでした。 気がつくと、いつの間にか、三人は暗いトンネルの中を歩いていました。聞こえるのは、足音と、水のしたたる音だけでした。 二キロぐらい歩いたでしょうか、いきなり
「止まれ!」と声がかかりました。『 先達
(  せんだつ  )  』としての夢幻坊の声でした。 
「さ、しっかり目を開けてみなさい。そこの出口から外界が見えているぞ」 
「あっ、山だ!山が見えるわ」    華固ちゃんが驚きの声をあげました。 
「あ、川も見える!橋がかかっているよ」    未来くんが目をこすりながら言いました。 
「お父さん。ここ、どこ? 見沼じゃないわね」 
「まあ、落ちつけ。これから話すぞ。未来もそばに寄れ。ここからはおまえたち二人だけで行くのじゃ。よく聞けよ」 
夢幻坊は、二人をトンネルの出口の方へ向けて立たせ、後ろから肩を押さえて話し始めました。 
「正面に見える橋を渡って、川に沿った道を登って行け。五百メートルぐらいの所に大きな寺がある。“ 龍穏
(  りゅうおん  )  寺 (  じ  )  ”という寺だ。太田道灌公はそこで待っているのだ」 
「どうしてこんな山の中なの?」 
「ここにお墓があるんだ。五百年もの間、“ 道真
(  どうしん  )  ”というお父さんといっしょに、そこに眠っているんだ。今は起き出して、顔を洗っているかな? あははは…」 
「なんだか、こわいわ」 
「ぼくもこわいよ。死んだ人が起きて待ってるなんて…」 
華固ちゃんも未来くんも、急に元気がなくなってきました。 
「歴史上の人物に会いたかったんだろう。そんな意気地なしでは、研究は進まん! さ、行け! 午後3時に迎えに来るからな」 

夢幻坊は二人の肩を強く押して外へ突き出し、姿を消してしまいました。振り返るとトンネルの穴さえなくなっていたのでした。 そこは 越生 (  おごせ  ) という奥武蔵の 山裾 (  やますそ  )  の町でした。 

二人は元気を出して山道を登っていきました。 龍穏寺の山門をくぐると、正面の奥に、大きな本堂が見えました。左手には、少し小さなお堂が二つほど建っています。そして、その陰で、白い装束の男が、しきりに手招きしています。 

「あれ、お父さんかしら?」 
華固ちゃんが言いました。双眼鏡でのぞいていた未来くんが、叫ぶように言いました。 
「ちがうよ! おさむらいだ! 白装束のおさむらい…あ、太田道灌だ! 顔が日本歴史事典に出ていたのとそっくりだ!」 
「どれ、見せて!」       
華固ちゃんが双眼鏡を借りてのぞきました。 色白で、にこにこして手をあげているその顔は、昨日調べた日本歴史事典の顔とそっくりでした。 
「道灌さん。こんにちは…」 
二人は、一年生のころの担任の先生にあったような感じで、手をふりながら 駆 (  か  )  け寄っていきました。 それは、確かに太田道灌でした。白装束は死んだ人が着せられる着物です。道灌さんは、あの世から起きて来て、二人を迎えてくれたのです。  二人は、お堂に上がり、お茶やお菓子のもてなしを受けました。 
「さて、あまり時間は取れないので、質問を聞こうかのう」  道灌さんはあぐらをかいて、ゆったりとした口調で切り出しました。 
「見沼のことだったのう。すっかり変わってしまったようだが、わしには、思い出がいろいろあるのじゃよ」 
「ぼくが聞きたいのは、竜の話なんです」 
「私は、 砂 ( す な  )  町という名前と、 砂金 (  さ きん  ) についての伝説が知りたいのです」

「ほう、ほう。ほかにはどうかな」 
「はい、道灌さんは、どうして 岩槻 (  いわつき  )  という町に城を築いたのですか?その訳や、吉野原合戦の話を聞かせ
ください」 
「私は、見沼でハスを作らないわけと、道灌さんとの関係が知りたいです」 
「ほほう。そんな話もあったかのう。では、一つずつ片づけていこうか。」 
道灌さんは立ち上がって、本や、地図や、いろいろな書き付けを持ってきました。 華固ちゃんと未来くんは、リュックからノートや筆箱を取り出し、記録の用意をしました。いよいよ本番の昔ばなしの始まりです。 

  

 

見沼の竜について

 

 

「まず、竜の話じゃが、見沼には伝説がいくつもあったのう。もう調べてあるのかな?」

「はい。竜の話は七つも八つもあるのですが、そのことよりも、道灌さんは竜に出会ったことがあるのかどうか…と」 
「うむ。あるぞ。昔は大沼だったので、竜は何匹もいたのじゃ。嵐のときとか、沼が荒れる直前とかに、よく天に昇っていったものじゃった」 
「それは“たつまき”じゃないのですか」
「そうじゃ。たつまきじゃ。竜は天に昇るとき、黒雲を呼んで、たつまきを起こすのじゃ」
「それでは竜を見たことにならないです」 
「あははは。竜は神じゃ。神様をはっきり見ることなどできぬ。神様とは、姿を見せないものなのじゃ」 
「でも、竜の姿は、お寺や神社に…」  
「うむ。人間が想像して創ったわけじゃ。姿を見せないのじゃから、自由な姿でいいのじゃよ」  
来くんは、分かったような分からないような変な気分で、ノートに書き始めました。 道灌さんは、華固ちゃんに笑顔を向けました。  
「そなたは、行者“夢幻坊”の娘だから聞いておるじゃろう。この寺の小林住職が、『見沼の竜はうちから行ったのだ』としきりに申しておる」 
「ほんとうですか?初めてです」 
「この寺の伝説じゃ。昔、この場所は、人を寄せつけないほど険しい山中の湖だったそうじゃ。ここを見つけた第五代の住職で、 雲崗
(  うんこう  )  という 和尚 (  おしょう  )  が“こここそお寺を建てるのにふさわしい地だ。ここをゆずってくれ”と山の神に祈ったのだそうじゃ。すると湖の主だった竜は、嵐と雷を呼んで天に昇り、一夜のうちに平地になった。そこですぐに寺を建てる工事にかかり、龍穏寺はここに引っ越してきたということじゃ」 
「その時の竜が、見沼に引っ越してきたのですね」
 

「古い本には『 名栗
(  な ぐり  )  の 有馬山 (  ありまやま  )  に去って池をなした』と書いてあるが、小林住職は見沼へ行
ったと言っておる。 国昌寺 (  こくしょうじ  )  や 万年寺 (  ばんねんじ )  に、見沼の竜の伝説もあるが、どちらも 曹洞宗 (  そうとうしゅう  )  であり、ここの末寺のようなものだから、つながりがあるとな」 

  「はじめて聞いたわ。道灌さん、ありがとう」 

華固ちゃんは“来てよかった”と心からのお礼を言いました。未来くんも、おもしろい話に筆記を忘れて聞き入っていました。 

  

 

砂町の地名について

 

  「さて、次は“砂町の地名”の話だったかな?」  
「お願いいたします
 華固ちゃんは鉛筆を持ちなおしました。 
あれは驚きだったな。わしの直感がぴたり当たったのじゃからのう」
「どういうことですか?」 
「そもそも砂町というのは、元は砂村、その前は山田村、その前は三沼村じゃ。三沼村を 上州
(  じうしゅう  )(群馬県)の山田七郎という者が大きく開拓して山田村とした。わしは、岩槻城ができてまもなく、見沼を見てまわった。その時、山田村で大きな塚を見つけた。形はよいが、一部 崩 (  くず  )れかけていて、頂上の 祠 (  ほこら  ) は傾いていた。わしは考えた。“荒れてはいるが、ふつうの塚とはちがう。古代の有力な 首長 (  しゅちょう  )  の墓にちがいない。村人の心のよりどころとして修築してやろう”とな。わしは頂上に登って祠をのぞいた。“ 稲荷 (  いなり  )  の神だった。このとき、わしは不思議な 霊気 (  れい き   )  を感じた。“この神は、必ずわしのお味方になってくださる”とな。わしは、手を合わせて言った。“この塚をなおさせていただきます。お宮も建てかえさせていただきます。しばらくわきでお休みください”とな。すると、どうだ。何が起こったと思う?」 
「さあ?」 
「分かりません」 

華固ちゃんにも、未来くんにも、見当がつきません。 
「光ったのだよ、祠の奥が! ピカッと光ったと思うと、おごそかな声がかすかに聞こえた。『
(  なんじ  )のなすがままに委せよう。塚の奥にて光る物は、汝に与えることとする』と。わしは直ちに工事を命じた。 崩 (  くず  ) れをなおし、草を刈り、木の枝を切って 眺 (  なが  )  めをよくした。道を開いて人々が通りやすくした」 
「塚の中には砂金があったのですか?」 
「その通りじゃ。わしは、あのお告げを信じて、その砂金をいただいた。工事の費用に使うとともに、軍資金にもした。その後、あの村は“砂村”と呼ばれるようになったのじゃ」 
「よく分かりました。ありがとうございました」 
華固ちゃんはていねいにお礼を言いました。 未来くんは、塚とお宮の絵を、夢中で描いていました。 
このあと、しばらく 休憩 (  きゅうけい  )  と言うことになりました。皆さんも一休みしてください。 

 

 

岩槻城と吉野原合戦

 

  

「さて、今度は、城や合戦の話じゃな。歴史というと戦の話になりがちだが、何故だろうかのう?それはともあれ、質問に答えねばならんが、まずむつかしい話になるので、簡単な説明だけにしておこう。
 岩槻城を築いたのは、『応仁
(おうにん)の乱(らん)』という十年も続いた大戦の起こる少し前じゃ。既(すで)に、関東でも、次々と戦いが起こり、少しの油断も許されなかった。これは都の足利幕府の力が弱くなったためで、関東では、鎌倉(かまくら)公方( ぼう)や関東管領(かんれい)を始め、地方の豪族(ごうぞく)たちが勢力争いばかり続けていたのじゃ。

   太田家は、関東管領の上杉氏に仕えていたので、 武蔵 (  む さし  )  ・ 相模 (  さがみ  )  両国(埼

玉・東京・神奈川)を守るため、たくさんの城を築いた。江戸城・川越城・岩槻城などじゃ。 

 岩槻は古くから交通の要所であり、水運の便もよかった。荒川の本流が台地を包むように曲がって流れており、その台地に城を築けば、どんな名将にも攻め落とせなかろうと、わしは考えて造った。この岩槻城の攻防戦は何度もあるので、大きくなったら調べてみるとよかろう。さて、次の「吉野原合戦」の話じゃが、あれは、孫 資高 (  すけたか  )  がやったことじゃ。わしはもう殺されていた 」

え! 道灌さん、殺されたんですか?」 
「そうじゃ。主君上杉 定正
(  さだまさ  )  公によってだまし 討 (  う  ) ちにあった。昔はよくあったことじゃ。詳しくは夢幻坊に聞きなさい」 
道灌さんは平気な顔で話を進めました。 
あれは 享禄 (  きょうろく ) 2年のこと、川越城には敵方の上杉 憲房 (  のりふさ  ) がいたが、いきなり三千の兵を率 (  ひき ) いて攻めてきた。そこで資高は千二百ほどの兵を連れて岩槻城を出た。両軍は、吉野原で、見沼を挟んで対陣したのじゃ。降り続く雨で見沼は増水していたが、岩槻軍は全員で見沼を押し渡り、川越軍を攻め散らした。孫の資高が勝ったんじゃよ。これが「吉野原合戦」の話じゃ」 

「ありがとうございました。それで、今、何か残っているでしょうか?」 
「何もないな。原っぱは、住宅や公園や工場に変わり、見沼は、草ぼうぼうの中に、小川のように細い芝川が流れているだけじゃ。『
(  つわもの  )  どもが夢の跡』という言葉があるが、それさえ消えてしまっておる」 
道灌さんの顔は、とても (  さび  )  しそうでした。 

 

 

ハスを作らない訳

 

 

  「長くなったが、いよいよ最後の話じゃな」 

道灌さんは茶をすすり、華固ちゃんと未来くんにも、すすめました。
「見沼でハスを作らないわけは、三つあるようじゃな。氷川女体神社の女神の話と、見沼の竜のためだとする話と、も一つは、わしが原因だとする話の三つが語り継がれていたようじゃな」
「はい。その中の、道灌さんの話が本当かどうか、教えていただきたいのです」

華固ちゃんが、はっきりとした言葉づかいでお願いしました。
「おかしな話が生まれて、よく今まで伝えられてきたものよのう」 
道灌さんはそう言って笑ったあと、ていねいに話してくれたのでした。
「見沼は、ハス作りには向かなかったようじゃな。一部で作ったところもあったようじゃが、やめてしまったのだ。水の増減の激しい暴れ沼だったことや、場所によっては底知れぬ泥沼であるため、取り入れが容易でなかったからであろうわしが戦に敗れて、ハス田に逃げ込んだ時、雨の音が鉄砲の玉の音に聞こえて ( こ わ) い思いをした。それから後はハスを作らなくなったと言うのじゃが、岩槻城主のわしを思ってくれるのはうれしいが、わしは、そのような負け戦は一度もしておらん。それに、わしの生きていた頃は、まだ鉄砲はなかったのじゃ。鉄砲が使われるようになったのは、百年以上経ってからのことじゃ」 

 これには華固ちゃんはもちろんのこと、未来くんもびっくりでした。鉄砲が、ポルトガル人によって日本に伝えられる話は、まだ、誰からも聞いていなかったのです。 
こうして、道灌さんの長い話が終わりました。二人はノートがいっぱいになるほど書き込み、お礼を言って立ち上がりました。 道灌さんは、戦国時代の武将の中で、いちばん立派な武将だったと、お父さんから聞いていたので、また会いに来る約束もして帰途についたのでした。

つづく 

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