華固(かこ)ちゃんと未来(みらい)くん
見沼探検レポートから
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第16回 見沼でいちばん怖(こわ)い伝説を調べるの巻

『女の子の好きな怖い話』

秋も深まった土曜日の午後のことです。華固ちゃんが未来くんの家に訪ねてきました。

「ね、ね、未来くん!私たちが調べた伝説の中で、『足立(あだち)が原(はら)の鬼婆(おにばば)』伝説がいちばん面白(おもしろ)いんだってさ」
「え? どうして? 誰(だれ)が言ったのさ」
「私の友達、みんなよ」
「なぜだろう? あんな怖い、いやな話なのに……」
「分からないでしょう。女の子の気持ちなんて」
「うーん。あ、分かった……。おれの推理(すいり)も大したもんだ」

未来くんはそう言ってにやにや顔です。
「何? それ、なぜだと思うの?」
「それはね。うふふふ、また怒られるかな……」
「変なことを考えたのね。言いなさい!」
「うーん、ちょっと言いにくいね」
「言ってみなさいよ。男でしょ!」
「うーん、それはね。華固ちゃんの怒ったとき、あの鬼婆とそっくりだからさ」
「言ったわね。もう、許(ゆる)さないから!」
「ほら、ほら、その顔!」

華固ちゃんは未来くんが変な顔してからかうので、怒るに怒れません。ついに自分まで笑い出してしまいました。

「ねぇ、未来くん。まじで聞いて!」
「うん。始めっからまじだよ。『怖い話が好きだから』ということだろう」
「まあ、そういうことね。怖くて夜眠れなくなっても、聞きたい話ってあるでしょ」
「うん。ある、ある」
「それでね、みんなが言うのよ。もっともっと怖い話を集めて、どきどきするようなのを聞かせてちょうだいって」
「そうか。それほど言うのなら、今度(こんど)はそれをテーマにしようか」
「ええ、それがいいわ。やりがいあるわ」
「じゃあ、さっそく始めるとしよう。まず、おじさんの本を見せてもらうことから始めようか」
「ええ、そうしましょ」

二人は夢幻坊の本を借りることとし、華固ちゃんの家に急ぎました。

『今までに調べた怖い話は何?』

二人は民話(みんわ)・伝説(でんせつ)の本やノートを見せ合いながら、話の中身(なかみ)を確かめていきました。
「ねえ、華固ちゃん、ぼくたちずいぶん怖い思いをしたと思うけど、意外(いがい)に怖い話がないみたい」
「そうね。鬼婆伝説以外で怖かったのは、赤山城(あかやまじょう)から逃げ出した時と、寿能城跡(じゅのうじょうあと)で殿様(とのさま)が怒りだした時ぐらいだわ」
「そうそう、寿能城跡にいた時、城主(じょうしゅ)の資忠公(すけただこう)が急に怒りだして刀を抜いたんだ。びっくりして逃げ出したんだよね」
「あんな経験(けいけん)をするなんて、私たちだけね」

そう言いながら新しい話を探していきました。
「あ、これ、どうかしら?」

華固ちゃんが、厚い本を覗(のぞ)き込(こ)みながら言いました。
「これ、この前、木崎の若山さんがくれた資料の話と似ているの。笛を吹く女の話……」
「思い出した。少し怖い話だったね」
「そう、これは別の話だわ。いっしょに読んでみましょうよ」
「うん、どんな話だろう?」

二人は顔をくっつけ合うようにして読み始めました。

『「見沼の笛」という怖い話』

昔、見沼田んぼが大沼だった頃、大和田から大崎にかけて、夕暮(ゆうぐれ)れになると笛を吹いてさまよい歩く美しい女がいました。その音色があまりにもやさしい不思議な響(ひび)きなので、村の若者(わかもの)はみな引き寄せられるようについて行き、次々と姿を消してしまうのでした。

こうして、くる夜もくる夜も、笛の音が響(ひび)き渡(わた)り、若者たちの姿が消えていくと、見沼のほとりの村々は大騒(おおさわ)ぎとなりました。そして、
 『これは、見沼の主が何か怨(うら)みに思うことがあって、若者を人身御供(ひとみごくう)にとるのであろう。見沼の主のために供養(くよう)をして、この難(なん)を避けるようにしよう』 ということになり、集まって大きな供養塔(くようとう)を建てました。以前、大和田辺りに建っていた『魔除(まよ)けの塔(とう)』というのがそれであるといわれています。

ところがこの話に別の話がくっついて、後の人々の興味(きょうみ)を掻(か)き立てる話となりました。
見沼のほとりの村々が大騒ぎになっているという話は、遠く都にまでも届きました。すると、一人の屈強(くっきょう)な武士(ぶし)が、『よし。わしがその正体を確かめ、村人を救ってやろう』 と関東へ下(くだ)ってきました。

ある晴れた日の夕方、武士は見沼のほとりに行き、ものかげに身をかくして妖(あや)しい女の現れるのをじっと待っていました。日が西山(にしやま)に沈み、星が瞬(またた)き始(はじ)めると間もなく、話に聞いたとおり、 どこからともなく美しい笛の音が聞こえてきました。

やがて妖気 (ようき)をただよわせた女が、笛の音を響かせながら近づいてきました。武士はじっと見据えていましたが、いきなりぱっとおどりかかって女に切りつけました。とたんに大雷鳴 (だいらいめい)がとどろき、豪雨(ごうう)がふりかかりました。武士は手応(てごた)えを感じつつも、やむなく 宿に引き上げました。

 [鷲神社(見沼区大和田)]

翌朝(よくちょう)早く、武士はその場を訪れました。すると、そこは何事(なにごと)もなかったように静まり返っていましたが、かたわらに一本の立派(りっぱ)な笛が落ちていました。武士は、それがあまりにも立派な笛なのに驚 (おどろ)き、これは自分の私物(しぶつ)にすべきではないと思い、近くの神社に奉納(ほうのう)して立ち去りました。この神社が、今の大和田の鷲 (わし)神社であるとも、中川(なかがわ)の氷川(ひかわ)神社であるともいわれているのです。

[中川の氷川神社(現・中山神社)]

『見沼の笛の後日談(ごじつだん)

ここまで来たとき、夢幻坊が通りかかりました。

「ほほう。面白そうな話だな」
「面白いより怖い話だわ。寒気(さむけ)がしてきちゃったわ」
「でも、ぼくは面白いと思います」
「ようし、よく言った。それでこそ男だ」
 未来くんは嬉(うれ)しそうに華固ちゃんをみました。華固ちゃんはちょっと頬(ほお)をふくらませていました。
「お父さんは、見沼の笛の話を知っていたの?」
「まあ、一応はね」
「どうして話してくれなかったのさ」
別に訳(わけ)はないがな。あえて言えば、機会(きかい)がなかったということだ。そんなことより、この後日談が面白(おもしろ)いではないか」
「今のが後日談だわ」
「いやいや、その後日談がまだあるのだよ」
 夢幻坊はそう言いながら本を取り上げて見ました。その本には出ていません。
「うーん。本にわしが話してやろう」
 夢幻坊は、まるでその本を朗読(ろうどく)している感じで話し始めました。

『夢幻坊の熱演(ねつえん)

それから数年が経(た)ちました。一人の上品(じょうひん)な老女(ろうじょ)がその神社を訪ねてきて、神主(かんぬし)に言いました。

『こちらには立派な笛が奉納されていると聞いてまいりました。その笛をぜひ見せていただきたいのでが』

『笛は、この神社の社宝(しゃほう)となっているもので、むやみに見せる訳にはいかないのです』

と神主は気の毒そうに言いました。  

『わしゃあ、その笛を一目みたいがために、はるばる都から訪ねてきた者でござります。一目でいいのです。年寄(としよ)りに免(めん)じてぜひ見せてくださいまし』

そう頼み込む老女の熱意(ねつい)に負けて、神主は奥の方から立派な布にくるまれた細長(ほそなが)い箱を持ってきました。中には立派な漆塗(うるしぬ)りの笛が納められていました。目を輝(かがや)かせた老女はすかさず言いました。

『これはすばらしい笛ですこと。国宝級のものと言えましょう。実はわしゃあ、笛の名手(めいしゅ)で、研究者でもありまする。一曲聞かせて進ぜましょう。ちと、お貸しなされ』

『いや、それはできません。この神社の氏子(うじこ)たちが許(ゆる)すはずはありませんから』 

『何をおっしゃる!あなたは神主。この笛が鳴るか鳴らぬか、どんな音色なのか、それが分からないで、この笛が守れますか?一吹(ひとふ)きだけでいいのです。さ、お貸しなされ』

この老女の言葉に、断り切れなくなった神主は、 『では一吹きだけですぞ』  と言って笛を渡しました。嬉(うれ)しそうに手にとった老女は、しげしげと眺(なが)めたあと、静かに歌口(うたぐち)を唇(くちびる)にあてました。神主は息をつめて見つめました。りょうりょうとした澄(す)んだ音色(ねいろ)が流れ出しました。それはまるで天人(てんにん)の歌声のような神々(こうごう)しい音色でした。神主はたちまち夢の世界に引き込まれ、うっとりと目を閉じて聞き入りました。もはや、一吹(ひとふ)きなのか二吹(ふたふ)き三吹(みふ)きなのかも分からぬ境地(きょうち)になっていました。そして、ふと気がついてみると、老女も笛も消えていたのでした。

神主はあわてました。はだしで外へ飛び出しました。境内(けいだい)を走り回って老女をさがし、鳥居(とりい)の外に出てみました。農夫(のうふ)が一人畑を耕(たがや)していました。  『たった今、ここから出ていった年寄りはいなかったかね』 

さあ?それは気がつかなかったが、神社の森の上にむらさきの雲がかかり、いい笛の音色が聞こえたような気がしたが……』

この後、村の人々は、その老女は、おそらく見沼の主(ぬし)の化身(けしん)であろうとうわさしあったということであります。

「見沼の笛のものがたり、一巻(いっかん)のおわりであります。パチパチパチ……
「ああ、おもしろかった!」
「お父さん、じょうずだわ。怖くなっちゃった」
「お父さんも久しぶりで熱演したぞ。じゃあ、またな。あ、そうだ。たぶん、二人で鷲神社や中山神社へ行くのだろうが、気をつけて行ってこいよ。悪い奴(やつ)が出てこないとは限らんからな」
「はーい」
「特に、鼻の高い、口が耳まで裂(さ)けている老女には気をつけろよ」
「えッ? おどかさないでください!」
「お父さんたら!怖くて行かれなくなっちゃうじゃないの!」
「ごめん、ごめん。ちょっと冗談(じょうだん)が過(す)ぎたかな」

夢幻坊は笑いながら行ってしまいました。

(おわり)

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15回 見沼の竜伝説を調べる(後 編)

『未来くんの不満・華固ちゃんの驚き』

華固ちゃんと未来くんの「竜伝説調べ」は、驚きと面白さを繰り返しながら、次々と数を増やしていきました。それは嬉(うれ)しいことですが、記録係りの未来くんにとっては喜んでばかりはいられません。一話増えるたびに不満が高まってくるのでした。

「華固ちゃん! おれ、もう、やだよ。記録係なんて」
「あら、始めに『ぼくが書き出してみるよ』と言ったの、未来くんだったのよ」
「そうだけどさ。題だけじゃなくて話のすじまで書くんだもの、たいへんだよ」
「あらすじだけ簡単(かんたん)に書けばいいのよ。むずかしいことじゃないでしょ!」
「それはそうだけど、華固ちゃんの方が、作文ずっと上手なんだから」
「そんなことないわ。未来くんの作文だって立派よ。平気、平気」

華固ちゃんは平気な顔で、ちっとも同情してくれません

「さあ、次の竜伝説を調べましょう」
「しょうがないか。相棒(あいぼう)なんだから……」
「なあに? それ……、わたしのこと?」

「ほかに相棒なんていないじゃない」
「やだわ!相棒なんて言わないで、パートナーって言いなさいよ」
「何でもいいや。とにかく今度のが済んだら書くのを交替だからね」
「いいわ。でも、未来くん、いくつ書いたのさ?どうせ、五つか六つでしょ」
「ほうら、数さえ忘れているんだから……」

未来くんは開いたままのノートを突き出しました。
 華固ちゃんは手に取って見て、驚きました。話の数は九つにもなっていたのです。
①国昌寺(こくしょうじ)山門の竜の話
②万年寺のお棺を巻き上げた竜の話
③氷川女体神社の竜神まつりの話
④井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)と見沼の竜の話
⑤下山口新田の馬子と弁天(べんてん)様の話
⑥大門神社境内(けいだい)の愛宕(あたごしゃ)社の竜の話
⑦差間(さしま)の見沼の竜の話
⑧東内野(ひがしうちの)の見沼の竜の話
⑨竜の『九似(じ)』とシンという霊獣(れいじゅう)の話

未来くんのノートの次のページには、これらの一つ一つについて五、六行ずつのあらすじが書いてあります。

「すごいわ、未来くん!よく書いたわね。九つもあったのね」

華固ちゃんはすっかり感心して、未来くんの顔を見つめたのでした。未来くんは苦労が報(むく)われた感じで、思わず笑顔を向けました。

「ごめんね。今度から私が書くわ。あと幾つ見つかるか分からないけれど……」
「よかった!華固ちゃんにそっぽ向かれたら困っちゃうもの……」

「そんなことしないわよ。それどころか、竜伝説が二つ見つかったのよ」

華固ちゃんはそう言って、自分のノートを広げました。それには何枚かの写真や本のコピーなども貼(は)りつけてありました。

「これはね。きのう家へ来た木崎の若山さんという人から貰(もら)った資料なの。木崎に竜の伝説が二つあるんだって。一つはこれで、浦和西高の第二グラウンドを写した写真だけど、昔、このあたりに弁天様が祀(まつ)られていて、そのいわれが見沼の竜の話というわけ」

華固ちゃんはそう言って、自分のノートを広げました。それには何枚かの写真や本のコピーなども貼りつけてありました。

「これはね。きのう家へ来た木崎の若山さんという人から貰(もら)った資料なの。木崎に竜の伝説が二つあるんだって。一つはこれで、浦和西高の第二グラウンドを写した写真だけど、昔、このあたりに弁天様が祀(まつ)られていて、そのいわれが見沼の竜の話というわけ」

華固ちゃんは写真を指差しながら、未来くんに説明しました。

 
  [浦和西高第二グランド(西方面に向かって)]

「それって、この間の『下山口新田の弁天様』の話と同じじゃない?」
「ちがうわ。あれはあれ、これはこれよ。怖(こわ)い話なの。聞いてね」

華固ちゃんはノートに書いたあらすじを読み上げました。

『木崎村をおびやかした怖(こわ)い話』

見沼たんぼがまだため池だったころの木崎村の話。

ある年のこと、夕方になると沼の方から美しい笛の音が聞こえてくるようになった。それが何とも言えないふしぎな音色なので、村の若者は仕事が手につかなくなった。そして笛の音に誘(さそ)われるように沼の深みに入っていき、二度と戻(もど)っては来なかった。それが毎夜のように続き、村は大さわぎとなった 。

村人は寄り合い、「これは見沼の主・竜神様の怒りに相違(そうい)ない。弁天様を祀って怒りをしずめてもらおう」ということになり、この場所に祠(ほこら)を建ててお祈りした。すると笛の音はぴたりと止まり、沼は静かになった。

その後、弁天様は水難防止、若者の守り神として大事にされてきたが、大風で倒れた後は村の旧家に引き取られた。
今は町会名に『弁天下自治会』という名が残るだけとなった。

『見沼の遭難(そうなん)と竜神祭り』

木崎村の竜伝説の二つ目。やはり見沼が田んぼになる少し前の話。
古い本にも出ている話であるが、木崎村から被害(ひがい)者が出ているという実話でもある。

正徳(しょうとく)四年(1714年)という年はウマ年で、岩槻の慈恩寺(じおんじ)で観音(かんのん)さまのご開帳(かいちょう)のお祭りがあった。木崎村から出る見沼の渡し船は、お参りに行く人々でいっぱいになり、次の船、また次の船と順送りになるほどだった。

木崎村の松本さん夫妻も岩槻に向かったが、奥さんの方は一船あとになってしまった。ところが、先に出た船が沖へ出たとたん、強い突風が渦を巻いて通り過ぎ、あっという間に船が転ぷく、乗員三十数名全員が波にのみこまれて亡(な)くなってしまった。この時のようすが、古い本には次のように書いてある。

『その時に参詣の男女、足立郡木崎村 より船を出して湖水を渡しけるに、俄(にわか)に 悪風起こりてさお、櫓(ろ)の力及ばず、大波 打ちきたりて船をくつがえす。船中の乗り 合い三十余人見沼の水屑(みくず)となるという』

これに続いて『竜神まつり』のことが書いてある。

『方一里余の古沼あり。水色藍(あい)のごとく にして深きこと底を知らず。毎年六月十 五日竜神のまつりありて、近村の住民 あつまりて赤飯をむして飯台(はんだい)に入れ、こ の沼に沈めて生けにえとするに、水うず まいて水底に巻き込んで、しばらくありて 金鱗(きんりん)の鯉(こい)一組み、水光はいして浮かみ あがり、赤飯を盛(も)りし箸(はし)を送りかえすという』

それは、ぞうっと寒気(さむけ)がするような不気味さを感じさせる文章でした。二人は怖くなり口をとざして小さくなっていました。この時、玄関の方から夢幻坊(むげんぼう)の声がかかりました。

「おうい、子供たちー!ちょっと来なさい。お客さんだよう」

二人がかけつけると、門の前に車があり、若い男の人が立っていました。

『見沼の竜の研究者』

華固は昨日会っているが、未来くんははじめてだな。竜の研究者の若山さんだ。木崎にお住まいの学生さんで郷土の、歴史・民話・伝説・その他いろいろ調べていなさる。お前たち二人が竜のことを熱心に調べていると話したら、ほうびに面白い場所へ連れてってやりたいというのだ。どうかな?望むか望まぬか、本人次第でいいとのことだが」
「行きたい!」
「ぼくも!お願いします!」

二人は思いもよらぬ幸運に飛び上がって喜びました。やがて、若山さんの車は行き先を言わないまま二人を乗せて西に向かい、岩槻街道から第二産業道路に出ました。大きく右折するとすぐ『大道(だいどう)大橋』で、ぱっと田園風景が開けて新都心の大建物群が展望できます。若山さんは注意深く速力を落としました。

「うわー、かっこいい!」
「すごい景色!何度も見ていたはずなのに、今日は特別美しいわ」

未来くんと華固ちゃんは、影絵のような美しさの建物群に感動して声をあげました。

「遠くでなく、そばを見なさい。すぐそこ!目の前!橋の手すり!」

若山さんにきびしく言われ、やっと見つけたのは大きな竜の頭の彫刻でした。

「わあ!すげえや!」
「大きな、こわい顔!手すりに据(す)えつけられているのね」
「どうかな?この橋、この竜。今日、はじめて見るのかな?」

二人はびっくりし過ぎて返事もしません。若山さんがつぶやくように言いました。

[龍の頭の彫刻(岩槻方面に向かって)]

「橋は知っていても、竜に気がつく人は少ないんだな。雨風にさらされながら、せっかくみんなの安全を見守っていてくれるのに……」

若山さんのことばも、二人はぼんやりと聞き過ごしていました。

「さあ、次はもっと強烈(きょうれつ)な、竜の神様にお参りするぞ。竜を祀った神社だ」
「え?竜の神社が見沼にあるんですか?」
「そうなんだ。その名も、『大竜大権現(ごんげん)』という……」

二人は信じられない思いのまま、車の行く先を見つめていました。

『竜の神社は《大龍(だいりゅう)大権現社》』

 それは見沼区東大宮の見沼田んぼに程近い所にありました。思ったよりも貧弱(ひんじゃく)な古びたお宮ですが、石の鳥居は立派です。
 若山さんのお友達の井川さんという人が来ていて、お宮の扉を開けてくれました。

 真新しい注連縄(しめなわ)に目を見張って中を覗(のぞ)くと、驚いたことにもう一つお宮がありました.。

[大龍大権現社]

「中の社殿を守るために外側を覆(おお)ったんだね。こういうのを『鞘堂(さやどう)』とか『覆屋(おおいや)』というんだが、古い立派な建物はこうして子孫に伝えるんだ。屋根は『こけら葺(ふ)き』ですよ」

 井川さんが指差す屋根は、薄く削(そ)いだような板切れで張り詰めた珍しい葺(ふ)き方 の屋根でした。そして、ひさしの下の欄間(らんま)には彫りの深い竜がはめ込まれて

いて、こちらを睨(にら)んでいました。また、右の方には古ぼけた石造りのような額が立て掛けられていて、『大龍大権現』と彫り込んでありました。あの石の鳥居から落ちたものかもしれません。

 奥の方にはまだまだ何かありそうですが真っ暗で薄気味(うすきみ)悪く、華固

[欄間にある龍の彫刻]

ちゃんも未来くんもとても見続けてなど

[『大龍大権現』の額

いられません。二人は自然にあとじさりして、遠くの方で手を合わせていました。そして、竜というものの凄(すご)さや、調べていくことの楽しさ、これからのまとめ方などをぼんやりと考えていたのでした。

(おわり)  

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14回 見沼の竜伝説を調べる(前 編)

 華固ちゃんと未来くんは、井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)さんと別れたときのことが気になってしかたがありません。自然公園の池を見ていた弥惣兵衛さんは、『この池の奥に竜神が来ているような気がする』と言って、水の中に入っていったまま消えてしまったからです。
「ねえ、未来くん。今度は見沼の竜について調べることにしない?」
「いいけど、その理由は?」
「弥惣兵衛さんは、あんな言い方をして水の中に消えてしまったんだけど、あそこに竜がほんとうにいたのかどうか、気になってしようがないのよ」
「それはぼくも同じだけど、ほんとうに竜がいたら怖(こわ)いよ。竜を調べるんじゃなくて、竜の伝説を調べるということにしようよ」
「そう言えばそうね。じゃあ、『見沼の竜伝説』ということにしましょうね」

 

『見沼の竜伝説にはどんな話があるか』

 テーマを決めた二人は、次に調べる方法を話し合いました。
最初にやることは、何といっても、どこに、どんな話が、語り伝えられているかということです。
「ねえ、華固ちゃん。前に国昌寺(こくしょうじ)の竜の話を調べたことがあったね」
「そうそう。竜神まつりがあって、国昌寺の竜を解(と)き放(はな)つ儀式(ぎしき)を見たり、パレードに参加したり、万年寺の竜の話を聞いたりしたんだわ」
「それから間もなく、華固ちゃんのお父さんの夢幻坊(むげんぼう)にお願いして、左甚五郎(ひだりじんごろう)さんに会わせてもらったんだよ」
「そうだわ。上野の東照宮へ行って、左甚五郎さんに会ったわね」
「うーん。国宝の金ぴかの竜を見たんだ!」

二人は思い出話に夢中になってしまいました。
「あ、いけないわ。『見沼の竜伝説』として整理していかなくては……」
「そうだ。ぼく、書き出してみるよ」

未来くんは大急ぎで、広げてあったノートに書きつけました。
    1.国昌寺山門の竜の話
    2.万年寺のお棺(かん)を巻き上げた竜の話
    3.氷川女体神社の竜神まつりの話
「ぼくたち、もう、三つも知っていたんだ」
「もう一つあるわ。この間お父さんから聞いた、『井沢弥惣兵衛と見沼の竜』という話」
「そうだそうだ。それで四つだ」

ちょうどそこへ夢幻坊がやってきました。
「ん?何が四つなんだ?バツが四つか?減点四ということか?あははは」
「そんなんじゃないわ。見沼の竜の話が四つもあったということ」
「ほほう、それは偉いぞ。よく探したな」

夢幻坊が目を細めてかたわらに座り、未来くんのノートを覗(のぞ)き込(こ)みました。
「うーむ。四つの竜の話を探し出した訳だな。それぞれの話を短くまとめていくのはたいへんだろうが、面白いレポートになりそうだな。一つ増やして五つにしたらどうかな。わしが五つ目の話を聞かせてやろう」

夢幻坊はそう言って座りなおしました。
「うわあ、うれしいわ!」
「よかった、よかった!ばんざーい!」
「お父さん!その、場所はどこなの?」
「見沼ならどこでもいいよ。お願いしまーす」
 

『天沼神社の金竜伝説を聞く』

それは大宮区天沼町の鎮守様天沼(あまぬま)神社が、まだ熊野神社と呼ばれていた頃の竜神様のお話でした。

 夢幻坊は二人の顔をじっと見たあと、静かに話し始めました。 

「いつの頃のことか、はっきりとは分からない、むかし、むかしのこと、大宮の天沼村あたり一帯に『クチムキ』という子供の病気が大流行したことがありました。この病気は伝染病で、いわゆる『百日咳』(ひゃくにちぜき)のことであります。これにかかると咳がはげしく、しかも長く続き、本人の苦しみは見ていられないほどになります。看病する親にとってもたいへんつらいことであります。そして、子供によっては、肺炎を起こしたり、痰(たん)をつまらせたりして死にいたることもあると

   [現在の天沼神社]

いう怖い病気なのであります。これが各地で猛威(もうい)を振(ふ)るい始めたのですから、村は大騒ぎになりました。
 ちょうどこの頃、天沼の見沼のほとりに、弥平(やへい)という気立てのいい正直者の百姓が住んでおりました。妻を亡(な)くし、息子と二人で暮らしていましたが、その一人息子がこのクチムキにかかってしまったのです。弥平はいっしょうけんめい看病しましたが、病気は重くなるばかりです。たまりかねた弥平は、日頃から信仰している熊野神社に行き、息子の病気が一日も早く全快しますようにと心からお願いしてきました。
するとある夜金色の竜が一つの杓文字(しゃもじ)を持って弥平の枕元に現われ、おごそかにこう告げたのであります。
 『われは見沼の竜神であるが、その方の日頃の正直な行いに免(めん)じて、息子を救う方法を教えよう。明日から三、七、二十一日間、毎日熊野神社に日参し、息子の平癒(へいゆ)を祈れ。さすれば、クチムキは必ずなおるであろう。なおったならば、この杓文字を持ち、親子揃(そろ)って熊野神社に行き、これを供えて参拝し感謝の気持ちを述べるがよい』
金色の竜はこう告げて姿を消したのでした。翌朝、起きてみると弥平の枕元に、ま新(あたら)しい杓文字が一本おかれていました。喜んだ弥平は、教えを守って日参し、熱心に息子の全快を祈りました。すると息子の病気は日毎によくなり、満願(まんがん)の日には息子と連れ立ってお礼参りをすることができました。
 その後、この話はたちまち村中に広がり、熊野神社に参詣するものが増えて、全快のお礼参りに杓文字を供える人も絶えなくなりました。
天沼神社の金竜伝説、一巻の終わりであります。パチパチパチ……。」

 夢幻坊は楽しそうに自分で拍手して笑いました。
「ああ、面白かった」
「お父さん!きょうはとっても上手だった」

 未来くんと華固ちゃんはそう言って手をたたきました。

 

 『まだまだありそうな竜伝説』

子供にほめられて気をよくした夢幻坊は、未来くんのノートを覗き込んで言いました。
「ここには『馬子(まご)と竜神の話』は無かったな」
「えッ、それって?」
「ほら、下山口新田の弁天様の話だよ。鳩ヶ谷の方から空馬を引いて帰る馬子が、疲れている娘を乗せてやると、お礼に小箱をくれる。すると……」
「あ、思い出したわ。テレビの『日本昔噺(むかしばなし)』で見たことがある!」
「ほほう、テレビでもやったか。かなり有名になってるな」

 二人はテレビの方を見ましたが、スイッチは入っていません。未来くんが取り残された感じでつぶやきました。
「華固ちゃんが言ってくれないからだめなんだよ。有名な話だっていうのに……」

 これを聞いた華固ちゃんが、きびしい声で言いました。
「何をぶつぶつ言ってるのさ。早く書きなさいよ」
「わかったよ。『5.馬子に助けられた華固の話』って書けばいいんだろ」
「言ったわね。打(ぶ)つわよ!」

  華固ちゃんが拳を振り上げました。未来くんがぱっと逃げました。


   『見沼の雑誌に竜の話がいっぱい』
 夢幻坊は大笑いです。
「待て待て。きょう届いた面白い雑誌を持ってきた。これに見沼の竜の話が幾つも出ている。難しい漢字もあるが、面白いから貸してあげよう」
  二人は争いをやめて雑誌を受け取りました。『竜のひげ』という名の厚さ一センチほどの雑誌です。目次を見ると、詩や俳句、短歌、随筆(ずいひつ)、小説など、いろいろ載っています。あちこちに『見沼』という文字が散らばって見えます。『見沼の雑誌』といえそうです。
  夢幻坊のいう竜の話というのは『見沼の竜が語る竜の話』という題名の文章に違いありません。
「これだ、これだ」
 華固ちゃんがそのページを開きました。未来くんも顔を寄せて覗き込みました。
『きょうから何回かに分けて竜の話を聞かせようかのう。
見沼ができた当初から、わしはこの沼の主として棲むようになったのじゃが、長い間にはほかの竜も結構来ておったぞ。短期間の滞在(たいざい)で、どこへともなく去っていったが、いい奴も悪い奴もいたものじゃ……』
こんな調子の文章なので、二人はぐんぐん引きつけられていき、たちまち五、六ページの話を読み

 ▲九尼の⑦『蜃』  (和漢三才図会より) 

切りました。竜の話が幾つもあったのは大収穫でしたが、最後のページに竜とそっくりの動物が載っていて、竜は九つの動物の特徴をそなえているという説明は、二人にとって大きな驚きでした。
 『竜には「九似(きゅうじ)」といわれる特徴(とくちょう)がある。つまり九つの動物の特徴をそなえておるのじゃよ。これを紹介してきょうの話を終わるとしよう。

  ①頭は→駱駝(らくだ) ②目は→鬼 ③耳は→牛
  ④角は→鹿  ⑤胴は→蛇 ⑥鱗(うろこ)は→鯉
  ⑦腹は→蜃(しん)  ⑧掌(てのひら)は→虎 ⑨爪は→鷹(たか)
 このうち、「蜃(しん)」というのがあるが、これは竜に似た動物で、吐く息から 蜃気楼(しんきろう)が生じるという すごい霊獣
(れいじゅう)
なのじゃ……』

「うわあ、竜って、すごいんだなあ!」

 未来くんが感極(かんきわ)まったように叫びました。

「面白いわ!竜のこと、いっぱい調べましょうね」

  華固ちゃんは、ため息まじりでつぶやきました。
 このあと二人は、大宮区天沼町の天沼神社を尋(たず)ねました。

境内は子供の遊び場のようになっていて、拝殿のわきの小さな祠(ほこら)に五、六本の杓文字が供えてありました。

  塀のすぐ向こうに大きなお寺がありました。そこは『弥惣兵衛さん
と竜』の伝説のある大日堂だということです。

   [天沼神社の杓文字]

(つづく)


☆宮田正治(みやたまさじ)☆
  
さいたま市中央区(旧与野市)大戸出身。昭和20年、埼玉師範学校卒業。教職のかたわら、日本童話会に所属し、児童文学の創作について学ぶ。昭和56年、教職を退き、見沼関連の学習・取材・創作等に専念しつつ今に至る。

  昭和58年、歴史小説『竜神の沼』により、埼玉文芸賞受賞。平成10年、領家手づくり絵本の会会員等と『見沼文化の会』を結成し、見沼の自然と歴史についての学習・保全・普及活動などをつづける。現在、日本民俗学会会員、日本児童文芸家協会会員、浦和郷土文化会理事、見沼文化の会代表。

 

  《著 書》
①『竜神の沼―見沼干拓異聞―』さきたま出版会〔歴史小説〕
(昭和58年度埼玉文芸賞受賞作品)
②『竜神伝説―見沼代用水異聞―』さきたま出版会〔同上〕
(同上作品の続編)
③『見沼の竜』(埼玉の民話絵本①)幹書房〔民話絵本〕
(日本こどもの本研究会選定図書)
④『落日のニホンオオカミーオオカミ王武甲のものがたり』幹書房〔動物物語〕
(平成2年度中央児童福祉審議会推薦図書)
⑤『ホタルの歌と見沼の竜―新釈見沼民話十二選』幹書房〔新釈見沼民話〕
(1994年埼玉県推奨図書)
⑥『見沼の竜と小さな神様たち』さきたま出版会〔幼年童話〕
(2002年刊、現在続編準備中)

 

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第13回 見沼を干拓(かんたく)した 井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)さんを
調べるの巻
( 後 編)

  

華固ちゃんと未来くんは、和歌山県海南市(わかやまけんかいなんし)を中心とする井沢弥惣兵衛さんの業績や故郷を訪ねてまわり、お墓まいりもすませて無事に帰ってきました。

二人にとっては初めての大旅行で大満足でしたが、後の整理が大仕事となりました。特に野上八幡宮(のがみはちまんぐう)に弥惣兵衛さんが奉納(ほうのう)した水鉢(みずばち)のこと、晩年の寄進状(きしんじょう)のこと、歴史民俗資料館で見た測量器具のことは、なかなかうまくはまとめられませんでした。

二人が疲れ切ってノートも鉛筆も放り出したくなったときです。華固ちゃんは、ふとお墓でのことを思い出しました。

『あれはまぼろし? 幽霊か?』

畑の中の井沢家の墓地に立って、二人で手を合わせて拝んでいた時です。急に霧(きり)が立ちこめてきて、白髪(はくはつ)の老人が現われ、「よく来たな。わしが井沢弥惣兵衛じゃ。ゆっくり見学していきなさいよ」と言ったあと、関東で改めて会う約束をし、指切りまでしたのでした。それは予想もしなかったことで、二人はうれしくてたまりませんでした。

でも、考えてみればおかしなことです。弥惣兵衛さんは昔の人です。何百年も前に死んでいる人です。その人と会って指切りをするなんて変です。

あれはまぼろしだったのだ! 私たちは何かに化かされていたんだわ!

華固ちゃんはそれに気づくと、ぞくぞくっと寒気(さむけ)がしました。

「ねえ! 未来くん! 弥惣兵衛さんと会ったときのこと、おかしいと思わない?」

「別に……ちっともおかしくはないけど」

「だって、弥惣兵衛さんは死んだ人よ。過去の人よ」

「そうだよ。当たり前だよ」

「その人と指切りするなんて、おかしいんじゃない?」

「そうかな?」

「おかしいわよ。ああいうのを『まぼろし』と言うんだわ」

「華固ちゃんは臆病(おくびょう)だなあ。まぼろしだっていいじゃん」

「いいことないわ。あれは弥惣兵衛さんの幽霊よ!」

「え? 幽霊! おどかすなよ!」

「わたし、怖いわ!」

華固ちゃんは、急に庭に飛び降りて駆けだしました。

「おい、待ってくれえ!」

  未来くんもあわてて後を追いました。二人はお堂の前にいた夢幻坊に抱きつきました。

「どうしたのだ? 二人とも……。何があったんだ?」

「紀州(きしゅう)のお墓で、弥惣兵衛さんに会ったことを思い出しちゃったの」

「ぼくたち、関東でゆっくり会おうと言われて、指切りまでしちゃったんです」

「ほほう、それでどうした?」

「華固ちゃんが今頃になって、あれはまぼろしだ、幽霊だって言い出して……」

「そうよね。お父さんの術じゃないわね。あれはまぼろしでしょ?幽霊でしょ?」

  華固ちゃんがおどおどしながら言いました。お父さんはにこにこしながら言いました。

「うむ。お父さんの術ではないが、よかったではないか。めったにないことだ。弥惣兵衛さんが出てくださったなんて、これからいいこと、いっぱいあるぞ」

「え?どうして?」

「弥惣兵衛さんは天狗(てんぐ)の申し子なんだよ。お前たち二人を、将来、きっと人の為(ため)に役立つ人間になると見通したから、指切りまでしてくれたんだ。怖がらなくてもいいんだよ」

  夢幻坊のその言葉に、二人はほっとして、また、まとめの仕事に戻りました。

 『できあがった立派な銅像』

十月二十三日、日曜日の朝です。待ちに待った井沢弥惣兵衛翁(おう)の銅像除幕式の日をむかえました。夢幻坊は招待客として出席、華固ちゃんは式典の終わった頃、お母さんと未来くんと三人で見に行くことにしました。

「いいお天気だから、ピクニックの気分で出かけましょう。おにぎりを作るから華固ちゃんも手伝ってね」

「はあい。未来くんの分は私が作るわ」

「じゃあ、お母さんは、自分の分とお父さんのを作るわ」

こんな調子で、楽しく準備をととのえました。
  東縁(ひがしべり)用水の土手を歩いていくと、見沼自然公園が見えてきました。広場には白い大きなテントが三つも張られていて、秋の日差しをまぶしく照り返していました。
  近づいてみると、もう式典は終わっていて、係の人々が、マイクを運んだり掲示物をはがしたり、忙しそうに後片付けをしていました。テントの向こうに、新しい大きな銅像が目にはいりました。

「あ、あれだ!」

未来くんが駆け出しました。華固ちゃんも走り出しました。
それは、真新しい青みどりに光る台座の上に、しっかりと足を据えて立つ、お侍姿の全身像でした。羽織袴(はおりはかま)に大小の刀を差し、右手の扇子を少し前に出し、じっと遠くを見つめるちょんまげ姿。彫りの深いその顔は、六十を越えた老人のようですが、厳 (きび)しさの中にやさしさも感じられます。

「これが井沢弥惣兵衛さんなんだわ」

「何だか、見たことがある顔だね」

そう言いながらも、二人は予想をはるかに越えた立派な姿に見とれていました。

「いい銅像だわ。生き生きとしていて、上品で、威厳(いげん)があって……」

お母さんが、感極まったような声で見上げました。すると、いつの間にか傍に来ていた夢幻坊が、太い声で言いました。

「この姿で命令されたら、『ははッ、かしこまってござりまする!』と、いっぺんでひれ伏しちゃうな。どうだ? あ、は、は、は」

この笑いで、みんなの緊張(きんちょう)がとけました。それぞれに、彫り込まれた文字を読んだり、場所を変えて眺めたりして、新しい銅像の完成を祝いました。
  夢幻坊の話によると、式典には、銅像を作った彫刻家をはじめ、県知事や井沢家の人たち・野上八幡の宮司(ぐうじ)さんまで来ていて、厳粛(げんしゅく)でとてもよかったそうです

『弥惣兵衛さん、現われる』

おにぎり弁当を楽しく食べて、夢幻坊とお母さんは先に帰っていきました。華固ちゃんと未来くんは、池のほとりのベンチに腰掛けて、人馴 (ひとなれ)れした水鳥たちを眺めていました。
  その時です。二十メートルほど先の水面に映っていた幾つかの白い雲が、波に揺(ゆ)れて砕(くだ)けたかと思うと、水の中から陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと現われ出たものがあります。二人は驚いて立ち上がり、逃げようとしました。しかし、はっきりと見えてきたのは白髪の老人です。紀州で会って指切りをしたあのお侍さん、井沢弥惣兵衛さんだったのです。

「怖がることはないぞ。約束を果たそうと、今朝から待っておったのじゃ」

「じゃあ、除幕式にも出席なさったのですか?」

「いや、陰でそうっと見ていただけじゃよ。式は厳粛、いろいろな話が聞けたし、銅像は立派だし、すべてよかった。大勢の人が来てくれて、わしはうれしかったぞ」

「私たちもうれしいです

「ぼくは、急に関東へ行くことになったと聞いて、どんな用があるのか、不思議でした」

「そうか。わしは、関東で、見沼のほかにいろいろな仕事をした。始めに『飯沼』(いいぬま)という沼を干拓したが、見沼よりずっと広い沼だ。見沼の後の干拓では、『小針沼 (こばりぬま)・小林沼(こばやしぬま)・屈巣沼(くすぬま)・芝山沼(しばやまぬま)・鴻沼(こうぬま)等々』いくつもあるんじゃ。調べてみなさい。それに用水路も幾つも掘らせた。見沼代用水路の分流じゃ。知っているのが幾つあるかな?」

「ひとつも知らないです」

「そうか。この近くでは、すぐそこから天久保用水(あまくぼようすい)を取っているぞ。その先では川口の赤堀用水(あかほりようすい)。西縁 (にしべり)用水路からは砂分水(すなぶんすい)・高沼用水( こうぬまようすい)等、大事な仕事をしてくれているんじゃ。用水についても調べてみたらよかろう」

「はい。調べることにします」

「ほかに、関東での仕事としては、千葉県や神奈川県の方でもやったな。『江戸川』『多摩川』を始めとする川の改修工事もずいぶんとやっている。関東は広い平野なので、やりがいのあるところじゃ。今でも、一人でしばしば見に来ておるのじゃ」

「よくわかりました。ずいぶん忙しいんですね」

たいへんだった工事が五つ』

「うむ。見沼の仕事でな。わしや、部下の者が  大変だったな と思い出す場所が五つある。 なぜ、どのように、大変だったのか、それも調べてみなさい」

こう言って弥惣兵衛さんは、大きな帳面を広げました。そこには一から五までの場所と工事名が書いてあったので、二人はあわてて手帳を出して写し取りました。

一、下中条村(しもちゅうじょうむら)の取水口(しゅすいこう)工事
 二、八間堰(はっけんせき)・十六間堰(じゅうろっけんせき)工事
 三、柴山(しばやま)の伏越(ふせこ)し工事
 四、瓦葺(かわらぶき)の掛渡井(かけとい)工事
 五、八丁堤(はっちょうづつみ)北側の見沼通船堀閘門式運河(つうせんぼりこうもんしきうんが)工事

二人はこれを写しながら、『これからが大変だぞ』と、強く、強く、思ったのでした。

「きょうはこれくらいにして、また、会おうかのう。この次は、見沼代用水をさかのぼって利根川まで、空から眺(なが)めてみようかのう」

「もう一つだけ教えてください」

「いいとも、いいとも」

「見沼の仕事で、弥惣兵衛さんが一番困ったことは何ですか?」

「うーん。それはなあ、『見沼の竜神さま』が、なかなか干拓を許してくれなかったことじゃなあ。あれには本当に困った。わしら人間が勝手に自然を変えようとしたんじゃから気の毒なことじゃったが、大勢の人々の為だから許してほしいとお願いしたわけじゃ」

「今でも悪いと思っているのですか?」

「ま、見沼の竜のことだけに限ればな。でも、どれだけ多くの人々に役立ったかを考えれば、いい仕事をさせてもらったと満足しておるぞ」

弥惣兵衛さんはそう言って腕を組み、懐かしげに池の遠くを見つめました。それからしばらくしてさっと立ち上がりました。

「そうだ。やはり、きょうはこのぐらいにしよう。いいかな? この池の奧に竜神が来ているような気がする。行ってみるとしよう」

そう言い残して、ずんずんと水の中に入っていき、煙のように消えてしまいました。


(おわり)

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第12回 見沼を干拓(かんたく)した 井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)さんを
調べるの巻
( 中 編 )

  

華固ちゃんと未来くんは、井沢弥惣兵衛さんの事を研究することにしましたが、その計画が夢幻坊に認(みと)められ、うれしくてたまりません。
「ねえ、華固ちゃん。きょうはよかったね」
「ええ、よかったわ。勉強計画が合格し、見沼の竜の話が聞けたんだもの」
「ぼくはね。何だか、弥惣兵衛さんの生まれ故郷(こきょう)へ行かれそうな気がしたんだな」
「行かれる! 行かれる! 絶対(ぜったい)だわ」

「そうか。華固ちゃんもそう思うか」

未来くんは両手の拳(こぶし)を天に突き上げました。二人は次々と調べを深めていきました。

『研究① 弥惣兵衛さんの出生と少年時代の事』

◎ 寛永(かんえい)3年(1663年)に紀州藩(きしゅうはん)の溝ノ口(みぞのくち)村(現在の和歌山県海南市野
  上新(わかやまけんかいなんしのかみしん))で、井沢弥太夫の長男とし て生まれた。名前は為永。ふだんの呼

  び名は弥惣兵衛。

◎ 先祖は清和源氏(せいわげんじ)の源義光(みなもとのよしみつ)から出ていて、その子孫は根来寺(ねごろじ)
  
の僧になったが、寺が廃寺(はいでら)となったので、溝ノ口村に移り住んだらしいとのこと。

◎ 弥惣兵衛さんはたいへん頭が良く、特に数学にすぐれていて、村の 
   人々は、近くにそびえる黒沢山の天狗に学問を教わったのではないか
   とうわさするほどだった。

◎ 8才の頃、父に連れられて紀三井寺(きみいでら)に行ったが、亀の川
   のほとりを歩いていて、この川は洪水が多く人々はたいへん困(こま)
  ていると聞かされた。すると、「こんなに曲がりくねっていては洪水にな
  るのはあたりまえだ。真っすぐにすればいい」と言ったという。

      

◎ 45才のとき、この時の言葉どおり、紀州藩の役人として亀の川の改修(かいしゅう)をしたが、曲がる流
  れを真っすぐにして洪水を減らすようつとめた。

「弥惣兵衛さんは、子供の時からふつうではなかったのね」
「頭がよかったんだね。脳が大きかったんだ、きっと……」
「変なこと言うわね。脳のことなど、どこにも書いてないわ」
「書いてなくても、絶対に大きかったと思う。ぼくの倍ぐらいかな?」
「脳にこだわるわね。私は未来くんの倍の倍はあったと思うわ」
「へえ! そんなにかよう!」

 未来くんが泣き声を出したので、華固ちゃんは大笑いしてしまいました。

『研究② 紀州藩の役人時代の事』

◎ 元禄(げんろく)3年(1690年)28才のとき、紀州藩第2代藩主(はんしゅ)の徳川光貞(とくがわみつさだ)公に
  呼び出されて、藩の役人になった。

◎ この年の5月、野上八幡宮(のがみはちまんぐう)へ水鉢(みずばち)を寄進した。この水鉢は今も残ってい
  る。

◎ 自分の家が野上八幡宮や法然寺(ほうねんじ)という寺と同じ高さのところにあると気づき、一段低いと
  ころに引っ越したという伝説があるほど、神仏を敬った人である。

◎ 大畑才蔵(おおはたさいぞう)という技術者を見出して、藤崎井(ふじさきい)用水、小田井(おだい)用水、亀
  池(かめいけ)開削工事などを完成させた。大畑才蔵は今の和歌山県橋本市学文路(かむろ)の庄屋の家
  に生まれ、23才で庄屋の役を継いで利水(りすい)・治水(ちすい)の技 術を学んだ。弥惣兵衛さんより21才
  年上だった。

◎ 弥惣兵衛さんは測量するのに 『水盛器』(みず
   もりき)
という 道具を使った。手製の測量器具で、
  竹と材木を主にし た簡単なものだった。それは
  右の図のようなものである。海南市の歴史民俗
  資料館には復元したものが陳列(ちんれつ)されて
  いる。

◎ この『水盛器』を使っての測量について、大畑
  才蔵は次のように書いているという。

 「使用の器具は簡単素朴(そぼく)。一本の竹竿、手製の水盛器なれど、一度手をくだせば寸分(すんぶん)の誤(あやまり)りなかりき」  と。

 華固ちゃんと未来くんはここまで調べてきて、すぐにも紀州へ行きたくなりました。

「ねえ、未来くん。今が紀州へ行くチャンスだわね」
「そうそう。水盛器なんて、本物を見なければ見当もつかないよ」
「そうだわ。今、すぐ、お父さんのところに頼みに行きましょうよ」

二人は張りつめた気持ちで夢幻坊のところへ行きました。夢幻坊は二人の熱心さに感心して言いました。

「よし、お前たちの願いを叶(かな)えてやろう。今度の土曜・日曜と一泊二日だ」
「わーい、ばんざーい。弥惣兵衛さんに会えるぞう!」
「水盛器のある資料館にも、水鉢のある八幡宮にも行かれるわ」

二人は大喜びでした。
  出発の朝、夢幻坊は二人をお堂へ呼び入れ、あの不思議な祈りの儀式をしました。

『紀州の旅は和歌山城から』

三人は、新幹線と阪和線とを乗り継いで、和歌山駅に着きました。すぐにタクシーに乗り、和歌山城に向かいました。大きな城が見えてきた時、夢幻坊は両脇(りょうわき)の二人に目をつむらせ、頭に手を載せて、また変な呪文を唱えました。

「さあ、これでよし。ここが紀州の殿様がいた和歌山城だ。番兵(ばんぺい)が立っているだろうが、こちらの姿は見えないはずだ。そばまで行って、城門(じょうもん)の造りなんかを見ていなさい。間もなく野上(のがみ)という背広姿(せびろすがた)の男が来る。わしの友達で、案内を頼んである。何でも教えてくれるから、遠慮(えんりょ)せずに質問しなさい」

「お父さんはいっしょじゃないの?」
「わしはこの先の紀三井寺に用があるので、別行動だ。野上八幡宮で会おう」

夢幻坊はタクシーで引き返していきました。

「がんじょうな造りだわ」
「大手門(おおてもん)と書いてある。さすがに大きいね」

 感心して眺(なが)めているところへ、背広姿の紳士(しんし)が現れました。

「夢幻坊の愛弟子(まなでし)、華固ちゃんと未来くんですね。ぼくは野上と言います。紀州の郷土史と宗教史を研究しています。きょうはよろしく」

笑顔を見せながら、はきはきと自己紹介をし、すぐに歩き出しました。二人は好感を持ちながらも固くなってついていきました。

「今日は勉強に必要なところだけにするからね。冬休みか春休みに3、4日泊まる予定でまた来なさいよ。紀州にはいい所がいっぱいあるんだからね」
「はい。そうします。私たち、急に来たくなってしまったのです」

「それでいいんだ。思ったらすぐやるというのが、子供らしくていい。ほら、ほら、行列が出て来たよ。殿様のお出かけだ! ああして、市中見回りに行ったり、時には泊まりがけで鷹狩(たかがり)りに行ったりしているんだ」

 旗(はた)や弓、鉄砲(てっぽう)、槍(やり)などを持った大勢(おおぜい)の家来が出てきます。

「弥惣兵衛さんの家には、鷹狩りの時に度々(たびたび)寄っていたらしいよ」
「お殿様が寄ったんですか? すごい家だったのですね」

「ま、名主(なぬし)とか庄屋というのは、村の中心的な存在だからね。ほら、紀州藩第2代藩主の光貞公につづいて、3代藩主綱教(つなのり)公も出てきたよ。殿様ともなると馬上(ばじょう)の姿は立派だね」
「あの髭(ひげ)をはやした殿様が、最初に弥惣兵衛さんを召(め)し抱(かか)えた人だわ」
「そうそう、よく知ってるね。ま、昔のお城や殿様の行列が見られたので、今度は海南市へ飛ぼう。さあ、付いておいで。ヘリコプターに乗るからね」

野上さんはそう言いながら、『和歌山県立図書館』と書いてある建物の奥へさっさと入っていきました。長くて暗いトンネルのような廊下をぬけると、広場があってヘリコプターが待機(たいき)していました。三人が乗り込むとすぐ舞い上がりました。

『弥惣兵衛さんの仕事は空から』

「弥惣兵衛さんのやった仕事を見るには、ヘリコプターを使って空から見るのが一番いいんだ」
「ぼくは乗るのが始めてだ。華固ちゃんは?」
「私も初めてよ。うれしいわ」
「それはよかった。曲がりくねった古い川の跡が分かるし、溜(た)め池と用水のつながりなどがはっきり見られる。ほら、和歌山市の広がりがよく見える。山も川も見えてきた。あの大きな川が紀ノ川だ」

 野上さんは移る景色に合わせて、口早に説明します。

「紀ノ川と反対の南へ向かうよ。よく見てなよ。ほら、夢幻坊が行った紀三井寺が見えてきたよ。そばの鉄道線路に沿った川が昔の亀ノ川だ。弥惣兵衛さんが真っすぐになおした新川が見えてきたぞ。海南市の中心は右の方だが、左手、上流に向かうからね」

目の下の景色が次々と変わっていきます。秋の美しい田園風景です。華固ちゃんと未来くんは、息を呑(の)む思いで見とれていました。
しばらく進むと鉄道線路が見えてきました。2両編成の小さな電車が登ってきます。

「あれが海南市から来た野上電鉄の電車だ。間もなく亀池が見えてくる。弥惣兵衛さんの紀州で一番の大仕事である用水池だ。ほらほら、見えてきたぞ」

それはかなり大きな溜め池でした。発電用のダムを思わせる大堤防(だいていぼう)が見えます。
ヘリコプターはそのまま山地の方へ向かいます。

「亀池や歴史民俗資料館は、あとで夢幻坊といっしょに見ることになっている。あ、野上八幡宮の赤い建物が見えてきたね。ここへ降りる前に住居跡と墓地に案内するからね。」

『住居跡と井沢家代々の墓』

ヘリコプターは道路脇の空き地に着陸しました。坂を登って左に曲がり、少し入ったところに長四角の空き地があります。

「ここが弥惣兵衛さんの生まれ育った家の跡だ。氏神様(うじがみさま)の八幡宮や法然寺と同じ高さに住んでいては申し訳ない、と言って引越したのはこの下に見える田んぼのあたりらしい」

野上さんはそう話してから、その神社や寺を教えてくれました。

「さあ、井沢家のお墓を拝(おが)んでおこうか」

 道路の反対側の畑の中に小さな墓地があり、その一画に井沢家の墓がありました。野上さんはさっさと拝んでヘリのほうへ行きました。華固ちゃんと未来くんは『井沢家代々の墓』と彫(ほ)られた石の奥に古い墓石が並んでいるのを見つけました。苔(こけ)むして字が読めないほどの古さに胸を打たれる思いで手を合わせていると、急にあたりに霧がたちこめてきました。何事(なのごと)? と思う間もなく、墓石の向こうに和服姿の白髪(はくはつ)の老人が現れ、笑みを浮かべて立っています。どこかで見たようなお侍の姿です。

「よく来てくれたのう。わしが井沢弥惣兵衛じゃ。ゆっくりと見学していくがいい。わしは急に関東へ行くことになったのでな。十日ほど後に、関東でゆっくり会おうぞ。わしの銅像が建つようだし、そこで会おう。約束じゃ。指切りをしておこうかのう」

 そう言って小指をかかげて寄ってきました。二人はうれしくて飛び付くように

[海南市の井沢家の墓]

弥惣兵衛さんの手をつかみました。それは温かくてごつごつした不思議な感触でした。けれどもヘリコプターがいきなりエンジンの音を響(ひび)かせると、立ちこめた霧が忽(たちま)ちにうすれて、弥惣兵衛さんの姿もどこへともなく消えてしまったのでした。

(つづく)

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第11回 見沼を干拓(かんたく)した 井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)さんを
調べるの巻
(前 編)


 見沼田んぼは、将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)の命により、井沢弥惣兵衛為永(おざわやそべえためなが)という老土木技術者によって開かれた田んぼです。面積は千二百ヘクタール余りで、関連して掘削された『見沼代用水』という用水路は、規模や技術の点で全国に名が知られています。
 これらのことは、華固ちゃんも未来くんもよく覚えていることです。

『やりにくいが、大事な人』

ある日、華固ちゃんが未来くんに言いました。
「ねえ、未来くん。今度、井沢弥惣兵衛って人を調べてみることにしない?」
「ああ、いいねえ。ぼくもずうっと考えていたんだ」
「どうして言ってくれなかったの?」
「別に……。何となく、やりにくい感じがしたんだ」
「あら、同じだわ。どうしてかしら?」
 
それは確かに不思議な感じでした。いちばんやりたい人、やらなければいけない人なのに、次へ次へと、調べるのを先送りにしてきたのでした。
「四年のとき習って、だいたいのことが分かっていたからかなあ」
「きっとそうだわ。あまり調べることはないような気がしていたんだわ」
「今度は、今まで調べた中の誰よりも詳しく調べることにしようか」
「いいわ。さっそく調べる中身や、その順序を相談しましょ」
「うん。そしてさ、その中に、弥惣兵衛さんに会って聞くという計画も入れようよ」
「それがいいわ。未来くんが頼めば、お父さん、絶対に引き受けてくれるわ」
 
二人はわくわく胸をはずませながら、計画を立て始めました。

『調べることと、調べる順序』

 
① いつ、どこで、どのような家庭に生まれたのか
 ② 少年時代をどのように過ごしてきたのか
 ③ なぜ江戸に呼び出されたのか
 ④ 見沼干拓の方法や、見沼代用水について詳しく調べる
 ⑤ 井沢弥惣兵衛さんに会って、直接お話を聞く
 ⑥ 見沼の伝説や、弥惣兵衛さんのお墓について調べる
  このような六つの項目にまとめあげると、二人は揃(そろ)って夢幻坊(むげんぼう)のところに行きました。
「お父さん、未来くんがお願いがあるんだって」
「何かな? 華固におしつけられたんだろうが、たいがいのことは聞いてやるぞ」
 
夢幻坊はとても機嫌(きげん)がよさそうでした。
「すいません。また見沼のことなんです。調べる計画を立ててきたので見てください」
「そうか。その中で、弥惣兵衛さんのところに連れてってもらえるように仕組(しく)んだのだろう」
「え? これ、見ないでも分かったんですか!」
「お父さん、すごいや。千里眼(せんりがん)だね」
「そうともさ。今の宇宙望遠鏡よりよく見える眼力(がんりき)だぞ」
 
夢幻坊は確かに先の先まで見通し、過去の世界とも行き来できる超能力行者(ちょうのうりょくぎょうじゃ)なのです。

『銅像が建つ! その姿、形は?』

「時期としてはちょうどいい研究テーマだ。弥惣兵衛さんにとっては初めての銅像が建つのだし……」
「えツ、銅像が建つ?」

 二人は同時に驚きの声をあげました。
「まだ話してなかったかな? この方の墓や顕彰碑(けんしょうひ)はいくつもあるが、銅像は初めてだ」
「いつごろ、どこに建つの?」
「今年の十月らしい。緑区南部領辻(なんぶりょうつじ)の見沼自然公園と決めたらしい」
「お父さんはいつか、弥惣兵衛さんには肖像画(しょうぞうが)のようなものはないと言ったけど、どうして顔や姿が分かるの?」

「それは彫刻家の直感(ちょっかん)と力量(りきりょう)で創り出していくものだ。はたの者にはなんとも言えない」
「直感と力量なんて、分からないや」
「もっとやさしく言ってちょうだい」
「うん、つまりな。画家や彫刻家の人が、こういう人物に違いないと頭にひらめくのが直感であり、その姿が、見る人みんなの心に十分に伝わるように創りあげる力が、その人の力量なのだよ。」

[見沼自然公園]

「ふーん……?」
 二人は分かったような、分からないような感じで顔を見合わせました。
「わしが説明するよりもこれを見るといい。まだ届いたばかりだが、銅像の原型の写真が載(の)っているぞ」
 
夢幻坊は、厚手の紙にカラー印刷された、広告のような紙を二人の前に広げました。そこには、上段二行にわたって、『見沼代用水路開削(かいさく)の井沢弥惣兵衛為永翁(おう)銅像建立(こんりゅう)寄付金募集』と大きく書かれています。
それはふつうの広告とは違い、たいへん落ち着いた感じのする募金のポスターでした。
そして更に二人の目を奪(うば)ったのは、紙の右下の方に控(ひか)えめに載っている、一人のお侍(さむらい)の写真でありました。
「それが弥惣兵衛さんの銅像の原型だ。羽織袴(はおりはかま)に大小(だいしょう)二本の刀を差し、右手に扇子(せんす)を持って毅然(きぜん)として立っている……。なかなかいい顔、いい形だ」

『お侍姿の弥惣兵衛さん』

「じっと遠くを見つめているのね」
「土木技師じゃなくて、お侍だったんだ!」
「そうだよ。この頃の役人というのはみんな侍だったのだよ」
「お年寄りみたいだけど、幾(いく)つくらいかしら?」
「うむ。年ははっきりしないんだが、江戸へ来たとき六十歳は越えていた。それから五年程して見沼の干拓に取り掛かったのだから、七十に近かったと思うよ」
「じゃあ、お爺(じい)さんだ」
「うむ。お爺さんだから、ここにも敬意(けいい)を表(ひょう)して『井沢弥惣兵衛
為永翁の…』と書かれている。やさしくて強い、しっかりしているお爺さんと言えるな。これなら竜と向かい合ってもびくともしないだろう」
「え? 竜に出会ったことがあったのですか?」
「そうだ。有名な竜神伝説として伝えられてきているのだ」
「図書館に絵本があったわ。未来くん! あした読みなおしてみようね」
「それもいいけど、ぼくは今、おじさんから竜の話を聞きたいな」
「そうか、そうだね。お父さん! その竜の話、聞かせてちょうだい! お父さんの昔ばなし、しばらく聞いてないわ」
「ぼくも、この頃全然聞いていません」
「うむ。そう言われたんじゃ話さんでもないが、先ずその勉強の手順というのを見て、合格したらということにしよう」
 夢幻坊はそう言って二人のノートを見ました。もちろん合格です!
「さて、これから話すお話は、民話の本や市史(しし)に載っているのと少し違うぞ。図書館にあるという絵本の話の方が近いと思う。それは、竜についての見方(みかた)や考え方が、あの絵本の作者とまったく同じだからだ。すべて共感できるのだ。お前たちにも、竜の気持ちや、役人の立場や気持ちが、十分に伝わるといいのだが……」
 
前置きが終わったときの夢幻坊の顔は、なぜか、とても暗い感じに見えました。

『竜神伝説・見沼の竜と井沢弥惣兵衛』

 
見沼田んぼは、昔は広いひろい沼であった。この沼には古くから一匹の竜が棲(す)んでいた。竜は沼の主(ぬし)であり、守り神でもあったので、ここに棲むたくさんの生きものたちは、みんな安心して暮らしていた。それは、見沼のまわりの村々に住む人間にとっても同じだった。
ところが江戸時代も中(なか)ごろになって、見沼はがらりと変わることになった。ある日、百年も前から水を堰(せ)き止める役目を果たしていた八丁堤(はっちょうづつみ)と呼ばれる大堤防(だいていぼう)が、幕府の役人の指揮(しき)によって真ん中で切り崩(くず)された。沼の水はごうごうと流れだしくんぐん減っていく。
見沼の主、竜は怒った。

「わしに一言の断(ことわ)りもなく、見沼の水を抜(ぬ)くとは何事だ!」 と。

 怒ったけれども役人たちに報復(ほうふく)している暇(ひま)はない。魚たちが苦しんでいる。次々と死んでいく。竜は魚たちを助けるために走り回った。走り回りながら工事をやめさせようと考えた。考えたけれどもいい方法は見つからない。工事場に事故が起きるように仕組んだ。しかし人間たちは少しもひるまない。数十人の作業員たちに熱を出させてみた。けれども人間たちは助け合って働き、少しも怖(おそ)れない。
 竜は思いあまって若い娘に身を変えた。いちばん年寄の、いちばん偉い役人の所に頼みにいった。工事をやめて生きものたちを助けてくれと……。
 けれども役人はやめるとは言わない。それどころか、何があっても工事はやり通すのだと言う。沼を田んぼに変えて、米の収穫を増やさなければならないのだと言う。
その意志の固さに、竜はとまどった。そして言った。

「あなたは、人間さえよければ、ほかの生きものはどうなってもいいというのですか」 と。

 老役人は目に涙を浮かべて言った。
「生きものはみんな大事だ。わしは、はるかに遠い利根川から用水を引き、田んぼにも溝(みぞ)にも水を満たす。芝川をぐんと広げ、岸辺には木を植える。生きものたちは今よりも暮らしやすくなる。わしはそう考えて工事を進めている。頼む! 分かってくれ……」
 娘姿の竜は黙(だま)って立ち上がった。この老人の為(ため)に、自分の棲みかの見沼を明け渡そうと思った。そして、嵐を呼んで天に昇っていったのであった。

『後日談(ごじつだん)とこぼればなし』

 
話し終わった夢幻坊は、二人の表情をじっと見比(みくら)べました。それから満足気(まんぞくげ)にこんな話を付け足しました。
「この話には後日談やら関連する伝説やら幾(いく)つもあるのだ。先ず、大宮区天沼町(あまぬまちょう)に大日堂(だいにちどう)というお寺があるが、干拓奉行(ぶぎょう)の老役人、つまり弥惣兵衛さんはここで病(やまい)の床(とこ)についていたという。娘姿の竜はここへ訪ねてきて干拓の中止を訴(うった)えた。その時宿直の侍が覗(のぞ)いたら、大きな竜が役人の体を舐(な)めていた。侍はびっくり仰天(ぎょうてん)、気を失ってしまった。

翌朝、人々は気味悪がって片柳(かたやなぎ)の万年寺(まんねんじ)へ引っ越したというのだ。
さて、それから何年か後、片柳の村で葬式があり、お棺(かん)をかついだ葬列(そうれつ)が万年寺の山門(さんもん)をくぐろうとした。そのとき、急に突風(とっぷう)が吹き荒れ、お棺を空中高く舞い上げてしまった。村人は見沼の竜が人間を怨(うら)んでいるのだと怖れ、これ以来、山門は開けないこととしたという。

[天沼町の大日堂]

それで人々はこの門を『開かずの門』と呼んでいた。このほか、まだ幾つかあるはずだ。あとは自分たちで調べなさい。努力のあとが認められたら、また相談にのってあげよう」
 
夢幻坊は、急に忙(いそが)しそうに部屋を出ていきました。         
                                                                  (つづく)

〜今回のお話に出てきた見沼自然公園と大日堂の場所〜
 

〔見沼自然公園〕

〔大日堂〕

 

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第10回   染谷(そめや)美人の謂(いわ)れと人魚の伝説を
調べるの巻 


 華固ちゃんを泣かした童話の本』


  華固ちゃんは久しぶりに目をまっかにしてその物語を読みおわりました。それはアンデルセンの名作「人魚姫」のお話でした。
深い海の底で育った人魚の娘が、嵐のあとの海岸で助けた王子様を好きになり、魔女に頼んで人間の体にしてもらうことから始まる悲恋(ひれん)物語です。
魔女は人魚姫に人間の足をつけてやる代わりに、話すのに無くてはならない舌(した)を要求するのです。言葉を失った人魚姫は、自分の気持ちを伝えることができなくなります。王子様のすぐそばにいられるようになっても、何も言えない身になってしまうのです。
王子様は隣の国の美しい王女を、自分を助けてくれた娘と勘違(かんちがい)いして、とうとう結婚(けっこん)してしまいます。これを見兼(みか)ねた人魚姫の姉たちは、魔女に頼んで魔法のナイフをもらってきます。これで王子の胸を刺(さ)し、その血が人魚姫の足にかかれば元の人魚に戻れるというのです。
人魚姫はナイフを持って王子の寝室(しんしつ)にいきますが、刺すことなどできるものではありません。人魚姫はナイフを捨てて海に身を投げてしまいます。華固ちゃんは人魚姫がかわいそうで立ち上がることもできず、ぼんやりとして溢(あふ)れる涙をふいていました。
 そこへ突然、未来くんが現れました。
「華固ちゃん、どうしたの? ははぁ、叱(しか)られたんだな。何をやったんだよ」
「叱られるようなこと、する訳ないでしょ。勝手に決めないでよ」
「おこりん坊だなぁ、華固ちゃんは!」

 未来くんはそう言いながら、華固ちゃんの本をのぞきこみました。
「あ、人魚の本だ! これを読んで泣いちゃったの?」
「ん……。だって、かわいそうで、かわいそうで、たまらなかったのよ」
「ふーん。ぼくも人魚に関係ある話を持ってきたんだけど、かわいそうな話じゃないんだな。面白い

 二人はこんな話から『総合学習』の研究の話にはいりました。

 

『八百歳まで生きた八百比丘尼(やおぴくに)とは?』

 

「ぼくのお父さんが、人魚の肉を食べて八百歳まで生きた人の研究を始めたんだって」
「え? やだわ。そんな人、いるの?」
「うん、女のお坊さん、つまり尼(あま)さんなんだって。幾(いく)つになっても若くて、きれいで、八百
「どこの人なの? 本当にいた人なのかしら?」
「いたのだと思うよ。あちこちに遺蹟(いせき)やお墓があるらしいから」
「あら、そう。見沼の近くにもあるのかしら?」
「元大宮市の染谷というのを調べてみろとお父さんが言うんだ。華固ちゃんちの資料で…」
「いいわ。先ず、その染谷というのから探してみましょう」
 華固ちゃんは奥へ行き、お父さんの書斎(しょさい)からたくさんの本を持ってきました。二人は手分けをして探し始めました。未来くんが一つ見つけました。
「華固ちゃん、あったよ。簡単な説明だけだが、読んでみるね」
 未来くんがたどたどしくも読み上げました。
『染谷新道(そめやしんどう)を北上する。右手一帯の小高い台地が安養寺跡(あんようじあと)である。かなり広大な寺院であったと思われるが、今はそれを偲(しの)ぶ手がかりはない。ただ、遠い昔、見沼にまつわる人魚と美女の話が静かにこの地に伝えられている。美女を見染(みそ)めた男たちの哀歓(あいかん)、それは後に〈染谷〉の地名として定着したという』
「それ、面白いわね。その『人魚と美女の話』というのがどこかにないかしら?」
「あるかもしれないね。むずかしい説明が多すぎるけど、もっと探してみよう」

 二人は要点を書き出しながら調べを進めていきました。人魚の話は見つからず、八百比丘尼伝説がたくさん並んでいました。


『八百比丘尼の遺蹟』

 

◎川口市前野宿に八百比丘尼が住んだという比丘尼堂(ぴくにどう)がある。
◎大宮区北原の八百姫大明神(やおひめだいみょうじん)は八百比丘尼(やおぴくに)の住居の跡だという。
◎浦和区大久保領家の山王社(さんのうしゃ)(日枝(ひえ)神社)の大欅(おおけやき)は八百比丘尼が植え たものと伝える。
◎このほか、ツバキ、エノキ、マツの大木やお堂、塚等も関連しているものが多い。
「安養寺のこともあるわ。読んでみるね」 華固ちゃんが読み上げました。
『八百比丘尼の安養所。大宮市染谷。染谷のあにじという家は、昔の安養寺のことで、安養寺は奥州(おうしゅう)へ下る折りに病にかかった八百比丘尼が安養させてもらった寺だという。今も阪東(ばんどう)第六番の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀(まつ)っている』
「これだけだけど、わたし、何となく行ってみたくなったわ」
「ぼくも今、そう思った。あの菖蒲園(しょうぶえん)の向こう側だと思うから、明日にでも自転車で行ってみようよ」
「それがいいわ。だんだん面白くなってきたわね」

 

『面白くなってきた伝説調べ』

 

二人は地図を見て探してみました。第六番の札所(ふだしょ)というのは八雲神社(やくもじんじゃ)のそばにありました。けれども八百比丘尼については何も書いてはありませんでした。

二人は明日を楽しみに、今日のまとめにかかりました。

 

 

[染谷の八雲神社]

『人魚の伝説と八百比丘尼のまとめ』


(1) 人魚について
 ① 上体が人間で、下体が魚体の想像上の生きもの。
 ② ジュゴンという哺乳動物(ほにゅうどうぶつ)が、昔は人魚であろうと思われていた。

   それは、立ち泳ぎをしながら乳を与える姿が、人間によく似ているからという。
 ③ デンマークの詩人・童話作家のアンデルセンに、『人魚姫』という名作がある。
 ④ 見沼には伝えられていない。


(2) 八百比丘尼について
 ① 長寿伝説の一つである。比丘尼は仏門にはいった女性…尼さんのこと。
 ② 若狭(わかさ)の国(福井県)の女性。少女のころ人魚の肉を食べたため、八百歳になっても若さが衰(おとろ)えなかったので、人々から『やおびくに』と呼ばれた。
 ③ 修業僧や山伏(やまぶし)などのように諸国を巡り、木を植え、道を造り、橋をかけるなどの仕事をし、民衆の教化にもつくした。
 ④ 川口、わらび、鳩ヶ谷、浦和、大宮、その他遺蹟といわれる物がたくさんある。
 
  こまでまとめたとき、華固ちゃんのお父さん、夢幻坊(むげんぼう)がのぞきにきました。
「ほほう、人魚と八百比丘尼の調査か。面白そうだな」
「面白いけど、たいへんだわ。むずかしい資料しかないんだもの」
「ん? なかなかよく出来てるようだな。デンマークのアンデルセンが書いてあるが、日本のアン
デルセンが抜けているぞ」
「え? 日本のアンデルセン?」
「そうだよ。小川未明という人の『赤いロウソクと人魚』を入れなきゃだめだ。それに、見沼の人魚はどうした? 書いてないではないか」
「え? 見沼の人魚?」
「いたのですか? 見沼に!」

  二人はびっくりして聞き返しました。


『見沼にあった人魚伝説』

「ははぁ、大宮市史が出てない……が、書斎にはなかったのかな? 待てまて、思い出したぞ。
いいものがあったんだ」 
 夢幻坊は独り言のようにつぶやいて書斎に行きました。
 二人が待ちきれない思いで待つ間に、夢幻坊は古びた原稿風の綴(つづ)りを持ってきました。
「これはこの間見つけた古い原稿だ。友達が大宮市史を参考にして書いたものだ。中味はすでに
 夢幻坊は二人の前に座って、綴りをめくりました。
読んでくれた人魚の話は、およそ次のようなものでした。

 ある秋の夕方、見沼の竜は片柳台地(かたやなぎだいち)の北の方に異様(いよう)な光を見つけた。そこは染谷の入り江で、裸体(らたい)に近い美しい娘が沼からはいあがってふるえているのだった。竜は近くでアシを刈っていた男に「すぐ助けるように」と声のない声で命じた。 男は娘を見つけ、背負って家に帰ると手厚く看病した。その後、娘は男の女房になった。母によく似た女の子が生まれ、男はいっそうよく働き幸せな暮らしがつづいた。しかし、七年目を迎えた夏のこと、母は娘のいないときにたいへんなことを打ち明けた。
「自分は天の国で生まれ育った人魚なのだ。体が弱く、養生(ようじょう)しようと国を出たが、道に迷って見沼に来てしまった。あなたに助けられて丈夫(じょうぶ)になり、子供まで授かって幸せだったが、天の国の定めで七夕の夜には帰らなければならない。 黙っていて悪かったし、つらい
 男は悲しんだがどうしようもない。見沼の竜にも打つ手はなかった。
七夕の夜、天の国の人魚だという母は、淡(あわ)い神秘な光の中を天に向かって旅立った。女の子と父はじっとそれを見送り、手をつないで我が家に帰っていった。

 それは正(まさ)に悲話(ひわ)でした。華固ちゃんも未来くんも、しばらくは声が出ませんでした。

「その女の子、どうなったのかしら?」
「うむ。母親をしのぐほどの美人の娘となり、村人の羨望(せんぼう)
「よく分かったわ。レポートがぐんとよくなりそう」

[染谷の菖蒲園]

「おじさん、有難うございました。ぼくたち、明日見に行ってみます」
「それはいいことだ。染谷あたりの入り江はいくつもあるが、わしは『菖蒲園』になってる所だろうと思っているんだ。しかしな、この人魚の話と八百比丘尼の話とはまったく別だからな。いっしょにするなよ」
 夢幻坊はそう言い残して書斎に戻っていきました。   

                                                                                                           (おわり)

〜今回のお話に出てきた菖蒲園と八雲神社の場所〜

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第9回 竜を封じ込めた左甚五郎(ひだりじんごろう)さんに会うの巻


『復活した「見沼竜神祭り」』
  天高く雲一つなく晴れ渡った秋の土曜日のことです。華固ちゃんと未来くんは、三つの寺社(じしゃ)を結んで行われるという「見沼竜神まつり」を見に出かけました。三つの寺社とは、国昌寺(こくしょうじ)、万年寺(まんねんじ)、氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)のことです。

 華固ちゃんのお父さん、夢幻坊(むげんぼう)の話では、国昌寺で山門に封じ込められている竜を解き放つ儀式を行い、その後行列を作って万年寺に行き、ここでは暴風雨(ぼうふうう)を起こして大暴れしたという見沼の竜の心を鎮(しず)め、また行列を組んで氷川女体神社に向かう。女体神社では、昔からの『磐船祭遺跡』(いわふねまつりいせき)の池を中心とした行事を予定しているのだという。
「宣伝らしいことはしてないようだから、参加者は少ないかもしれない。役立つこともあるだろうからぜひ見てきなさい。お前等が行くと見沼の竜は喜ぶぞ。左甚五郎も喜ぶぞ」
「え? ひだり、じんごろう?」
「そうだ。田畑を荒らす竜を、山門(さんもん)の欄間(らんま)に封じ込めた彫刻の名人だ」
「思い出したわ。日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の『眠り猫』を彫った大工さんでしょう?」
「そのとおりだ。不思議な人物だ」
「不思議な人物?」
「そうだ。生まれや業績、経歴や作品に不明なところがいっぱいある。ありすぎる!そういう意味で不思議な人物だ」

その人物が喜ぶと言われては行かない訳にはいきません。華固ちゃんは、その後すぐに未来くんを誘ったのでした。

『国昌寺の竜はすごい!』

 二人は最初の会場である国昌寺に行ってみました。
どっしりした大きな山門は、いつものようにぴたりと閉じていて、金ぴかの菊の紋章(もんしょう)が二つ、 厳(おごそ)かに光っています。近寄ってみると扉の前にテーブルがあり、花・香炉(こうろ)・鐘(かね)・お経の本等が載っています。
「ここで儀式をやるんだわ」
「そうみたいだね。竜のお祭りだから、あの竜が主役だな」
未来くんは欄間の大きな竜を見上げました。左甚五郎が彫ったと言われている竜です。屋根の下は薄暗くて、竜の姿はあまりよくは見えません。でも、二人は見慣れているので、竜がどんなかっこうで、顔つきはどうかなど、はっきり分かるのでした。

「もしも本当に自由にされたのだとしたら、竜はどんな気持ちだろう?」
「うれしいだろうね。どこかへ飛んでいっちゃうんじゃないかしら」
「うん。ぼくもそう思うな。またここへ戻ってくるんじゃつまらないよね」

[国昌寺の竜の欄間]

そんな話をしている間に、祭の役員たちがそろい、お寺の住職さんも僧衣をまとって出てきました。近所の人や、一般の参加者もけっこう大勢来ています。山門の内側には、祭の衣裳(いしょう)に鉢巻き姿の大人が、十数人もいました。七、八本の竹竿で支えた五メートルぐらいの手作りの竜を護っているのです。      


『開かずの門の扉を開く儀式』

メガホンを手にした係の人が、忙しそうに歩き回り、参加者の多くは山門の外側に移動していきました。いよいよ儀式の始まりです。
先ず、お坊さんが灯明(とうみょう)をつけて香をたきました。次にカーン、カーンと鐘が二つ鳴らされ、お経の声が響きわたりました。あたりは静まり返って、人々は身動き一つしません。
お経が終わると、並んでいた役員たちが、代わる代わる焼香(しょうこう)しました。最後に住職が、花びらのような色紙を二、三十枚、散らすように撒(ま)きました。
進行係の人が言いました。
「これで封じこめられていた竜は自由になり、扉の向こうで待ち構えている竜に乗り移りました。

 これから『開かずの門』を開け、竜を先頭にして片柳の万年寺に向かいます。 
   パレードに参加くださる方は、門が開きましたら竜の後ろにお並びください」
やがて、山門のあの大扉がギギーッと両側に開きました。向かい合っていた外側の人と内側の人が
対面しました。みんなは思わず笑顔で会釈(えしゃく)し、互いに拍手をおくりました。
パレードが始まりました。華固ちゃんと未来くんも行列に加わりました。
「面白かったわ、今の儀式。欄間の竜は喜んでいるわね」
「うん。ぼくもそう思う。これから万年寺の竜に会うことになるわけだね」

「あの竜を彫った左甚五郎さんも喜んでいるでしょうね」
「うん、そうだと思うよ。それでね、ぼく、甚五郎さんに会ってみたくなったんだ」
「あら、それ、いいわね。帰ったら、お父さんに頼んでみるわ」
「実現したらいいぞ! すごくいい研究レポートになると思よ」

[万年寺の山門]

二人は新しい夢に胸をふくらませながら、万年寺や氷川女体神社の竜神祭を楽しんで帰ったのでした

 

                                                                                                     『上野に来ていた左甚五郎さん』

 次の日、久しぶりの夢幻坊の術で、あの世にいる不思議な彫刻家に会えることになりました。
二人は、薄気味悪(うすきみわる)い護摩堂(ごまどう)にはいり、正座して目をつむりました。
夢幻坊の祈祷(きとう)は、国昌寺で聞いたお経の十倍も烈しく力強いものです。  
前にも何度か経験していますが、祈りの言葉を聞いているだけで脂汗(あぶらあせ)が吹き出してくるのです。そしていつの間にか意識を失い、気がついてみると暗いトンネルの中を歩いているのです。
「さあ、着いたぞ。上野の山だ」
「え? どうして上野の山なの?」
「甚五郎さんは旅好きだし、上野にも深いつながりがあるんだ。  このまま、まっすぐ行くと右手に西郷(さいごう)さんの銅像が見えてくる。そこで甚五郎さんが待っていてくれる。心配することは何もないぞ。言いたいことを言い、聞きたいことは何でも聞いてみなさい」

夢幻坊のこの言葉で元気百倍、二人は急いで西郷隆盛(さいごうたかもり)の銅像前に行きました。
 ベンチに変わったかっこうの人が居眠(いねむ)りをしていました。  髪はちょんまげ、服装は職人風で、左わきには菅笠(すげがさ)、右わきに矢立てと雑記帳(ざっきちょう)  らしいノートが置いてあります。
 未来くんが勇気を出して声をかけました。
「あのう、左甚五郎さんでしょうか?」
「おう、ついに現れたか、お坊ちゃまとお姫さま。大工の棟梁(とうりょう)左甚五郎でござる。あっはっはっは」
 豪快(ごうかい)に笑って立ち上がりました。その姿には悠然(ゆうぜん)とした貫禄(かんろく)が感じられました。
「あのう、夢幻坊のおじさんから……」
「おう、おう。頼まれたぞ。娘のカコと、友達の未来坊を行かせるからとな。わしは『未来のことは  分からんが、過去のことならいくらでも』と答えておいたんだ。あっはっは」
「ぼくが未来です」
「わたしが華固です。竜のことや、甚五郎さんのことを教えてください」
「いいとも、いいとも。何なりと遠慮なく。この公園の中を歩きながら話そうか」
 三人はぶらぶら歩き始めました。
「国昌寺の門に竜を閉じこめたのはどうしてですか?」
「実りの近い田畑を荒らして困ると、村人が嘆いたのでな」
「竜を閉じ込めるほどの強い力は、どうやって身につけたのですか?」
「それは彫刻や大工仕事に、全身全霊(ぜんしんぜんれい)を打ち込んで修行してきたからだろう」

「でも、竜は竜神様、水の神様です」
「そうだ。だが、大崎の人たちは、悪い竜神がいて田畑を荒らすと思っている。 だから竜を作って、悪竜(あくりゅう)は封じ込めたぞといえば、人々は安心する」
「でも、お葬式(そうしき)の列が通った時、ほとけさまが食われたので門を開けなくしたと言います」
「それは後の世の作り話だ。あの寺には書道の達人がいて、京の都から朝廷(ちょうてい)のお使いがしばしば見えたので、普通の人は別の所を通るようになったというだけのことだ」
「よく分かりました。次に、甚五郎さんの生まれ故郷や、なぜ『左』という
 苗字なのかを教えてください」
「わしは、本当は飛騨(ひだ)の国の生まれで、『飛騨の甚五郎』だった。それがいつの間にか『左甚五郎』になったんじゃよ」
「甚五郎さんの作品と伝説はありすぎて、本物との区別がつけにくい
 そうですけど」
「ふつうの人にはそうかもしれんな。飛騨には優秀な大工や彫刻家が大勢いたし、わしはそういう仲間や弟子たちといっしょに仕事をすることが多かった。その上、わしが日光東照宮の仕事をして有名になると、弟子や仲間のつくった作品まで『左甚五郎作』と言いふらされるようになった。わしは署名をしない主義だしな」

「よく分かりました。最後に甚五郎さんの代表作品を教えてください」
「うむ。一つはそこにあるから見せてあげよう」


『そこにあった左甚五郎の名作』

甚五郎さんは寛永寺(かんえいじ)の古い鐘楼(しょうろう)の下を通って立派な神社の境内に入りました。  参道の両側には大きな石灯籠(いしどうろう)が立ち並び、敷石(しきいし)の続く向こうに大きな社殿(しゃでん)が見えます。
「ここが上野の東照宮で、徳川家康(とくがわいえやす)公が祀(まつ)られている。  あの正面に、わしが精魂(せいこん)こめて彫り上げた作品がある」
 二人は走って行き、唐門(からもん)の前に立ちました。日光の東照宮を思わせる建物です。
「甚五郎さんの作品って、どれかしら?」
「あ、ここに書いてある!  『日本に一つしかない金箔(きんぱく)の唐門。  門柱の昇(のぼ)り竜・降(くだ)り竜は左甚五郎作。明治四十国宝指定』 わあ!国宝だ!」
「未来くん、すごいわよ! あの竜、生きてるみたいだわ!」
「金ぴかで気がつかなかった! 今にも動き出しそう!」
 それは唐門を支える大事な門柱と一体になった陽刻(ようこく)(浮き彫り)の竜で、全身金一色に包まれているのです。それは左右対(さゆうつい)になっていて、一つは天を見つめ、一つは地をにらんでいる姿で、竜の動きの一瞬(いっしゅん)を止(とど)めた形となっているのです。
 二人は、その余りにも生き生きとした竜のすごさ、美しさとたくましさに我を忘れて立ち尽(つ)くしていました。
「きょうはここまでとしよう。また来なさい。もっと聞かせたい話があるのでな」
甚五郎さんはそう言い残して消えていきました。  二人はまったく気づかずに、深い感動にひたって
いたのでした。

(おわり)

〜〜今回のお話に出てきた国昌寺と万年寺の場所〜〜

[国昌寺]

[万年寺]

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第8回 氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)を調べるの巻 

『めずらしい女神(めがみ)の絵はがき』

七五三の日の翌日のことでした。
「未来くん! あとで家に来ない? 見てもらいたいものがあるの。それに、七五三の飴
(あめ)がいっぱいあるのよ」
「うん、行くよ。七五三の飴、くれるんだろ?」
「もちろんだわ。場合によってはうんとあげる」

「ようし絶対
(ぜったい)に行く!帰ったらすぐ行くよ」

「おい、未来!これを見ろ!今日届いたんだが、出雲の国(いずものくに)の八重垣神社(やえがきじんじゃ)の壁画(へきが)だ。この女神はクシナダヒメだそうだ。氷川女体神社の神様と同じじゃなかったかな?」
「え?女体神社の神様?」
「そうだったように思うんだが、はっきりとは覚えてない」
未来くんはその絵はがきを受け取り、じっと見つめました。それは全体が茶色っぽい感じのカラー写真で、
気高い顔つきの美人がくっきりと描かれていました。かなり古い絵のようで、色の落ちた部分が多く、
服装は和服だと分かる程度です。顔は白く鮮明で、切れ長のやさしそうな目や小さな口、ふくよかなピンクの頬
(ほお)
が神秘的な気品をただよわせています。
気のせいか、ちょっとだけ華固ちゃんに似ていると未来くんは思いました。
「あ、これはすごい! これが女体神社の女神さまなんだ」
「お父さんはそうだと思うんだが、夢幻坊(むげんぼう)に聞いてみてくれ」


『美人の女神は重要文化財 (じゅうようぶんかざい)

「うん、華固ちゃんにも見せてやろう。お父さん、借りていってもいい?」
「ああ、いいとも。 八重垣神社のことも聞いてくれ。  島根県のどの辺にある神社か、本当に重文級(じゅうぶんきゅう)の壁画なのかって」
「重文級の壁画って何?」
「国の重要文化財の壁画という意味で、国宝に次ぐ大事な文化財の壁画だということだ。そういう立派な壁画があるなんて知らなかったんだ。『八重垣神社』というのも知らなかった。おそらくスサノオノミコトを祀(まつ)った神社だと思うのだが、出雲まで行ったのに、どうして見逃しちゃったのかなあ」
お父さんはとても残念そうでした。
「そんなの、しかたがないよ。お父さんがぼくを連れていかないから見逃すんだよ」
「ばか言え! お前が生まれる前の話だ」
「なーんだ、それじゃしょうがないや」
「とにかく頼んだぞ。女体神社の女神の研究なんて、お前のためにもいいテーマな」
「分かった。おじさんによく聞いてみるね」
未来くんはお父さんに約束して華固ちゃんの家に向かいました。自転車をこぎながら、これを総合学習の次のテーマにしたいと、未来くんは強く思ったのでした。


『新しい見沼の地図と千歳飴』

華固ちゃんは大きな地図をひろげて待っていました。  そばには千歳(ちとせあめ)の袋が山のように積んでありました。
「すごいや。こんなにぼくにくれるの!」
「欲張りね。一つだけよ。好きなのを選べばいいと思って、みんな出しておいただよ」
「なーんだ、がっかり! でも何でこんなにあるの?」
「お父さんがもらってきたの。 ここのところ氷川神社はどこも、七五三のお参りが引っきりなしに来るんですって。そのお手伝いで、 受付をしたり、案内をしたり、時には神主さんに代わって祝詞(のりと)を上げたりしたみたい」
「それで、お礼に飴をもらったんだね。じゃあ、この地図は?」
「県庁で作った新しい見沼の地図なの。
お父さんがもらってきてくれたの」
「きれいだし、はっきりしてるね。このシールは何?」
「お父さんが、氷川神社って幾(いく)つぐらいあると思うかって言うので、探し始めたの」
「そうなのか。ぼくは女体神社の方を調べたいんだ。ほら、これなんだけどさ」
未来くんは大事そうに絵はがきを取り出して見せました。
「あら、いやだわ。女の人じゃない!」
「人じゃなくて、神様なんだよ」
「え、え? この人、神様?」
「ほら、ここを読んでみなよ。 『八重垣神社宝物・櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)と書いてあるだろう。 これを受け取ったお父さんが、これは出雲の神様だが、氷川女体神社の神様と
同じだと思う。夢幻坊に確かめて来いと言うんだよ。お前にとってもいい研究テーマだぞって」

「そうだったの。不思議な感じがするわ。 氷川神社と深い関係があるとしたらおもしろいわね。
じゃあ
女体神社を含めて、氷川神社の研究をしましょうよ!」
「よし! そう決めよう。まず、その千歳飴をなめてから始めるとしようよ」
未来くんはうまいぐあいに飴を手に入れたのでした。

[高鼻の氷川神社]

 『氷川神社はいくつある?』

「華固ちゃん、氷川神社はいくつ見つかったの?」
「まだ、十か十一だわ」
「そんなにあったのか。全部で幾つあるんだろうね」
「さあ? 日本中だったらたいへんな数だろうから、見沼の近くだけにしましょう」
「うん。それがいいね。この『見沼マップ』に載
(の)
ているものだけでいいよ。 僕も探すから、
虫めがねをかしてよ」
未来くんは虫めがねを使って、次々と氷川神社を見つけ出しました。
そこへ華固ちゃんのお父さん,夢幻坊がやってきました。


「ほうほう。その地図、よく利用しとるな。氷川神社探しか。幾つあったかな?」
「十五ありました。あのう、全部では幾つぐらいあるのですか?」
「埼玉県内だけで約百五十社だったな。 大宮高鼻(たかはな)の氷川神社を第一として、三室(みむろ)の女体社が第二だな。シールはついてるかな?  この地図には女体神社は三つならんで載っていたと思うが、一つぬけてるぞ。ここに附島(つきしま)氷川女体神社というのがあるだろう」

夢幻坊は神社名とシールを確かめながら、正確に教えてくれました。未来くんは絵はがきを取り出しました。
「おじさん。うちのお父さんが、この女神について教えて
もらいなさいって」
「ほう、これはめずらしい。松江
(まつえ)の八重垣神社の壁画だ。 大分(だいぶ)痛みが進んだようだな」
「出雲じゃないのですか?」
「いや、出雲の国の松江だ。今の島根県だ」
「国の重要文化財というのは本当ですかって」

[三室の氷川女体神社]

「本当だ。古い神社であり絵も古い。神像(しんぞう)を板壁に描いたものという珍しいからな」
「うちのお父さん、出雲に行ったのに八重垣神社を知らなかったと悔
(くや)しがっていました」
「それは残念だろう。 いっしょに行って拝(おが)んできなさい。 そこの女体神社の祭神と同じクシナダヒメノミコトと、夫のスサノオノミコトを祀っている神社だ。スサノオノミコトが大蛇(だいじゃ)退治をして姫を救った話は知っているだろう」
「あまりよく知らないんです」
「それなら、女体神社や氷川神社全体のことを頭において、日本の神話を読むことから始めるといい。おもしろいし、身近なほかの神様のことも分かってくるんじゃないかな」
「はい、分かりました。神話を探してみます」
「未来くん、氷川神社調べは神話を読んでみてからにしましょう」
そう決まって、二人は図書館に行ったり本屋へ行ったりして、日本の神話を勉強しました。
また、氷川女体神社に行って神主
(かんぬし)さんに話を聞きました。夢幻坊の言葉どおり、身近にある神社と神話とのつながりが分かるようになりました。
二人でまとめたレポートは写真やイラストがいっぱい入り,楽しいものとなりました。
その要点は次のとおりです。

『クシナダヒメについてのまとめ』
① 名前の表し方=櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)
   奇稲田姫命(クシイナタヒメノミコト)
② 父=足名椎命(アシナヅチノミコト)
     母=手名椎命(テナヅチノミコト)
③ 夫=素戔嗚尊(スサノオノミコト)
④ 子=大国主命(オオクニヌシノミコト)=六代目の孫ともつたえられ、
   オオナムチノミコトとも呼ばれる。
⑤ 主な神話   =スサノオが高天原から追われて出雲の国に降
(お)り、
   簸
(は)の川のほとりに来る
と川上から箸(はし)が流れてきた。人がいるにちがいないと上って行くと、一軒の家があり、老父母が娘を中にして泣いていた。八人の娘がいたが、ヤマタノオロチに毎年一人ずつとられ、この子も間もなく渡さねばならないという。スサノオは娘を妻とする約束のもと準備を進め、オロチを退治(たいじ)する。この娘がクチシナダヒメでスサノオは須賀(すが)というところに新居を建てた。そして 『八雲立つ出雲八重垣妻籠に、八重垣つくるその八重垣を』 という和歌を詠(よ)んだ。この地に造られた神社が八重垣神社である。(後に今の地に移築された)
⑥ 三室の氷川女体神社=祭神はクシイナダヒメノミコト(奇稲田姫命)であるが
  オオナムチノミコトと、 妃
(きさき)のミホツヒメノミコトもいっしょに祀られている。崇神(すじん)天皇のときに建てられ
たという。(第十代天皇)大宮氷川神社と一体で、ともに武蔵国一の宮である。

二人はこのレポートを先ず夢幻坊に見てもらいました。

「ほう、これはすばらしい。大出来だ。よくがんばったな」
「未来くんのおかげだわ。未来くんね、わたしには秘密のお願いがあるんだって」
「そうか、聞いてやるぞ。ん? なになに? クシナダヒメに会いたい? ア、ハハハ」
声をひそめてお願いしたのに、たちまち華固ちゃんに分かってしまいました。
「いやだわ、未来くんたら。わたしに似てると言ったんでしょう」
「まだ言ってないよ。でも、どうしても会いたい。華固ちゃんにそっくりなんだもの」
「言わないで! そうではなくて、なぜ見沼の方にまで祀られるようになったのか、わたしは聞きたの。 夢幻坊の術で、なんとかならないかしら?」
「うむ。会えるものならわしも会いたい。残念なことに、神さまは常に姿を隠しているのだよ。人間はしかたなしに神像を彫刻したり、絵に描いたりして拝んでいるわけだ。
いくら夢幻坊でも、姿のない神様に会わせることはできない。ただ、出雲地方の旅はいいな。列車か飛行機で春休みにでもみんなで行こうか。お前たちで計画してみてくれ」
「わあい、ばんざーい。春には出雲旅行だ!」
二人は大喜びしたのでした。                                                                        (おわり)

〜〜今回のお話に出て来た氷川女体神社と附島女体神社の場所〜〜

[(三室)氷川女体神社]

[附島氷川女体神社]

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