柿(かき)の実(み)が色づき始めた秋の日曜日の朝です。
華固ちゃんはぼんやりと庭の草木をながめていました。メジロが柿の実をついばんでいるのをかわいいなと思っていると、いきなりヒヨドリがやってきて、すぐそばの枝に留(と)まりました。メジロがあわてて逃げ出すと、ヒヨドリは得意(とくい)げにキーキーと鳴きながら柿の実をついばんでいます。
─
ヒヨドリって、らんぼうだわね。でも、何となくかわいいわ。あら、白い鳥が何羽も飛んでいくわ。見沼のシラサギだわね。
華固ちゃんは久しぶりに見る鳥たちの動きに興味(きょうみ)を持ち、野鳥の図鑑を引っ張り出しました。ワシ・タカのような猛禽(もうきん)類や、ツル・サギなどの大型の鳥、メジロ・ウグイスのような小鳥や、カモ・ハクチョウなどの水鳥にいたるまで、何十何百種もの鳥がカラーで出ています。
華固ちゃんはそれらを見ているうち、ふと見沼の伝説調べのことが頭に浮かびました。
─ 鳥の伝説って見沼にあったかしら?何となくいい話がありそうな気がするわ。
こう思って、今まで読んだり調べたりした見沼の伝説を思い浮かべましたが、鳥が出てくる話が思い出せません
─ 無いのかしら?竜や、蛇や、ホタル・あめふりアサガオ・片目のコイ……。
華固ちゃんには鳥の話がどうしても思い浮かびません。
─ 変だわ。『ツルの恩返し』や『みにくいアヒルの子』、『ハクチョウの湖』、『よだかの星』なんか、いっぱいあるのに……、見沼の民話や伝説には無かったのかしら?
《見沼には鳥の伝説は無いのか》
いらいらしてきた華固ちゃんは、未来くんに電話をかけました。
「未来くん!今ね、見沼の昔話に鳥の出てくる話があったかどうかで困っているの。何か無いかしら?」
「うーん。見沼にはいろんな話がいっぱいあるんだから、一つぐらいはあってもいいと思うよ」
「だけど、思い出せないのよ」
「うーん。『舌切りスズメ』なんかどうかな」
「ばかなこと言わないでよ。まじなんだから」
「ごめん、ごめん。ぼくにも分かんないな。調べてみるから、少し時間をくれないか」
「いいわ。見つかったら、それを今度のテーマにしましょうね」
《与野(よの)の鴻沼(こうぬま)にあった鳥の話》
未来くんは、華固ちゃんより先に見沼の鳥の話を見つけようとしましたが、どうしても見つかりません。困ってお父さんに聞いてみました。お父さんは最近にわかに見沼の勉強を始め、相当に知識をためこんでいるので、得意げにこう言いました。
「おう!とうとう聞いてきたな。鳥の話は見沼には無いな。鷲(わし)神社はいくつもあるが、鳥の話ではない。見沼には無いが、兄弟沼の鴻沼にはあるぞ」
「え?あったの!何の話?」
「オシドリだ。かわいそうなオシドリの話だ。」
「教えて!華固ちゃんといっしょに調べるんだから」
「待て待て。これは、そう簡単には聞かせられないぞ。苦労がともなった話だし、涙なしでは語れない、美しくも悲しい物語だからな」
「そんなにもったいつけなくていいよ。どうせ、何かの童話の本の話だろうに」
「ま、お前がそんな考えなら、この話は無かったことにしよう。そうだ。華固ちゃんにだけは話しておこうかな」
「ええッ、お父さん!そんなのってないよ。華固ちゃんにだけだなんて!」
「聞きたかったら、華固ちゃんを呼んでおいで。その時そばで聞いていてもいいから」
「分かったよ!お父さん、意地悪なんだから」
「お前の方がずっと素直(すなお)でないぞ。ものを教わる時には、謙虚(けんきょ)でなければいかん。素直に、『お願いします』という心を表さなくてはいかん。それから華固ちゃんにも言っておきなさい。オシドリって漢字でどう書くのか、どういう鳥か、調べておきなさいとな」
「はあい。しかたがない。おれの負けだ……」
未来くんはこうつぶやいて、不機嫌(ふきげん)そうに華固ちゃんに電話をかけました。
《オシドリってどういう鳥でどう書く?》
華固ちゃんが未来くんの家に来て、すぐに勉強が始まりました。
先ず、オシドリについてです。いくつもの図鑑と辞典を使ってまとめてみました。
(1) どんな鳥か
① ガンカモ科の水鳥で、東アジアの特産。日本にも多くすむ。
② オスは華(はな)やかにいろどられた羽をつけている。特に尾のそばのオレンジ色のイチョウ羽が目をひく。
③ メスは濃(こ)い灰色。目のまわりと、のどが白い。
④ シイやナラの実がすき。よく木に留まり、高木の洞(ほら)で子を育てる。
⑤ 雌雄(しゆう)いつもいっしょにいると信じられている。
(2) どう書くかなど
① オシドリ おしどり
② 鴛鴦(えんおう) 鴛=えん、オス 鴦=おう、メス
③ 鴛鴦の契(ちぎり)り(えんおうのちぎり)=夫婦仲 のよいことのたとえ
以上
<「小学館の学習百科図鑑」鳥類の図鑑より抜粋 >
未来くんのお父さんはこれを見て、ひどく感心しました。
「やあ、これはすばらしい。わずかの時間内でよくやったぞ。偉くなったものだ」
「お父さん!もういいでしょ。鴻沼の伝説、聞かせて!」
「ようし、分かった。すぐ始めよう」
未来くんのお父さんは、とても機嫌よく、オシドリの話を語って聞かせたのでした。
《オシドリの悲しいものがたり》
『むかしむかし、鴻沼が田んぼになるずっと前のこと、大戸村に一人の猟師(りょうし)が住んでいました。猟師は、元は武士であったらしく、弓の名手でもありました。毎日、イノシシやシカ・野ウサギなどの獣
(けもの)や、ヤマドリや、キジ・カモなどを射(い)て暮らしを立てておりました
。
紅葉が色濃くなってきたある秋の日暮れがた、猟師は、獲物(えもの)を肩に鴻沼のほとりを歩いていました。雑木林の台地が沼に突き出している、大戸村亀在家(かめざいけ)というところまで来たときのことです。岸辺近くで泳いでいるオシドリのつがいを見つけました。
─ これを獲(と)って、今日最後のみやげとしよう。
猟師はためらうことなく弓に矢をつがえました。そして近くにきたメス鳥をねらって矢を放ちました。矢はあやまたずメス鳥の胸を貫きました。
水が赤く染まりました。オス鳥が驚いてあたりを飛び回りました。
猟師は獲物を取ろうとしました。けれども、そこは深くて入れません。弓で掻(か)き寄せるには遠すぎます。困った猟師はあきらめて家に帰りました。
次の日、そこを通ってみると、アシの根本の枯れ草の上に、矢のささったままのメス鳥が息絶えていて、それを覆(おお)うように羽を広げたオス鳥がいました。オス鳥は、猟師が近づいても逃げようとはしませんでした。
─ あれは、メス鳥の体を温めようとしているんだ!生き返らせようとしているんだ!何と、かわいそうに……。
猟師は胸のあたりが苦しくなって、逃げるようにその場を立ち去りました。
四、五日経(た)って、猟師は、あのオシドリが気になって見にいきました。するとどうでしょう。アシの根元の枯れ草の上で、二羽のオシドリは並んで死んでいるではありませんか!しかも、オスの鳥は羽を広げて、メスを守るように覆っていたのでした。
─ ああ、おれは、なんと、罪なことをしたものよ!オシドリよ。許してくれ……。
猟師は、へたへたとその場に座り込み、手を合わせたのでした。
家に帰った猟師は、家族にオシドリの死のようすを話し、今までにたくさんの生き物の命を奪(うば)ってきた罪の深さを訴えました。そして弓矢を焼き捨て、生きものたちの霊(れい)をとむらったのでした。その後猟師は頭を丸めて僧となり、小さなお堂を建ててこれを『鴛鴦寺』(えんおうじ)と名づけました。
この寺は後に『円能寺』(えんのうじ)と改められましたが、明治の始めに廃寺(はいじ)となりました。そして今は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)を祭る観音堂と、この話だけが残っているのであり
ます。 お・し・ま・い』
<与野の歴史散歩(与野市教育委員会市史編纂室編集)より抜粋>
《かわいそうな話が終わって》
二人は手が痛(いた)くなるほどの拍手をしました。
華固ちゃんの目には涙がいっぱいでした。のどがつまり、むせび声がふき出しそうで、歯を食いしばってこらえていました。
未来くんが言いました。
「お父さん、ありがとう!とってもおもしろかったよ。お父さん、じょうずだ。見なおしちゃった」
「うむ。いい話なんで、こっそり練習していたんだよ」
お父さんは照れくさそうに言って頭を掻(か)きました。
「おじさん、ありがとう!感動しました。こんないい話があったんですね。観音堂に行ってみたいです」
華固ちゃんが目を拭(ふ)きながら、やっとの思いで口を開きました。
「行ってみるがいい。おばさんたちが時々集まって、念仏や御詠歌(ごえいか)をあげているようだ」
「ねえ、未来くん!行ってみたいわね」
「うん。行ってみよう!」
「それがいい!この前の、二度栗山のちょっと先だ。高沼用水の近くにあるよ」
二人はさっそく見学に出かけたのですが、鴻沼や高沼用水について、もっともっと調べてみようと話し合ったのでした。
(おわり)
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