(最新号)

華固(かこ)ちゃんと未来(みらい)くん
見沼探検レポートから
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宮田 正治

   

 

第21回 ツルを獲った男と呑龍(どんりゅう)上人(しょうにん)

について調べるの巻(後編) New !

《『見沼のツルを獲った男』の話を読む》

未来くんは、夢幻坊(むげんぼう)が友達と合作(がっさく)で書いたという本の後半を読み始めました。見沼の竜が語るという文体の話を、上手に、ゆっくりと読み進めたのでした。
 華固ちゃんは、大事なことをメモしようと、鉛筆を持ちなおして聞いていました。
 『さて、話の続きじゃが、わしは、呑龍上人がかわいそうでならんのじゃよ。夏はともかく、冬の寒さをどうこらえたことかのう。四百年も昔の信州浅間(しんしゅうあさま)山麓(さんろく)の冬じゃから、見沼あたりで暮らす者には想像もつかぬ寒さなんじゃよ。それも、荒(あ)れたお堂に着のみ着のままで隠(かく)れ住み、密(ひそ)かに托鉢(たくはつ)して食べ物を恵(めぐ)んでもらっていたのじゃ。わしは、その姿を想像するだけで涙が止まらなくなるんじゃが、幸いなことに、幕府の役人も追いかけては来なかった。探せば見つからないはずはないのじゃが、高僧(こうそう)で高齢(こうれい)だったからかのう。

《江戸では何が・・・・・》

四年ほど過ぎた元和6年(1620)秋のこと、徳川家の菩提寺(ぼだいじ)であり、浄土宗の大本山である芝増上寺(しばぞうじょうじ)の住職、観智国師(かんちこくし)※が重い病気にかかった。観智国師は家康公(いえやすこう)や秀忠公(ひでただこう)も帰依(きえ)したほどの高僧なのじゃ。時の将軍徳川秀忠公は国師の病を知り、直(ただ)ちに名医をつかわした。しかし、観智国師は“自分は自然のままに静かに寿命(じゅみょう)を終えたい”と言って辞退(じたい)したというのじゃ。

やがて秋も深まり、国師は臨終(りんじゅう)をむかえた。秀忠公はすぐに老中(ろうじゅう)土井利勝(どいとしかつ)を見舞いに行かせ、最後の望みを聞かせた。それに対して、観智国師はこう答えたという。
 「僧侶(そうりょ)の身としてことさら望みはありませんが、もし、できることならば、大光院(だいこういん)の元(もと)住職(じゅうしょく)呑龍の罪を許してほしい。呑龍のご赦免(しゃめん)をお願いしたい」
 秀忠公はこの報告を受けると、直ちに呑龍を元の地位に戻し、源次兵衛をも許(ゆる)した。
 この赦免状は、翌年正月、浅間山麓小諸郊外のお堂に届けられ、二人は村人に別れを惜しまれながら太田(おおた)の大光院に戻ったのじゃ。

《大光院に戻った上人と源次兵衛》

さて、呑龍上人は大光院に戻るとまたまた忙しく働き始めた。
 あしかけ五年という長い年月を、一農民のために死を覚悟して耐えぬいた上人の信念(しんねん)の強さは、人々の尊敬をいよいよ高めたわけじゃ。
 それからな。助けてもらった男源次兵衛(げんじべい)じゃが、呑龍上人に仕えて一生を大光院で終えた。それは当然のことなのじゃが、詳しいことは分からないので残念(ざんねん)じゃ。今、彼は、大光院内の呑龍上人の墓の近くで眠っている。まるで、庭番(にわばん)のようなかっこうでな。
 小さな墓石(ぼせき)のそばには、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の石像(せきぞう)と、『鶴塚(つるずか)』と彫られたりっぱな石が建っていてな。かたわらには『孝子(こうし)源次兵衛(げんべい)の墓(はか)』と書いた立て札が立ててあるんじゃ。

四百年近くも経った今、この、見沼のツルを獲った男と、呑龍という高僧との関係を知っているものは少ない。

大光院に詣でた人、開山堂(かいざんどう)で呑龍上人に手を合わせた人も、おおかたは気がつかずに帰っていくのが 現状じゃ。
 源次兵衛の故郷(ふるさと)である見沼のほとりでも、昔こんな事件があったということなど、まったく忘れられているわけじゃし、世の中とはそんなものじゃ。

見沼にツルが来なくなって久しいが、わしは、見沼を人間に譲(ゆず)り渡(わた)した王者として、せめて「昔は見沼にツルがいた」ということぐらいは分かっていてほしいと思う。』

〔鶴塚〕

 

〔鶴  塚〕

《ものがたりを読み終えて》

華固ちゃんが目をこすりながら言いました。
「未来くん、ありがとう。じょうずだったわ。感激しちゃった・・・・・」
「いい物語だったからだよ。華固ちゃんが読んだら、もっとよかったよ」
 未来くんも涙ぐんでいて、遠慮(えんりょ)がちな声しか出ませんでした。
「わたしね。調べること、二つしか書けなかったわ」
「いいよ、いいよ。言ってみて」
「①ツルの出てくる伝説には、他にどんなのがあるか。②大光院のある場所と、行き方を調べる」
「二つとも大事なことだよ。大光院へはぜひ行こうね」
「ええ!呑龍上人のお墓をおがんで・・・・・・、源次兵衛のお墓もぜひ見たいわ」
「ツル塚というのも見たいよ」
「そうね。あと、何があるかしら?」
 二人は、くびをひねりながら調べることや順序(じゅんじょ)等を書き出しました。そして、何とか夢幻坊を説得(せっとく)して、大光院へ連れてってもらおうと決めたのでした。

《夢幻坊の贈り物》

華固ちゃんのお父さん、夢幻坊が間もなく帰ってきました。
「やあ、二人そろっているな。ちょうどいいぞ」
 上機嫌のにこにこ顔で、声もはずんでいます。
「わたしたちも、お父さんがご機嫌(きげん)なのでちょうどいいのよ」
「ん?ん?何だって?」
「何でもないの。呑龍上人の調べがストップしてしまって、困(こま)っていたの。お父さん、相談にのってくれる?」
「いいともさ。何でも聞いてこい。あの本は読んだか?」
「読んだわ、未来くんと。かわいそうな内容で名文(めいぶん)だから、涙が出てたまらないの」
「華固ちゃんは泣き虫だから、ぼくが代わって読んだのです。感動しました。名文です」
「そうか、そうか。それはよかった・・・・・・」
 夢幻坊はとてもうれしそうでした。
「ところで、困っているとは何なのかな?」
「大光院へ行きたいんだけど、道が複雑(ふくざつ)(す)ぎるのよ」
「電車をつかってもバスをつかっても、地図を見ただけでは見当がつかないんです」
「そりゃあそうだな。二人だけでは荷(に)が重いな」
「呑龍さんのお墓とツル塚を見ないうちは、研究が進みそうもないの」
「それでおじさんにお願いして・・・・・・ということで」
「うむ、そうか。久しぶりに、また行ってもいいな
 腕を組んで考えた夢幻坊は、二人を見下ろしてこう言いました。
「呑龍上人等に会いたいとは言わないだろうね。ああいうのはとても疲れるんでなあ」
「ええ、言わないわ」
「お寺に行かれるだけでうれしいです。また、いいレポートができそうです」
「そうか。いいのが書けそうか。実はな、研究の計画を見てから渡そうと思ったんだが、今あげよう。今度の日曜日に出かけるから、よく読んでおきなさい。最近出版されたすばらしい伝記絵本(でんきえほん)だ。きょう、ようやく届いたのだ」
 夢幻坊が取り出したのは、色鮮やかな絵に飾られた横長の大きな絵本でした。その表紙は、古びたお寺の前で、一人のお坊さんが大勢の人々にお話を聞かせている絵で、

『人間愛に生きた子育(こそだて)呑龍(どんりゅう)上人(しょうにん)絵伝(えでん)

と書かれていました。
「わあ、きれい!」
 二人は押(お)し頂(いただ)くように受け取るとすぐに中を開いて見ました。何と、どのページにも 劇的な感じの絵が、日本画の様式でびっしりと描かれていたのです。
 二人は時間の経(た)つのを忘れて、めくっては見つめ、めくっては読み進めたのでした。

[人間愛に生きた子育て呑龍上人絵伝]
 

[人間愛に生きた子育呑龍上人絵伝]

《大光院を訪ねて》

数日経った日曜日、二人は夢幻坊の運転で、群馬県太田市の大光院へ向かいました。華固ちゃんのお母さんもいっしょだったので、楽しさは二倍三倍にふくらんだ感じでした。
 大光院の境内は広々とした公園みたいで、大勢の人々が往来していました。四人は先ず本堂にお参りし、次に新田義重公(にったよししげこう)のお墓にお参りしました。徳川家の先祖(せんぞ)ということで、それは大きくてりっぱなお墓でした。

左手の少し下がったところには、呑龍上人のお墓がありました。四人ともそれぞれの思いを胸に手を合わせたのですが、絵本を読んだばかりの華固ちゃんと未来くんは、しびれるような感動に涙が止まらなくなってしまいました。やっとの思いでお墓の写真を撮(と)ったり、立(た)て札(ふだ)の説明文を

読んだりして引き下がると、夢幻坊が呼びました。
「ここだ、ここだ。これが源次兵衛の墓とツル塚だ」
 二人はあわてて駆(か)け寄(よ)っていきました。

一段下がった広場の端(はし)の方は、木が生い茂って薄暗(うすぐら)くなっています。
そこに大小三つの石組みが並んでいます。

[源次兵衛の墓]
 

〔源次兵衛の墓〕

「右はお地蔵さん。真ん中の小さいのが源次兵衛の墓、左のがツル塚だ。お地蔵さんとツルとで源次兵衛を守っている形にみえるな」
「これでは小さ過ぎるわ。汚れていてかわいそうだわ」   
 華固ちゃんが不満そうに言いました。
「これ、今にも崩れそうだよ」
 未来くんの声も不満いっぱいの感じでした。
「日陰で湿(しめ)っぽい場所だから、コケやカビがつくし、風化も進むんだ。仕方があるまい。写真を撮るんだったら、そこの立て札も写しておきな。なかなか要を得た名文だからな」

二人が近寄って見ると、立て札は墓の説明書きでした。

孝子源次兵衛の墓

元和(げんな)二年孝心(こうしん)(ふか)き武州(ぶしゅう)の一(いち)郷士(ごうし)病父(ぶょうふ)に鶴の生血(いきち)を服(ふく)せしむべく国禁(こっきん)を犯(おか)し保護鳥の鶴を殺す罪状(ざいじょう)(す)べて発覚(はっかく)し上人(しょうにん)の徳高きを聞き救(すくい)を求む上人為(ため)に栄誉(えいよ)(たか)き僧(そう)(かい)を棄(す)て伴(ともな)いて信州(しんしゅう)小諸(こもろ)に逃れ救済(きゅうさい)さる


文語体(ぶんごたい)の上、習っていない漢字もありましたが、意味はつかみとりました。 

[呑龍上人の墓と立て札]

[源次兵衛の墓の立て札]

[呑龍上人の墓と立て札]

[源次兵衛の墓の立て札] 

《呑龍上人を祭る開山堂》

 この後、開山堂という大きなお堂に参拝しました。寺の創始者(そうししゃ)を開山と言いますが、ここが呑龍上人を祭(まつ)ったお堂で、大光院の本堂を凌(しの)ぐほどに有名なのだとのことでした。
 四人はいっしょに拝(おが)みましたが、夢幻坊とお母さんは上にあがり、内陣(ないじん)を見学したりお坊さんと話し合ったりしていました。
 華固ちゃんと未来くんは、拝んだあとは売店へ行き、レポートに使えるおみやげを買ったり、参拝記念(さんぱいきねん)のスタンプを押したりしていました。
 いいレポートが書けそうで、二人は、この見学旅行に大満足でした。

 

<参考>
※ 観智国師について
 本文に出てくる観智国師は、天文(てんもん)13年(1544)武蔵国(むさしのくに)多摩郡(たまぐん)由木(ゆうき)の生まれ。由木利重(ゆうきとししげ)の次男。源誉(げんよ)、存応(ぞんおう)ともいう。天正(てんしょう)2年(1574)から10年ほど与野の長伝寺(ちょうでんじ)(水のみ竜の伝説の寺)飲みに閑居(かんきょ)し子弟育成に務めた。同12年江戸増上寺に昇住(しょうじゅう)。中興開山(ちゅうこうかいさん)となった。

(後編 おわり)

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第20回

第20回 ツルを獲った男と呑龍(どんりゅう)上人(しょうにん)

について調べるの巻(前編)

《『鴻沼(こうぬま)のオシドリ伝説』の評判》

華固ちゃんたちの前回の発表は、話が美しくも哀(あわ)れな物語なので、学校でも多くの人たちからほめられました。
 華固ちゃんと未来くんは、今まででいちばんいい話のレポートができたと大満足でした。
 華固ちゃんは夕飯の時、お父さんやお母さんにこの話を詳しく聞かせました。二人とも笑顔を浮かべてうれしそうに聞いてくれたのでした。
「未来くんのお父さんて、すごく勉強家みたいなの。このオシドリの話を本で見付けて、自分でそこへ確かめに行って、おもしろい話だから一所懸命(いっしょけんめい)覚えたんだって。すらすらとじょうずだったの。わたし、泣いちゃったわ」
「ほう、それはそれは……」
「未来くんがね。『お父さん,見なおしちゃった』って言っていたわ」
「あら、未来くんも偉(えら)いじゃない!お父さんにそう言えるなんて、大きく成長してきたと思うわ」
「華固はどうなんじゃ?このお父さんを見て」
「こわいほど凄(すご)い人だと思っているわ」
「こわいほど凄いか。あははは」
 おとうさんが高笑いしました。
「でも、お父さんのは仕事でしょ。仕事で凄い人って、いっぱいいるでしょう」
「それはそうだ。でも、このお父さんの仕事は、神社に仕えて、神と人との仲立(なかだ)ちをするのが本職だ。その本職に全霊(ぜんれい)を打ち込み、尚(なお)、かつ、見沼のことを趣味として調べているのだ。どうだ?趣味としては立派(りっぱ)だろう」
 お父さんは、修験道(しゅげんどう)の夢幻坊(むげんぼう)としてではない自分を認めさせようと必死でした。お母さんが笑いながら言いました。
「いいじゃないですか。娘が夢幻坊を信じ切っているんだし、未来くんのお父さんまでもが、あなたを手本にしているのですから……」
「うむ。ま、そういうことだな」
 お父さんはほっとした感じで、お茶を飲み干(ほ)しました。そしてこう言い出しました。
「オシドリのいい話……華固が泣(な)いてしまうようないい話を聞かせてもらってよかった。お返しに、お父さんが友達といっしょに調べたツルの話の本を上げよう。これは伝説ではなく、実話だ。本当にあった見沼のツルの昔話だ」
「見沼にツルの話があったの?知らなかったわ」
「知らなくて当たり前、ほとんどの人が知らないだろう。それは「見沼の話」とはっきりしている訳ではないからだ。ただ、わしは見沼での出来事と信じている!」
 お父さんは自信ありげに言い切りました。そして、小さくて薄い冊子を一冊、出してきました。
「これはな、中身は主としてお父さんが書き、文章は友達が書いた。若いころの合作だ。見沼の竜の目から見た『ツルと若者と偉い坊さんの話』というような本だ」
 その冊子の表紙には、『見沼のツルを獲(と)った男』と太く書いてあり、羽を広げて踊る丹頂(たんちょう)の絵が描かれていました。

《見沼にあったツルの話》

華固ちゃんは、さっそく読み始めました。お父さんの言うとおり、見沼の竜が周(まわ)りのものに語って聞かせるという形で書かれているお話です。
 『今からおよそ四百年も昔の話じゃ。
その頃の見沼はな、水はまんまんと満(み)ちあふれていて、魚や貝はいっぱいいたし、野鳥は数知れないほど乱(みだ)れ飛(と)んでいた。
 ツルやコウノトリのような大型の鳥も、いたるところで見ることができたんじゃよ。岸辺には野(の)ネズミやイタチ、山の方にはウサギやタヌキ、キツネ。今では想像もつかんじゃろうが、イノシシやシカもいたんじゃ。
 見沼は水がきれいで、自由で平和で、生きものたちにとっても暮らしいい所だったのじゃ。
だがな、あるとき、いやな事件が起きたんじゃ。起きたというより、事件に発展したというのがほんとうじゃろうな』

《見沼のツルを射た男》

それは徳川二代将軍(しょうぐん)秀忠(ひでただ)(こう)のときの春のこと。見沼の渡り鳥たちは行き来がはげしく、毎日えらくにぎやかだった。
 そのどさくさを狙ったわけでもあるまいが、大きなツルを一羽獲った男がいたんじゃ。その場所は、大宮の氷川神社(ひかわじんじゃ)に近い、見沼のほとりでのことじゃった。
 わしは、夜の見回(みまわ)りをしていて、たまたまそれを見つけたんじゃ。
 その男は源次兵衛(みつべえ)と言ってな。岩槻太田氏に仕えた郷士の息子で、働き者で評判の若者じゃった。その男が、何も悪いことをしてないツルを、ひそかに弓で射(い)たのじゃ。
 ツルという鳥はのう。タカと同じように将軍のシンボルのようなもので、絶対に捕(と)らえたり殺したりしてはいけない鳥なのじゃ。見つかれば、打ち首獄門(ごくもん)ということになるじゃろう。
 そういう危険を冒してまでツルを獲りたかったのはなぜじゃ?わしは怒っていたが、怒りながらもその訳を確かめたくなった。わしは姿(すがた)を消して源次兵衛の家を訪ねた。
 荒れ果てた粗末(そまつ)な家で、父の郷士は、痩せこけた胸をはだけて寝ていた。枕元の大きめの椀(わん)には、黒っぽい液体が入っていた。わしは一目見てすべてが飲み込めた── 重病(じゅうびょう)の父を助けたくて、よく効(き)くというツルの生き血を飲ませたかったのだと。
 そして、もし、これが発覚(はっかく)すれば、源次兵衛の命が危ないと、わしは怖(おそ)れた。』

《泣き虫華固ちゃん》

華固ちゃんはここまで読んで来て、胸が苦しくなってきました。その上、涙で目がくもり、読み進めることができません。
──そうだ。未来くんと一緒(いっしょ)に読もう。今度の研究テーマになるかも知れないし……。

華固ちゃんはそう思って、明日を楽しみに寝たのでした。

翌日の土曜日の朝、未来くんに電話すると、すぐに自転車で駆け付けてくれました。
「未来くん!見沼のツルを獲った男の話、一緒に読んでくれない?」
「へえ、そんな本があるの?面白そうじゃないか」
「面白いけど、胸が苦しくなっちゃうのよ」
「ははあ、また、あれだな」
「あれって?」
「泣き虫病……」
「何よ、それ……」
「何でもないよ。早く読もうよ」
 未来くんは、前半のあらすじを教えてもらってから、続きをしっかりとした声で朗読したのでした。
 続きというのは、役人に追われる身となった源次兵衛が、逃げに逃げて群馬県太田市の『大光院』という寺へ逃げ込む話となりますが、その後がまだまだありそうな感じでした。

〔義重山大光院新田寺(群馬県太田市金山町)

義重山大光院新田寺(群馬県太田市金山町)案内

○東武伊勢崎線「太田駅」から徒歩約20分

○東北自動車道「館林IC」から車約40分

○北関東自動車道「伊勢崎IC」から車約40

(群馬県HPより抜粋)

《大光院へ逃げ込んだ男》

『わしはこれを聞いて大いに安心した。
大光院(だいこういん)は徳川の先祖の菩提寺(ぼだいじ)であり、江戸幕府から寺領(てらりょう)三百石もいただくという、立派な寺じゃ。また、その寺を預かる住職が、『子育て呑竜(どんりゅう)』といわれてあがめられている呑竜(どんりゅう)上人(しょうにん)じゃからのう。わしは、これで安心。二、三ヵ月もすれば源次兵衛は家に帰れると信じていたんじゃ。
 ところが、追っ手は、館林(たてばやし)(はん)の役人を加えた大勢で、大光院にせまったのじゃ。
呑竜上人は当然ことわった。ことわられた役人たちはあきらめず、今度は藩主から大光院にかけあってもらった。呑竜上人はこれもはねつけた。そこで藩主は、さらに幕府に訴え出たというのじゃ。
 まあ、ツルの一羽が、これほど大事じゃったということだ。訴えられた幕府は、老中たちが相談し、「ただちに源次兵衛を差し出せ」と呑竜上人に命じた。上人は、
「『窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)に入れば猟師(りょうし)もこれを殺さず』というたとえがある。わしは自分の命に代えても源次兵衛を守るんじゃ」
と言ってことわったとのことじゃ。
幕府に反抗したらもう許されない。さすがの呑竜上人も、ついに役人に追われる身となったのじゃ。
 上人は源次兵衛を剃髪(ていはつ)させて弟子(でし)とし、浅間山(あさまやま)の麓(ふもと)に身を隠し、不便を忍(しの)んで暮らすのじゃ。冬の寒さは、さぞ耐え切れないほどであったことじゃろう。すでに年は六十歳を越えていたはずじゃからのう。
 上人は、こうして山の中で暮らすこと五年近くで許されるのじゃが、どのような経路をたどって元の大光院に戻ったか?
 また、源次兵衛はどうなったかなどは、日を改めて聞かせるとしようぞ』

「華固ちゃん、ここでちょうどいいから、研究テーマになるかどうか、考えようか」
「それがいいわ。わたし、いいと思うんだけど」
「何を調べていけばいいんだろう?」
「大光院へ行ったり、浅間山に登ったり……」
「浅間山に登る必要ないんじゃない」
「ま、そうね。呑竜上人て、どこで生まれて、どんなふうに偉くなっていったかなんて調べたくなりそうね」
「そうだそうだ。いろいろある!決めよう、これに」
 こうして、新しい研究目標が決まったのでした。

(前編 おわり)

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第19回 鴻沼(こうぬま)のオシドリ伝説を調べるの巻  

 

(かき)の実(み)が色づき始めた秋の日曜日の朝です。

華固ちゃんはぼんやりと庭の草木をながめていました。メジロが柿の実をついばんでいるのをかわいいなと思っていると、いきなりヒヨドリがやってきて、すぐそばの枝に留(と)まりました。メジロがあわてて逃げ出すと、ヒヨドリは得意(とくい)げにキーキーと鳴きながら柿の実をついばんでいます。
─ ヒヨドリって、らんぼうだわね。でも、何となくかわいいわ。あら、白い鳥が何羽も飛んでいくわ。見沼のシラサギだわね。

華固ちゃんは久しぶりに見る鳥たちの動きに興味(きょうみ)を持ち、野鳥の図鑑を引っ張り出しました。ワシ・タカのような猛禽(もうきん)類や、ツル・サギなどの大型の鳥、メジロ・ウグイスのような小鳥や、カモ・ハクチョウなどの水鳥にいたるまで、何十何百種もの鳥がカラーで出ています。

華固ちゃんはそれらを見ているうち、ふと見沼の伝説調べのことが頭に浮かびました。
─ 鳥の伝説って見沼にあったかしら?何となくいい話がありそうな気がするわ。

こう思って、今まで読んだり調べたりした見沼の伝説を思い浮かべましたが、鳥が出てくる話が思い出せません
─ 無いのかしら?竜や、蛇や、ホタル・あめふりアサガオ・片目のコイ……。

華固ちゃんには鳥の話がどうしても思い浮かびません。
─ 変だわ。『ツルの恩返し』や『みにくいアヒルの子』、『ハクチョウの湖』、『よだかの星』なんか、いっぱいあるのに……、見沼の民話や伝説には無かったのかしら?

《見沼には鳥の伝説は無いのか》

いらいらしてきた華固ちゃんは、未来くんに電話をかけました。
「未来くん!今ね、見沼の昔話に鳥の出てくる話があったかどうかで困っているの。何か無いかしら?」
「うーん。見沼にはいろんな話がいっぱいあるんだから、一つぐらいはあってもいいと思うよ」
「だけど、思い出せないのよ」
「うーん。『舌切りスズメ』なんかどうかな」
「ばかなこと言わないでよ。まじなんだから」
「ごめん、ごめん。ぼくにも分かんないな。調べてみるから、少し時間をくれないか」
「いいわ。見つかったら、それを今度のテーマにしましょうね」

《与野(よの)の鴻沼(こうぬま)にあった鳥の話》

未来くんは、華固ちゃんより先に見沼の鳥の話を見つけようとしましたが、どうしても見つかりません。困ってお父さんに聞いてみました。お父さんは最近にわかに見沼の勉強を始め、相当に知識をためこんでいるので、得意げにこう言いました。
「おう!とうとう聞いてきたな。鳥の話は見沼には無いな。鷲(わし)神社はいくつもあるが、鳥の話ではない。見沼には無いが、兄弟沼の鴻沼にはあるぞ」
「え?あったの!何の話?」
「オシドリだ。かわいそうなオシドリの話だ。」
「教えて!華固ちゃんといっしょに調べるんだから」
「待て待て。これは、そう簡単には聞かせられないぞ。苦労がともなった話だし、涙なしでは語れない、美しくも悲しい物語だからな」
「そんなにもったいつけなくていいよ。どうせ、何かの童話の本の話だろうに」
「ま、お前がそんな考えなら、この話は無かったことにしよう。そうだ。華固ちゃんにだけは話しておこうかな」
「ええッ、お父さん!そんなのってないよ。華固ちゃんにだけだなんて!」
「聞きたかったら、華固ちゃんを呼んでおいで。その時そばで聞いていてもいいから
「分かったよ!お父さん、意地悪なんだから」
「お前の方がずっと素直(すなお)でないぞ。ものを教わる時には、謙虚(けんきょ)でなければいかん。素直に、『お願いします』という心を表さなくてはいかん。それから華固ちゃんにも言っておきなさい。オシドリって漢字でどう書くのか、どういう鳥か、調べておきなさいとな」
「はあい。しかたがない。おれの負けだ……」

未来くんはこうつぶやいて、不機嫌(ふきげん)そうに華固ちゃんに電話をかけました。

《オシドリってどういう鳥でどう書く?》

華固ちゃんが未来くんの家に来て、すぐに勉強が始まりました。

先ず、オシドリについてです。いくつもの図鑑と辞典を使ってまとめてみました。
   (1) どんな鳥かオシドリの説明(学習百科図鑑(小学館)より抜粋)

① ガンカモ科の水鳥で、東アジアの特産。日本にも多くすむ。
  ② オスは華(はな)やかにいろどられた羽をつけている。特に尾のそばのオレンジ色のイチョウ羽が目をひく。
  ③ メスは濃(こ)い灰色。目のまわりと、のどが白い。
  ④ シイやナラの実がすき。よく木に留まり、高木の洞(ほら)で子を育てる。
  ⑤ 雌雄(しゆう)いつもいっしょにいると信じられている。

 (2) どう書くかなど

   ① オシドリ おしどり
     ② 鴛鴦(えんおう) 鴛=えん、オス  鴦=おう、メス
     ③ 鴛鴦の契(ちぎり)り(えんおうのちぎり)=夫婦仲 のよいことのたとえ                以上

<「小学館の学習百科図鑑」鳥類の図鑑より抜粋 >

 

未来くんのお父さんはこれを見て、ひどく感心しました。
「やあ、これはすばらしい。わずかの時間内でよくやったぞ。偉くなったものだ」
「お父さん!もういいでしょ。鴻沼の伝説、聞かせて!」
「ようし、分かった。すぐ始めよう」

未来くんのお父さんは、とても機嫌よく、オシドリの話を語って聞かせたのでした。

《オシドリの悲しいものがたり》

『むかしむかし、鴻沼が田んぼになるずっと前のこと、大戸村に一人の猟師(りょうし)が住んでいました。猟師は、元は武士であったらしく、弓の名手でもありました。毎日、イノシシやシカ・野ウサギなどの獣 (けもの)や、ヤマドリや、キジ・カモなどを射(い)て暮らしを立てておりました 。

紅葉が色濃くなってきたある秋の日暮れがた、猟師は、獲物(えもの)を肩に鴻沼のほとりを歩いていました。雑木林の台地が沼に突き出している、大戸村亀在家(かめざいけ)というところまで来たときのことです。岸辺近くで泳いでいるオシドリのつがいを見つけました。

─ これを獲(と)って、今日最後のみやげとしよう。

猟師はためらうことなく弓に矢をつがえました。そして近くにきたメス鳥をねらって矢を放ちました。矢はあやまたずメス鳥の胸を貫きました。

水が赤く染まりました。オス鳥が驚いてあたりを飛び回りました。

猟師は獲物を取ろうとしました。けれども、そこは深くて入れません。弓で掻(か)き寄せるには遠すぎます。困った猟師はあきらめて家に帰りました。観音菩薩座像

次の日、そこを通ってみると、アシの根本の枯れ草の上に、矢のささったままのメス鳥が息絶えていて、それを覆(おお)うように羽を広げたオス鳥がいました。オス鳥は、猟師が近づいても逃げようとはしませんでした。
─ あれは、メス鳥の体を温めようとしているんだ!生き返らせようとしているんだ!何と、かわいそうに……。

猟師は胸のあたりが苦しくなって、逃げるようにその場を立ち去りました。

四、五日経(た)って、猟師は、あのオシドリが気になって見にいきました。するとどうでしょう。アシの根元の枯れ草の上で、二羽のオシドリは並んで死んでいるではありませんか!しかも、オスの鳥は羽を広げて、メスを守るように覆っていたのでした。

─ ああ、おれは、なんと、罪なことをしたものよ!オシドリよ。許してくれ……。

猟師は、へたへたとその場に座り込み、手を合わせたのでした

家に帰った猟師は、家族にオシドリの死のようすを話し、今までにたくさんの生き物の命を奪(うば)ってきた罪の深さを訴えました。そして弓矢を焼き捨て、生きものたちの霊(れい)をとむらったのでした。その後猟師は頭を丸めて僧となり、小さなお堂を建ててこれを『鴛鴦寺』(えんおうじ)と名づけました。

この寺は後に『円能寺』(えんのうじ)と改められましたが、明治の始めに廃寺(はいじ)となりました。そして今は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)を祭る観音堂と、この話だけが残っているのであり ます。 お・し・ま・い』

<与野の歴史散歩(与野市教育委員会市史編纂室編集)より抜粋>

 

《かわいそうな話が終わって》

二人は手が痛(いた)くなるほどの拍手をしました。

華固ちゃんの目には涙がいっぱいでした。のどがつまり、むせび声がふき出しそうで、歯を食いしばってこらえていました。

未来くんが言いました。
「お父さん、ありがとう!とってもおもしろかったよ。お父さん、じょうずだ。見なおしちゃった」
「うむ。いい話なんで、こっそり練習していたんだよ」

お父さんは照れくさそうに言って頭を掻(か)きました。
おじさん、ありがとう!感動しました。こんないい話があったんですね。観音堂に行ってみたいです」

華固ちゃんが目を拭(ふ)きながら、やっとの思いで口を開きました。
「行ってみるがいい。おばさんたちが時々集まって、念仏や御詠歌(ごえいか)をあげているようだ」
「ねえ、未来くん!行ってみたいわね」
「うん。行ってみよう!」
「それがいい!この前の、二度栗山のちょっと先だ。高沼用水の近くにあるよ」

二人はさっそく見学に出かけたのですが、鴻沼や高沼用水について、もっともっと調べてみようと話し合ったのでした。

(おわり)

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第18回 見沼代用水の支流と伝説を調べるの巻 (続編)

 

華固ちゃんと未来くんは長伝寺(ちょうでんじ)を訪ねて、和尚さんからお話を聞いたり、竜の彫刻を拝観(はいかん)したりしました。竜は緑色に美しく色どられていましたが、大きな赤い口、鋭(するど)い牙(きば)、金色に黒の大きな目玉など、どこを見てもぞうっとするような恐ろしい姿でした。仏さまの守り神であり、水を支配する神としての強さや威厳(いげん)をそなえている『竜』というものを、強く心に焼きつけたひとときでした。

和尚さんは二人が鴻沼(こうぬま)の伝説を調べていると知って、一つの伝説を教えてくれました。それは中里(なかざと)というところの二度栗山(にどぐりやま)伝説です。
「なかなかいいお話じゃよ。急ぐのでなかったら、話してあげてもいいが」

話好きの和尚さんがにこにこしながら言いました。
「ありがとうございます。お願いします」
「ぼくたち、ここの竜が見られればいいと思っていました。ほかの伝説まで聞けたら、大収穫です」
「ほほう!そうかね。帰りはちょっと回り道をして、そこを見て帰るといい。さほど遠くはないからな」
和尚はそう言うと、今度は誰にともなく『はい、はい。分かりました。只今お下げいたしますよと言って立ち上がりました。そして仏前に供えてあったまんじゅうのお皿を下げてきました。
「仏様が、子供たちに食べさせなさいとおっしゃるので下げてきた。今朝供えられたばかりのおまんじゅうじゃ。食べながら聞くのは、また格別に楽しいものじゃ。さあ、食べなさい」

華固ちゃんも未来くんも始めは遠慮(えんりょ)していましたが、そのうちむしゃむしゃ食べ始めました。和尚さんはそれを見て、嬉(うれ)しそうに話し出しました。

二度栗山(にどぐりやま)の伝説

むかしむかしのことじゃ。全国を巡(めぐ)り歩く一人の坊さんが、武蔵(むさし)の国与野郷(よのごう)の鴻沼(こうぬま)のほとりを歩いておった。それは秋晴れのすばらしい天気の午後じゃった。シャリン、シャリン、錫杖(しゃくじょう)の音を響かせながら与野郷中里の村にさしかかったとき、子供たちの明るい遊び声が響いてきた。坊さんは急に嬉(うれ)しい気分になって、声のする方へ行ってみた。

男女七、八人の子供たちが栗もぎをして、きゃあきゃあやっているのだった。木に登って揺(ゆ)する者、竹竿でつつく者、おどおどしながらいがを剥(む)く者とさまざまだが、みんな嬉(うれ)しそうだった。そして、やがて生のままで栗をかじりはじめた。
「うめえな」
「うん、うめえよ。甘味があるもんな」
「焼いて食ったら、もっとうまかんべ」
「おらぁ、生(なま)の方がすきだな」

子供たちのそんな会話を聞きながら、坊さんは切り株に腰をおろして、にこにこ眺めておった。
そのとき、一人の女の子が、坊さんに気づいて駆け寄ってきた。
「これ、やっから、食ってみな。うめえよ」
「やあ、やあ。これはありがとう」

坊さんは手を合わせてから、女の子の差し出す栗をもらった。他の子供たちがこれを見て駆け寄ってきた。
「おれもあげる」
「おれのもやるよ」
「わたしのも食べてみて!」
 次々に差し出す栗を、手のひらいっぱいになるほど受け取った坊さんは、子供たちの温かい思いやりの心に胸を打たれた。
「みんな、ありがとうよ。これでまた旅が続けられるよ。お礼に、ここの栗の木には、毎年二度ずつ花を咲かせ、実を結ぶように頼んであげよう」

こう言って立ち上がった坊さんは、傍らに錫杖を突き立て、数珠(じゅず)を揉(も)みながら朗々(ろうろう)とむずかしいお経を唱え始めた。

子供たちは半信半疑(はんしんはんぎ)で、しかもうっとりと坊さんのしぐさを見つめていた。
「さあ、これでよかろう。来年からは二度ずつ栗が取れるからね」

坊さんは錫杖を引き抜(ぬ)くと、それをシャリン、シャリンと鳴らしながらどこへともなく姿を消した。ところが、驚いたことに、錫杖を立てた跡からはこんこんと清水(しみず)が湧(わ)きだしていた。

後で分かったことだが、これは薬の水だった。すべての病気によく効(き)いたが、特に眼病に効果が大きかった。そして、坊さんはあの有名な弘法大師(こうぼうだいし)であることが分かった。村人たちはここに寺を建て、清水は『霊泉』(れいせん)として人々に分け与えられるようになった。

この霊泉はその後何百年もの長い間人々に大事にされてきたが、最近の世の中の変化に振り回されて姿を消してしまい、昔を知る人に淋しい思いをさせているのである。

《今に残る弘法伝説の跡》

長伝寺の和尚さんの話は面白く、しかもさわやかな内容でした。二人は和尚さんにお礼を言って外に出ました。そして長伝寺の立派な本堂や、観音堂を写真に撮(と)り、二度栗山に向かいました。地図には『弘法尊院』(こうぼうそんいん)となっている所です。

そこは高沼用水東縁から台地へ上がるところにありました。広場の奥に階段の登り口が見え、紫色の幟旗(のぼりばた)がゆらめいていました。
「あれ?あの旗、弘法大師でなくて、弁財天(べんざいてん)て書いてあるわ」
「ほんとだ。与野七福神(よのしちふくじん)とも書いてあるね」
「どうしてかしら?」

幟旗にさわりながら見ていると、ベンチで休んでいたお爺(じい)さんがそばへきました。
「あんた方は、遊びでなく勉強に来たのかな?どこから来た?」
「はい。緑区の三室(みむろ)です」
ほう!遠くからよく来たな。学校の宿題かな?」
「宿題じゃないんですが、伝説を調べているんです」
「それはいいことだ。大師様(だいしさま)の話を聞くときっとご利益があるよ。おまけにここには七福神(しちふくじん)の一つ、弁天様(べんてんさま)も祀(まつ)られている。弁天様は学問や芸術の神様だし、二度栗山伝説は全国に知れ渡った有名な話だ。その話は知っているのかな?」
「はい。長伝寺で聞いて、ここに寄ってみたくなったんです」
「そうか、そうか。あそこの和尚は話し好きだからな。それに、話し方がうまいわ」
「今も、清水や栗の木はあるんでしょうか?」
「両方ともまったく無くなってしまった。この爺が子供の頃、栗の木はいっぱいあって、秋に二度目の花が咲いているのを見たことがある。二度目の実には覚えがないが」

お爺さんはなつかしそうにあたりを見回しました。
「このあたりはかなり急な崖(がけ)に囲まれていて、暖かい場所だった。斜面は栗の木の多い雑木林でな。その石段わきの斜面林がずうっと続いているような感じでな」

お爺さんは鬱蒼(うっそう)と茂る木々を仰ぎ見ました。それから、左手の低い方に目をやり、手振(てぶ)りをまじえて話を続けました。
石段の前は昔もこんな感じだったな。奥に温泉宿があって、その玄関の左側に井戸もあった。浅い井戸で、柄杓(ひしゃく)で汲(く)めるほど水が湧き出していた。大師さまの泉の井戸だ。子供のころは、その水をよく飲んだものだった。また、年寄りなどはその温泉に入っていたものだ。『ラジウム温泉』と言って、新しい風呂屋だった」
「ラジウム?何ですか?それ」
「ラジウムを知らんのか。キュリー夫妻が見つけた放射性物質だ。ノーベル賞学者として有名なんだがな」

お爺さんはちょっと残念そうな顔をしました。
「今は井戸も風呂屋もないのですね」
「うーん。おもかげ一つ残ってないんじゃわ」

お爺さんの顔が、二人には、今にも泣き出しそうに見えました。
「上の方には何があるんですか?」
「本堂があって、りっぱな仏さまや五百羅漢(らかん)が拝めたんだが・・・・・」
「ぼくたち、上に行って見てきます」

「お話、ありがとうございました」

ていねいにお礼を言って別れ、二人は急な石段を上っていきました。

石段の上には何が?

丘を上ったと思った二人でしたが、上は平地で建物がなく、荒れた感じさえしました。墓石を積み上げたような小山のそばへいってみると、てっぺんにお地蔵さんが立っていました。その後方は、薄暗いほどに茂った木々に覆われているだけでした。
「華固ちゃん。何もないから帰ろう」
「がっかりだわ。さっきのお爺さんの嘆くのも、無理ないわね」

華固ちゃんがそう言いながら、お地蔵さんと木立ちにカメラを向けている時です。石段とは反対の方から、さっきのお爺さんが現れました。
「そんなに嘆かんでいいよ。来年またおいで」
「あ、お爺さん!どこから?」
「坂道がちゃんと造られているんじゃ。それに、立派な仏様や、五百体以上もある羅漢(らかん)さんは、そこの仮屋(かりや)に納められているんだよ。寺の再建も間近らしいからな」

二人は改めてあたりを見回しました。その時、突然、キッ、キッ、キッ、キーッ、と鋭い鳥の鳴き声が響き渡りました。
「ほーら、ちゃんとモズもやってきている。ここはいい場所で、鳥も虫もうんと来るし、子供たちのいい遊び場でもあるんだよ。きょうは学校の運動会で、まだ誰も来てないが」
「お爺さん、ここがいい場所だということ、よく分かりました。また来ます」
「うーむ。ぜひおいで。学問の大先生、弘法大師様のお寺だからね」
「はーい、また来ます。どうぞ、お元気でね」

二人は明るい気分になって、二度栗山をあとにしたのでした。 

(おわり)

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第17回 見沼代用水の支流と伝説を調べるの巻

 

《川の流れと違う見沼代用水》

華固ちゃんが珍(めずら))しく不機嫌(ふきげん)な顔つきで未来くんの所に来ました。
「ねえ、未来くん!転校(てんこう)してきた荒木忍(しのぶ)くんだけどさ。『あんな狭(せま)い小川みたいな川が見沼代用水だなんて、信じられないよ』だってさ。ばかにしてんのよ。くやしいわ」
「けなしてるわけじゃないだろうよ」
「ひどいわよ。小川みたいだって言うのよ。私たちの愛する見沼代用水を……。未来くんは口惜(くや)しくないの?」
「口惜しいけどさ。何か、訳(わけ)があるんだろうよ」
「ある筈(はず)ないでしょう。行田(ぎょうだ)って北のほうよ。ここよりずっと川上よ。川下より川上の方が大きいという川があるの?」
「そんなの知らないよ」
「うーん。頼(たよ)りないん
だから……未来くんは」

華固ちゃんに頼りないと言われたんでは、のらりくらりはしていられません。

「よし!それならば取(と)り敢(あ)えず地図で確かめてみよう」

未来くんは毅然(きぜん)として立ち上がり、地図帳を持ってきました。

二人は先ず、行田の利根大堰(とねおおぜき)を探しました。ありました、ありました。それは大利根川を見事に堰(せ)き止(と)めた形に描(えが)かれていました。そして見沼代用水は、他の用水とともにそこから取り入れられているのが分かります。
「見沼代用水を順にたどってみましょう」
「うん。太さが2ミリから1.5ミリというところだね。これがだんだんに広くなってくれば、川幅(はば)が広がってるということになるわけだ」

《上流と下流では川幅がどう変わるか》

二人は指でたどりながら、川下へ川下へとページをめくっていきました。四、五枚目にはいり、用水から星川が分かれ出るところから急に細くなっていました。
「あれ?どうしたんだろう?」
「変だわ。半分の幅(はば)しかないわね」
 二人が首をひねっているところへ、未来くんのお父さんが顔を出しました。
「何が変だと言うのかね」
「あ、おじさん。こんにちわ」
 華固ちゃんはていねいに挨拶(あいさつ)しました。
「『転校生に見沼をけなされて口惜しい』って華固ちゃんが言うから、反撃しようとして調べているんだよ」
「ほほう、それはおもしろそうな話だな」
「おもしろくなんかないよ。でも、この地図の描き方が変なんだ」
「川下の方が川上より狭いんです」
「そりゃあそうだろうよ。用水だもの」
「え?どうして?」
「用水は、その水を使うために掘(ほ)った人工(じんこう)の川だ。上流で水を使えば使うほど下流では小さな川になるだろうよ」
「あ、そうか。そうだったんだ」
「荒木くんは、こっちの方の用水をけなしたわけじゃなかったのね」
 二人は肩(かた)をすくめて顔を見合わせました。

《未来くんのお父さんの見沼学》

未来くんのお父さんが、久しぶりに見沼のことを切り出しました。
「ところで、二人は見沼の昔話を調べていたんじゃなかったかね」
「そうだよ。もう、十二、三は調べたと思うよ」
「この前は、大和田の方のこわーい話を調べたんです」
「ほほう。あの不思議な笛(ふえ)の音色(ねいろ)で、若者を誘惑(ゆうわく)するという老婆(ろうば)の話だね」
「お父さん、知ってるんだ!」
「勉強しているから多少は知ってるつもりだよ。お前たちに負けてはおれんからな」
「でも、華固ちゃんのお父さんにはかなわないよね」
「そりゃあそうだ。夢幻坊は特別だよ。あれは魔法使いのできそこないだ。あははは」
 お父さんは楽しそうに笑いました。
「ね、お父さん!この辺で見沼代用水から流れ出す川があるの?」
「そりゃあ、あるさ。いくつもある」
「教えて!その川にも伝説はあるよね」
「ほう、めずらしい。このわしに教えを乞うとはな」
「『吾以外皆吾(われいがいみなわ)が師(し)』というだろう」
「ほう!吉川英治のことばだが、誰(だれ)に教わった?」
「学校の先生に決まっているよ」
「ようし。よくおぼえたな。代用水支流の資料があるし、教えてもやるぞ」
「未来くん!今度はそれをやろうと言うのね」
「うん。急に思いついたんだ」
「賛成だわ」
「未来にしては上出来だ。ね、華固ちゃん」
「はい。今までもときどきいい意見を言ってくれました。助かります」
「どうかな?ま、よろしく頼みますよ」
 未来くんのお父さんは嬉(うれ)しそうでした。そして参考になりそうな資料を探(さが)してきてくれました。二人はすぐに調べ始めました。

《たくさんあった代用水の支流》

その中の一つに、昭和三十年発行という百ページ余りの本がありました。『見沼代用水の開削(かいさく)』という文字がかすれているほどの古本(ふるほん)です。華固ちゃんが言いました。
「私のお父さんは『今年は平成19年だから、昭和82年だとよく言っていたわ。だからこの本は52年前の本だわ」
「うーん。お父さん、どこで見つけてきたのかなあ」

未来くんは、首をひねりながらも感心してめくっていました。

「あ、あった。これが用水の支流だよ。いっぱいあるよ」
 そこは見開(みひら)き2ページが表になっていて、西縁(にしべり)用水は砂村分水、高沼(こうぬま)分水、戸田用水、蕨(わらび)用水など8用水。東縁(ひがしべり)用水からは加田屋(かだや)分水、天久保(あまくぼ)分水、赤堀分水、など12用水があるとされています。そして、それらの用水がうるおしている村の名前がずらりと並んでいるのです。

「ねえ、華固ちゃん。これじゃあ、頭の中もごちゃごちゃになっちゃうよ」
「そうね。いっぱいありすぎて、伝説を探すなんて無理だわ」「じゃあ、これはこれで、発表の内容として入れることとし、伝説調べをどの支流にするか、しぼろう」

見沼周辺河川用水図

「高沼用水にしない?旧与野市で今の中央区に流れていく

[見沼周辺河川用水図]

んでしょ?」
「さっき見た表にあったね。下落合、中里、大戸、鈴谷などと、村の名前が……」
「その大戸に親戚(しんせき)がいるの。そこで竜の話を聞いたのを思い出したの」
「え?竜の話だって!そんなら文句なしだ。決まった。すぐに取りかかろう」
 こうして二人の調べは急ピッチで進むことになりました。

《高沼用水と鴻沼(こうぬま)田んぼ 》

二人は、見沼代用水は西縁用水と東縁用水だけでなく、たくさんの支流・分流を通しても使われていることを知りました。そして中央区の真ん中にあった鴻沼という古くからの沼が、見沼と同じように溜井となり、田んぼに変わったことを知りました。しかも、田んぼに変えた奉行があの井沢弥惣兵衛さんだと分かり、びっくりしたのでした。
 二人のノートには次のように簡単にまとめられています。
 高沼用水は、大宮区北袋で見沼代用水西縁から水を引いている用水で、西に向かって進み、中山道や京浜東北線の下をくぐって中央区に入り、鴻沼田んぼをうるおす用水です。東縁と西縁に分かれ、田をうるおした水は真ん中を流れる排水路(はいすいろ)の鴻沼川に落ちて荒川の方へ排水されるのです。
 享保(きょうほ)14年(1729)井沢弥惣兵衛為永が、将軍徳川吉宗の命によって、見沼の干拓と同じような方法で鴻沼を干拓(かんたく)したのです。

《鴻沼の竜伝説》

華固ちゃんは、竜の話があいまいなので、大戸のいとこに、簡単でいいから書いてくれるようにと頼みました。まもなく返事がとどきました。
与野本町東五丁目に長伝寺という浄土宗(じょうどしゅう)の寺があります。
この寺の本堂のらん間 (ま)には大きな竜の彫刻(ちょうこく)がありました。今にも天に昇(のぼ)りそうな勢いのある竜でした。

大雨が降り続いて村人がこまっていた年のある夜のこと、この竜がらん間から消えてしまい、大騒 (さわ)ぎとなりました。ところが朝になると

長伝寺(与野本町五丁目)
らん間に戻っていました。

[長伝寺(与野本町東五丁目)]

こんなことが何度も続くので、和尚(おしょう)さんがあとをつけてみると、鴻沼田んぼの水を飲んでいました。竜は水をすっかり飲(の)み干(ほ)すと寺に帰ってらん間に戻(もど)ったのでした。
和尚さんは驚きましたが、与野の田んぼが水びたしにならないのはこの竜のおかげだと分かり、喜んでみんなに知らせました。

この竜は『長伝寺の水飲み竜』と呼ばれるようになり、大事にされています。
 最後に添(そ)え書(が)きがありました。
『へたな文章(ぶんしょう)でごめんなさい。長伝寺に行けば今も見られます』

大きな龍の彫刻

 

[大きな龍の彫刻]

この手紙を見せてもらった未来くんは大喜び。さっそく華固ちゃんといっしょに見に行ったのでした。

(つづく)

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