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見沼龍神まつり

 

「見沼竜神まつり」雑感

宮田 正治

 去る5月6日、連休最後の日曜日に「第1回見沼竜神まつり」が大々的に行われた。
長さ30メートル余の巨大竜の空中遊泳をメーンイベントとして、竜神伝説ラリーあり、竜の鳴き声コンテストあり、見沼通船舟歌踊り・和太鼓の競演等々、多彩な催しごとが続いた1日であった。

 これは、浦和市、大宮市、与野市の三市合併、さいたま市誕生を祝ってのまつりで、主催は「見沼竜神まつり実行委員会」(会長・吉野重彦氏)。商工会議所、観光協会、その他多数の団体が協力した。参加者の数は約3万5千人とか、この人々は十分に楽しんだと思われるが、大きなイベントの割には決して多い数とはいえない。理由としては色々考えられるが、今後、毎年行われ、新市の伝統行事として定着させたいとしている行事である。

 「見沼」の愛好者である我々本会会員にとっても非常に喜ばしいことであり、是非、継続し普及することを切望したい。そこで、企画等に多少関係したものとして、私が見聞した概略を述べ、次回実施への期待につなげたいと思う。 

  メーン会場の概要   メーン会場は、大崎公園みどりの広場。前日、前々日の農業祭の後を受ける形でテントや舞台が設けられ、物産店・模擬店などの出店があり、午前中から大勢の人々で賑 わった。巨大竜の昇天は、この会場のすぐ西側の広場で行われたが、担当の人たちは、早朝から準備にかかったようである。

 しかし、ヘリウムガスの注入をはじめ、胎内の機器の調整などに手間取り、竜が揚がったのは正午過ぎ。遅れたとはいえ、鯉のぼりの何十倍もある巨大竜の空中遊泳は圧倒的迫力があり、待ちかねた見物客たちは、どっと歓声をあげ拍手をおくった。 この竜の製作にあたっては、設計者埼玉大学工学部の永沢明教授の苦心談や構造説明、まつり実行委員会事務局の苦労等に触れる必要もあろうが、ここでは割愛する。

 さて、一方のみどりの広場では、ウナギのつかみ取りやコイの釣り堀で遊ぶ子供、模擬店を順にまわり歩く人々、芝生で団欒のグループなど、様々な人で賑わい、舞台の前には二、三百人が腰をおろして壇上の演技を見守った。  

 
和太鼓の演奏グループは5組ほど。リレーと共演によってそれぞれに勇壮な音色を響かせ、時折、高々と舞う巨大な竜の勇姿にぴたりとマッチしていた。

 また、「竜の鳴き声コンテスト」では、幼児から少年少女、若者たちから熟年の男女にいたるまで、七、八十人が加わって美声、奇声を競い合った。大型テレビほかの景品もさることながら、誰でも参加できて、しかも本物の竜の鳴き声を聞いたものは誰もいないというユニークさが、これほどの人気を呼んだのであろう。

 絵ばなし(大型紙芝居)「竜がいた沼」の実演は、領家手づくり絵本の会の絵本作品を本日のために同会の人たちが拡大した作品であったが、去りかけた人が戻ってきて見入るほどの関心を得たのは、今日のまつりにふさわしい内容であったからと思われた。  
 
 すなわち、大昔から棲んでいた見沼の竜が、人間の突然の干拓工事に怒ったものの、やがては見沼を明け渡して天に昇るというダイナミックな民話だったのである。

  竜神伝説ラリー    大崎の国昌寺から片柳の万年寺へ行き、三室の氷川女体神社に至り、更に歩いて大崎公園の会場をゴールとする、全8キロメートルほどのコースを竜とともに歩く催しである。いずれの寺社も見沼の竜の伝説を伝えており、特に国昌寺は、現にある山門の彫刻の竜が伝説の当事者であるからいっそう面白いのである。

 当日の朝は、9時半ごろから自作の竜頭を持った人や、旅装に身を固めた親子が集まりはじめ、三室の宿(しゅく)地区の4メートル余りの立派な竜も参加して、総勢150人ほどが開会のセレモニーに参加した。

 開会に先立ち、私は依頼を受けて『左甚五郎と見沼の竜』の伝説を語らせてもらった。儀式は、釘付けの竜を解き放し、開かずの門と呼ばれる山門を開けるということなので、参加者の注目を集めた。

 立派な法衣をまとった二人の僧侶が、このために作ったと思われる経を読誦したり、山門を巡って散華したりしてから、代表者の礼拝があって儀式は終った。とたんに山門がギーッと開き、勢揃いした十頭余の竜が姿を現わし、出発となったわけだが、このアイデアいっぱいの演出は実行委員会事務局長さくら草五郎氏の創案と聞いている。

 ラリーの参加者は二百人ほどに増え、万年寺でも住職の読経があり、代表者吉野会長の焼香があった。その後、私が『井沢弥惣兵衛と見沼の竜』の伝説を語って、再び竜を先頭にした行列が出発、氷川女体神社に向かった。

 氷川女体神社では、吉田宮司からお祓いを受け、当社と竜神まつりとの関わりを聞き、史跡「磐船祭遺蹟」を巡って、メーン会場へと最終コースをたどったのである。

 会場到着は、正午をかなり回った12時半ごろか?疲れた様子はみじんも見せず、堂々と入場した面々。舞台に上がって数度、見事な竜神の舞を見せて、ラリーの無事終了を告げ、大きな拍手を浴びた。ここに至るまでの竜の製作・準備をはじめとし、長距離を捧げ持って、人力のみで全コースを歩き通した方々には深い敬意を表した次第である。また、竜頭を手にした小学2年生の女の子が、ほぼ全コースを汗びっしょりになって歩きとおしたことには強い感銘を受けたことを書き記しておきたい。

  前夜祭及びその後    まつりの前夜、氷川女体神社で前夜祭が行われたが、ここでは「そういうことがあった」という程度の簡単な報告にとどめておこうと思う。そこには文章に表せない厳粛な雰囲気が漂っていたから、と言えば許されようか。

 午後4時過ぎ、氷川女体神社の庭には5メートルもあろうかと思われる巨大な竜の頭部が据えられ、正面には注連縄が張られ、しつらえられた台上には、ひもろぎや供物・弊束などが並んでいた。

 儀式は巨大竜頭部に御魂を入れるというのか、天上からの竜神の降臨を願うというのか、吉田宮司の手になる祝詞が朗々と読み上げられた。格調高いそれは、この儀式にぴったりの名文であったと記憶する。とまれ、この祭りは、質素で、極めて内輪のものであったが、今回の「見沼竜神まつり」全体を通して、最も厳かであり、森厳な気を感じさせるものであったと私には思われた。そして、祭場に勢揃いしたたくさんの竜は、正式に神格を得たような神秘的な雰囲気に包まれ、一段と立派に見えたのであった。

 さて、まつりが終ってすでに3か月。反省、評価、今後の計画と、運営委員会の人たちの苦労は大変なことであろう。加えて、祭り全体にかかった費用の清算、次回の経費の捻出、旧三市市民の一体感の醸成等々の問題をはじめ、目標の実現にどう向き合うかなど、課題は山積していることと思われる。

 豊かな大自然の見沼、遠い昔からの歴史と伝説を伝える見沼、その伝説の代表たる竜神伝説の数々、そして、その水の神竜神を祀り讃える「見沼竜神まつり」には市民の大きな期待が高まりつつある。

 その市民の期待を担い、全国に誇れる個性豊かな楽しいまつりに育つことを乞い願い、感謝と祈りをこめてペンをおきたい。

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