平成14年11月2日(土)
里山の自然と人間との関係を探る
見沼の里山の自然は、見沼田圃と共に農家の人達が長い年月をかけ守り育ててきた歴史を物語る自然であるとも言えるでしょう。その豊かな自然も戦後になると急速に失われてしまい残念なことです。それでも今回の自然観察ハイキングコースには、見沼の里山の自然を訪ねる上でなかなか良い場所が多くあります。今回は見沼の歴史を物語る里山の自然と人間との関係という側面からレポートしたいと思います。
さて、11月2日は立冬を前にし木枯し一番の寒い朝となりましたが天気は良く、参加者39名は背も丸めず元気良く見沼自然公園に集まりました。「ケヤキの葉も色づいたね」「サギのコロニーはどこにあったの?」「公園の入口の所にタンポポが咲いていた」等の会話の中、受付と出発のセレモニーも終え6班に分かれてスタートしました。
この公園は合併前の旧浦和市が市政60年を記念して10年程前に湿地等を埋め立てて作ったものです。10年もすると大分落ち着いた感じになるものです。樹林地ではクヌギ、コナラ、シラカシ、スダジイの実(ドングリ)が歩く先々に落ちており、ドングリを拾う人、スダジイの実ならと試食する人、皆さん楽しそうな観察会の始まりとなりました。
ガマズミの実を口にし、モズやヒヨドリの鳴き声を聞くと晩秋の到来を感じます。この公園にはスギ、ラクウショウ、メタセコイアという日・米・中三ヶ国の杉の仲間があります。杉の仲間は風媒花なので花粉が風に舞います。スギは優れた伝統的な建材なのですが、今では花粉症の張本人として有名になりスギの評価も変わってきました。
湿地ではヤノネグサ、コブナグサ、ヒメジソが草もみじの時を迎え、スズメウリは葉を枯らし始めています。その中に、セイタカアワダチソウも混じっています。花は終わりかけていますが、この花は虫媒花なので花粉は風に舞いません。なのに花粉症の犯人の汚名を着せられて運の悪い植物です。アメリカのアラバマ州では州花になっていると教わりました。人間の植物に対する見方がこんなにも違うのかと思わせる例です。
公園を出ると見沼代用水東縁に出ます。見沼代用水は見沼の代表的な史跡なのですが、今の見沼代用水はごく一部を除き、東縁にも西縁にも歴史を感じさせる姿はどこにもありません。昭和53〜63年の改修工事で三面コンクリート、フェンス囲いとなり動物も植物も、人間さえもが水辺に近づけなくなりました。昆虫や小魚の棲めない水辺には水鳥も通わなくなりました。更に周囲の土が乾燥し、帰化植物の目立つ単調な野草構成になっています。見沼の自然環境は見沼代用水があったからこそで、これからの見沼の自然環境づくりには見沼代用水の自然環境を再生させる工夫と努力が必要となるでしょう。
さぎ山記念公園の斜面林に登ると、急に山に入った感じになります。ここは野田のさぎ山のあった所です。見沼田圃と共に栄え250年も続いたこと自体が奇跡と言われたサギのコロニーがあった場所です。戦後に米の豊作を支えた農薬(水銀系殺虫剤など)の大量使用、農地や雑木林の宅地化、減反政策による水田の減少などがサギの棲む自然環境を奪ってしまい、とうとう30年前にコロニーは消滅し現在に至っています。これは戦後の見沼を象徴する悲しい出来事です。
この斜面林を抜けると晩秋の佇まいを見せる畑に出ます。畑は深井家の屋敷林へと続きますが、畑の縁や道沿いに多くの柿木がたわわに実をつけていて正に里の秋の風景です。今ではこのような風景は珍しくなりました。この柿は柿渋を採る為のものでとても食用にはなりません。この柿渋は江戸時代から大正にかけ紙・布・魚網・木塀の防腐耐水剤として、酒や醤油の清澄剤として欠かせなかったそうです。柿渋を作るのには見沼の水が合っていて作られた柿渋は赤山渋として評判が良く、見沼代用水の舟便で出荷されたそうです。また、柿渋をめぐって村人の間にもめ事があった時には深井家の御先祖が名主として仲裁に入ったこともあるそうです。深井家の屋敷林には、樹齢数百年と思ぼしきケヤキ、シラカシ、アカガシ、カヤノキがあります。ここにもサギが棲んでいたと聞いています。この日は、幸いにもカヤノキの梢に舞い止まる2羽の大きなアオサギを見る事が出来ました。
さて、深井家を後に見沼代用水と加田屋川を渡り、片柳新田を横切り萬年寺、井上家住宅への道を辿ります。途中の畑の縁には春の花のホトケノザ、ハナイバナ、オオジシバリが咲いています。これを狂い咲きと呼ぶことがありますが、条件が合えば咲くという野草の適応力の強さを表しています。加田屋川は自然護岸で芝川と同じように見沼では欠かせない存在です。ここでは、川巾が狭く、深く切れ込み流れも早いのでサギが降り立つのは難しそうです。加田屋新田の方とは様子が違います。締切橋のあるバス通りを境に、こちらは土地全体が低くなっていて、この地形が昔見沼の谷と呼ばれていた理由なのかも知れません。
萬年寺、井上家住宅の史跡を訪ねた後、道を変え再び片柳新田に出、片柳の斜面林沿いに道を北上し旧坂東家住宅を目指しますがその途中にこの斜面林も訪ねました。この斜面林は規模、樹種からして大変素晴らしい雑木林です。この雑木林は大宮台地の東端に位置し、染谷の雑木林や先ほどの野田の斜面林、屋敷林と一体になって見沼で最も緑深い自然環境を形成しています。見沼の緑の宝庫とも言われる所で大切に保全してゆきたい一帯です。特別な保全案が考慮されても良いような気がします。
ところで、この片柳の雑木林も例にもれず荒れています。林の中の稲荷神社も荒れており、しばらくの間手入れされていない様子です。下草を刈り風通しの良い明るい林となれば本当に素晴らしい雑木林となるでしょう。片柳にはフクロウが棲んでいると聞いたことがあります。フクロウが喜ぶような雑木林になる事を期待したいものです。
雑木林を出ると大宮共立病院へ通じる道となり旧坂東家住宅は目と鼻の先です。病院の敷地に入る前に、近くのケヤキの植林地を覗いたらメナモミ、ナギナタコウジュが見られました。このケヤキは街路樹用に、枝が横に張らないように改良されたものと聞きます。この地に幼樹を移植した時にナギナタコウジュとメナモミが持ち込まれたものでしょう。それにしてもこのケヤキがどんどん伸びてポプラみたいになるのでしょうか?もしそうなら、毎年伸びた枝を切ることになるでしょう。鳥も止まり難そうな枝ぶりのケヤキを作る発想はどこから来たのでしょうか?些細なことから、自然が変えられる姿をも観察して旧坂東家住宅に到着し今回の自然観察ハイキングを終えました。皆様ご苦労様でした。
(自然観察さいたまフレンド運営委員:小林正治)
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